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龍神の怒り?

2013-11-10 21:08:25 | 日記

台風や大雨で川が氾濫した様です。
龍が暴れた後の様です。
でもここでこうなってるという事は、ここいら一帯は冠水したという事でしょうか?
境内の隣の敷地に社があります。
しかし何社か分らず、どんな神様が奉られているのか分りません。
そして境内には天誅組史跡、橋本若狭旌忠碑があります。
何だか塚の様です。

天誅組は大日川での遭遇戦の後に、白銀岳(銀峯山614m)を本陣とします。
この白銀岳(銀峯山)を本陣にお膳立てしたのが橋本若狭とされます。
橋本若狭は宇智郡滝郷の郷士・益田藤左衛門の子で、幼少より武芸を修め、「滝の今弁慶」と呼ばれたようです。
諸国を巡り38歳の時、丹生川上神社下社祠官橋本家に養子に入り、勤王の志厚く天誅組に加盟しました。
栃原、樺の木峠、広橋峠で彦根藩を相手に奮闘。
下市の彦根藩本陣に夜襲をかけた。
東吉野鷲家口での戦闘を切り抜け、大阪で大坂屋豊次郎と名乗り材木商をしながら、同志たちと画策していたが、元治元年(1864)11月に捕縛され、翌年、京都六角獄舎で処刑されました(享年44才)。
縁者により、生誕地の五條市滝町には顕彰碑が建てられています。


丹生川上神社下社

2013-11-10 20:38:54 | 日記

天川村を出て、9時12分に丹生川上神社下社に到着。
天武天皇の白鳳四年(676年)に「人の声の聞こえない奥深い山に神の宿る柱を立て、祀れば、雨をよく司る」と信託を受け、創立されたといわれています。式内社・丹生川上神社に指定されている大社で、二十二社の第二十一位としての1社として遇されてきました。
天平宝字7年(763年)に、黒毛の馬を献上して以来、雨乞いには黒馬、晴れを乞うときには白馬を献上するようになり、水の神として朝廷から厚く保護され、祈雨祈晴はいうに及ばず、たびたびの奉幣が行われたとされています。


来迎院

2013-11-10 20:07:18 | 日記

天川神社の向かいにあります。
天川社へは何度も来てますが、来迎院へは初めてです。
本堂横にある大銀杏が有名です。
役行者の開基と伝えられます。
創建年代など不詳です。
南北朝時代には天河大弁財天神社の堂塔の一部でした。
本尊:大日如来坐像(室町時代の作)
右壇に有る三尊像(中尊:千手観音立像、毘沙門天立像、地蔵菩薩立像)は天正3年(1575)の銘が有るそうです。
左壇には不動明王像と二童子像(ともに室町時代の作)が安置されています。
境内に天文4年(1535)の一石五輪や元禄4年(1691)の五仏板碑などがあります。
稲荷神社が鳥居脇に有り、春にはきれいな枝垂桜が咲きます。
「坪内のイチョウの巨樹」は樹齢約800年で、幹周りが6.5mほどあります(県指定天然記念物)。

南朝黒木御所跡

2013-11-10 19:56:00 | 日記

天河大弁財天社は南朝ゆかりの地です。
天河大弁財天社のすぐ裏にあり、駐車場の横に遺跡への参道石段があります。
芝生の広場が広がり、供養塔が建てられています。
大きな建物が有ったのでしょうか。
ここでは、宮中さながらの栄華を極めたといわれています。
嘉喜門院集に「天授三年七月七日吉野行宮御楽あり、嘉喜門院琵琶を弾じ天皇和歌を詠ず」としるされています。
天河郷には十三通の綸旨、令旨が下賜され現存しています。