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調子丸古墳

2012-04-19 22:38:12 | 日記

駒塚のすぐそば、調子丸古墳がある。
しかしこの古墳、田んぼの中にある。
ここへ行くには田んぼの中を歩くか、畦を歩くしかない。
ここには説明版も何もない。
もしかしたら古墳ではないのでは?
何だか、シャベルカーで削って行って、ここだけ残してるって感じにも思える。
かなり小ぶりな古墳。
余り大きな石室は作れないだろう。
登ってみると、何かあった様な形跡がある。

因みにこの古墳、帰って調べてみたら、聖徳太子の舎人で、常に皇子に付き従っていた調使麻呂の墓との伝承をもつ古墳である。
考古学的には否定されてるらしいが。


駒塚2

2012-04-19 21:45:29 | 日記
石碑が立っているが、近付けないので何が書かれているのか分らない。
それにこの石達、何か作ろうとしてるのかな?それとも出てきたのかな?
パッと見、新しそうな石の様。
放ったらかしって事なのかな?
この古墳、住宅街にある。古墳をギリギリよけて家を建てたといったところ。




駒塚

2012-04-19 21:24:02 | 日記

聖徳太子の愛馬、甲斐の黒駒の古墳とされている?
しかし幾らなんでも馬の古墳に前方後円墳はないと思う。
それに太子の頃には前方後円墳は殆どなかったのでは?
もし人、それも高貴な方の古墳を黒駒の古墳と言われていたら、被葬者は気の毒である。
ただ、この黒駒、達磨大師の化身とも言われ、太子を乗せて空を飛び、富士山にも行っているし、太子の御廟のある叡福寺の地も空から見つけ、そこを墓に決めている。
額面通り受け取らないにしても特別な馬だったんですよね。
太子の別名は黒駒の太子とも言われています。



椿地蔵

2012-04-19 01:41:39 | 日記

中宮寺宮墓から中宮寺遺跡へ行く途中、気になるお地蔵様があった。
田んぼの中、と言うか奥にある。
あぜを通ってお参りをする。
どうも鎌倉時代のお地蔵様らしい。
やはり回りに沢山の小さなお地蔵様を集めている。
そして立て札には、帰りにはあぜを通らないで、と書いてある。
まるで見られていた様な気分。
確かに他にも道があったので、そっちを通って帰った。