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院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

社説には主語がない

2008-04-26 08:36:24 | Weblog
 どんな言語でもそうなのだろうが、文法的に合っていても意味が曖昧な文章というのがある。

 日本語で典型的なのが・・・

 「兄は笑いながら逃げる弟を追いかけた」

というのがある。これでは、笑っているのが兄のほうなのか弟のほうなのか分からない。

 新聞の社説にはもっと変なのがある。これは文法的にもおかしいと思う。例えば・・・

 「司法にも、わがこととしてもっと関心を持ちたい」

といった類である。この文章の主語は誰なのか?いったい誰が「司法に関心を持ちたい」のかが分からない。

 主語が社説者ならば、「私は司法にも・・・」と書くべきだし、主語が読者なら、「読者には、司法にももっと関心をもってほしい」と書くべきである。

 主語を曖昧にした社説はずるいから、私は信用しないようにしている。