元々ここはお稲荷さんなのですが、後に八幡宮に変わります。
ここの駒狐は大きいです。
西八幡宮 (郷社)
御祭神
誉田別命(應神天皇)一座
田心姫命(宇佐島坐大神)
湍津姫命(宇佐島坐大神)一座
市杵島姫命(宇佐島坐大神)
氣長足姫命(神宮皇后)一座
鎮座の由来
当社の縁起書によりますと、應永十二年(西暦一四〇五年)
又一説に天授元年(神明帳)
母里の郷司廣江氏の弐男廣江兵庫が遠檀原に城郭を築き、西母里を守護するに当たり勧請崇敬したと伝えられる。
はじめ遠檀原に社殿を建立したが、のち現在の地に奉遷した。
山号御笠山、山裾の地域を宮垣と伝えます。
合 祀
御祭神(明治四拾参年八月弐拾六日当社に合祀)
大日霊命
元、能義郡母里村大字西母里字町後に鎮座大神社と称し、由緒文久元年(西暦一八六一年)十一月十二日
伊勢国宇治郷五十鈴河上之鎮座皇太神宮神璽
出雲国能義郡母里領司松平悦之進の臣柴田協奉迎勧請と伝える。
須佐男命二座
元、能義郡母里村大字西母里字町後に鎮座、真根喜神社并合殿園神社と称し、由緒不詳なるが元禄年間の奉勧請と伝える。
經津主命
元、能義郡母里村大字西母里字町後に鎮座、嶽神社と称し、由緒不詳なるが寛文年間の奉勧請と伝える。
軻遇突智命
元、能義郡母里村大字西母里字町後に鎮座、火除神社と称し、由緒不詳なるが文政年間の奉勧請と伝える。
菅原道眞神霊
元、能義郡母里村大字西母里字町後に鎮座、神楽崎神社と称し、由緒不詳なれど文化六年の奉勧請と伝える。
大日霊尊
元、能義郡母里村大字西母里字西市に鎮座、日御崎神社と称し、由緒不詳なれど寛文年間の奉勧請と伝える。
祭日 九月二十六日 事代主命
元、能義郡母里村大字西母里字下町に鎮座、惠美須神社と称し、由緒不詳なれど文化年間の勧請崇敬と伝える。
大己貴命
元、能義郡母里村大字西母里字招に鎮座、佐古神社と称し、由緒不詳。
祭日 九月三十日
猿田彦命
元、能義郡母里村大字西母里字町後に鎮座、導祖神社と称し、由緒不詳。
事代主命
三穂津姫命
元、能義郡母里村大字西母里字城山に鎮座、揖屋神社と称し、由緒不詳なれど亨保年間の勧請と伝える。
祭日 七月十九日・十月五日
境内神社
若宮神社 御祭神 仁徳天皇
武内神社 御祭神 武内宿禰三社合殿
高良神社 御祭神 高良玉垂命
由緒
若宮神・武内神・高良神共に、縁由により勧請崇敬される。
稲荷神社 御祭神 倉稲魂命
由緒
母里藩二代藩主松平美作守直立が元禄七年(西暦一六九四年)
五穀豊穣・領民安寧の守護神として、松江城内稲荷社より勧請せられ、母里藩領内悉く氏子となった。元社地は、現在の忠魂碑の建つ処である。
お祭り
大祭
例祭 十月十五日 (前夜祭十月十四日)
例祭当日祭・神幸祭・紐落祝祭・年賀祝祭
祈年祭 二月二十八日
新嘗祭 十一月二十八日
小祭
歳旦祭 正月元旦 火鑚神事・富籤(御縁起物頒布)
元始祭 正月三日
厄除祭 正月十五日
節分祭 立春前夜 追儺行事(まめうち)
六月大祓い 六月三十日 人形流し・茅の輪神事
夏祭 七月二十五日(前夜祭七月二十四日)
八幡宮・園神社・神楽崎神社・忠魂碑の夏祭り
夏祭当日祭・悪疫防護丹祷祭・神幸祭又町内で神賑行事も盛ん。
除夜祭 十二月三十一日
宝 物
・縁起書 (総州佐倉府小史長澤無己純平撰・雲州後進則武知通筆・元禄五年壬申季夏望)
・文書 宗源宣旨 (元文三年二月二十三日)
・祝詞 (元文三年二月二十三日卜部兼雄郷)
・幣帛 (元文三年二月二十三日神祇官領卜部兼雄郷)
・社号額 (旧領主筆)
・弓箭大額 (松平直方奉納)
・金的大額 (松平直興奉納)
・鷹の額 (幸田安光筆・山下弾之助奉納)
・最古棟札 嘉吉三年癸亥十一月十六日建立/左近将監藤原朝臣俊水