念通窟不動尊から、まだ少し進むと、程なく増賀上人の墓に到着します。
増賀上人は平安時代の比叡山の高僧であったが、比叡山の世俗的な側面を批判して、多武峯にこもったと言われている。
談山神社の前身の妙楽寺は、比叡山延暦寺から増賀上人を迎えたことにより、同じ藤原氏の氏寺でありながら、宗派の違う興福寺とは争いが絶えなかったことがよく知られている。
談山神社(妙楽寺)、多武峰の村々は興福寺とそれに従う各寺の僧兵によって何度も焼打ちにあっている。
他には大西良慶和上誕生地とある。
大西良慶は、京都清水寺の貫主を務め、その晩年は日本の長寿記録保持者としても有名であった北法相宗の僧である。