妻と二人で花見に行った。名もない近くの公園である。
すでに芝生にシートを敷いて、バーベキューをやっているグループがあった。ただシートを敷いただけで、夜桜の場所取りをしている人もいた。
私が初めて花見に行ったのは幼稚園のころである。父の仕事の組合の集まりだったか、トラックの荷台に乗って出かけた。ネクタイをしてめいっぱい正装した私の写真が残っている。
娯楽の少ない時代、花見は庶民の一大娯楽だった。弁当の思い出がない。たぶん粗末な弁当だったのだろう。当時は貧しかった。
幼児だった私は酒も呑まないから、当時の花見は私にとって、寂しいものでしかなかった。花も美しいと思わなかった。
私が満開の桜を美しいと思うまで、あと数年待たねばならなかった。美しいと思ったのは、小学校2年生のとき、東京の目黒川の橋の上でだった。しばし見ほれた。
未だに花見はすたれない。父が逝って18年になる。
咲き満ちてこぼるる花もなかりけり 虚子
すでに芝生にシートを敷いて、バーベキューをやっているグループがあった。ただシートを敷いただけで、夜桜の場所取りをしている人もいた。
私が初めて花見に行ったのは幼稚園のころである。父の仕事の組合の集まりだったか、トラックの荷台に乗って出かけた。ネクタイをしてめいっぱい正装した私の写真が残っている。
娯楽の少ない時代、花見は庶民の一大娯楽だった。弁当の思い出がない。たぶん粗末な弁当だったのだろう。当時は貧しかった。
幼児だった私は酒も呑まないから、当時の花見は私にとって、寂しいものでしかなかった。花も美しいと思わなかった。
私が満開の桜を美しいと思うまで、あと数年待たねばならなかった。美しいと思ったのは、小学校2年生のとき、東京の目黒川の橋の上でだった。しばし見ほれた。
未だに花見はすたれない。父が逝って18年になる。
咲き満ちてこぼるる花もなかりけり 虚子