良助法親王墓2 2013-02-17 17:36:36 | 日記 しばらく歩くといきなり舗装路に変わり、数件の集落が現れた。 そこから下りになり、直ぐ良助親王の冬野墓が現れた。 実は良助親王の事は今回初めて知りました。 そもそも奈良時代以降は興味がないものですから。 良助親王は鎌倉時代の亀山天皇の第8皇子。 文永5年生まれ。 母は三条局。 弘安2年京都青蓮院の尊助法親王の元で出家後、親王となる。 永仁7年天台座主。 後、青蓮院門跡等を歴任した。 文保2年8月18日死去。 51歳。 著作は「無量義経疏」など多数。
良助法親王墓 2013-02-17 17:30:55 | 日記 一旦西大門跡へ戻り、良助親王の墓へ。 橋の袂に良助親王云々の石碑がある。 まるで近所にある様な錯覚を起こす。 橋を渡って、尾根伝いに南へ歩く。 橋を渡るといきなり地道に変わり、登山道をひたすら登る。 これが大体2、30分続く。
聖徳太子御誕生水春井を探して3 2013-02-17 17:23:12 | 日記 結局あのまま幾ら歩いても見付からず。 戻る途中で家の横に裏山に登る道を発見。 そこから裏山の果樹園に入ると、春井の石碑を発見。 これは分らない筈だ。 何の標識もない。 でも人の敷地内なので当然かな。 橘寺のある場所で生まれた厩戸皇子がここで産湯に浸かったとか? しかし橘寺からはかなり距離があるし、直ぐ横には飛鳥川も流れているのにここまで来たという事は、よっぽどこの井戸に意味があるのでしょうね。 因みにこの家の表札は橘で、増賀上人の本名も橘です。
聖徳太子御誕生水春井を探して2 2013-02-17 17:15:19 | 日記 春井橋のお地蔵様を過ぎると異様な空間を発見。 地蔵銀座か? お墓も混じってるかも知れないが、密集度が半端ない。 どういう所なのか分らない。
聖徳太子御誕生水春井を探して 2013-02-17 17:09:03 | 日記 念通堀から西大門跡方面へ戻り、今度は聖徳太子御誕生水春井を探して歩く。 ちょっと歩くと、明日香から談山神社へ抜ける新しい道と合流する。 そこにお地蔵様があり、橋の名前は春井橋とある。 ここがそうなのか?