どんな言語でもそうなのだろうが、文法的に合っていても意味が曖昧な文章というのがある。
日本語で典型的なのが・・・
「兄は笑いながら逃げる弟を追いかけた」
というのがある。これでは、笑っているのが兄のほうなのか弟のほうなのか分からない。
新聞の社説にはもっと変なのがある。これは文法的にもおかしいと思う。例えば・・・
「司法にも、わがこととしてもっと関心を持ちたい」
といった類である。この文章の主語は誰なのか?いったい誰が「司法に関心を持ちたい」のかが分からない。
主語が社説者ならば、「私は司法にも・・・」と書くべきだし、主語が読者なら、「読者には、司法にももっと関心をもってほしい」と書くべきである。
主語を曖昧にした社説はずるいから、私は信用しないようにしている。
日本語で典型的なのが・・・
「兄は笑いながら逃げる弟を追いかけた」
というのがある。これでは、笑っているのが兄のほうなのか弟のほうなのか分からない。
新聞の社説にはもっと変なのがある。これは文法的にもおかしいと思う。例えば・・・
「司法にも、わがこととしてもっと関心を持ちたい」
といった類である。この文章の主語は誰なのか?いったい誰が「司法に関心を持ちたい」のかが分からない。
主語が社説者ならば、「私は司法にも・・・」と書くべきだし、主語が読者なら、「読者には、司法にももっと関心をもってほしい」と書くべきである。
主語を曖昧にした社説はずるいから、私は信用しないようにしている。