台風や大雨で川が氾濫した様です。
龍が暴れた後の様です。
でもここでこうなってるという事は、ここいら一帯は冠水したという事でしょうか?
境内の隣の敷地に社があります。
しかし何社か分らず、どんな神様が奉られているのか分りません。
そして境内には天誅組史跡、橋本若狭旌忠碑があります。
何だか塚の様です。
天誅組は大日川での遭遇戦の後に、白銀岳(銀峯山614m)を本陣とします。
この白銀岳(銀峯山)を本陣にお膳立てしたのが橋本若狭とされます。
橋本若狭は宇智郡滝郷の郷士・益田藤左衛門の子で、幼少より武芸を修め、「滝の今弁慶」と呼ばれたようです。
諸国を巡り38歳の時、丹生川上神社下社祠官橋本家に養子に入り、勤王の志厚く天誅組に加盟しました。
栃原、樺の木峠、広橋峠で彦根藩を相手に奮闘。
下市の彦根藩本陣に夜襲をかけた。
東吉野鷲家口での戦闘を切り抜け、大阪で大坂屋豊次郎と名乗り材木商をしながら、同志たちと画策していたが、元治元年(1864)11月に捕縛され、翌年、京都六角獄舎で処刑されました(享年44才)。
縁者により、生誕地の五條市滝町には顕彰碑が建てられています。