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名古屋の神社

名古屋、近郊の行ける範囲の神社の記録

大黒天(台観寺)

2019-08-13 16:16:48 | 名古屋市千種区

大黒天(台観寺)
県道30号線(関田名古屋線) 姫ヶ池通1交差点東200mの場所にある寺院。
西隣に西蓮寺があり細い道を東に向かった南向き。

山門左に園明山台観寺、右側に願主 堀榮七の石柱。
 
山門左柱に弘法大師御自作 名古屋大黒天の看板。

境内正面に本堂。

左側に東向き大黒天。

本堂。

大黒天。

大黒天の額が掲げられ中に厨子。
   

千種区城山新町2-74


豊彦稲荷社(揚輝荘)

2018-02-25 13:03:47 | 名古屋市千種区

豊彦稲荷社(揚輝荘)
日泰寺南東150m、県道30号線(姫池通)西90mの場所にある松坂屋 初代社長伊藤次郎左衛門の別荘の揚輝荘。
戦前は留学生の宿舎、戦中は日本軍、戦後は米軍に接収され、その後は松坂屋独身寮として使用され中央部がマンション建築とともにい南北に分けられ市の有形文化財として解放されている。
北園池泉回遊式庭園に稲荷社が庭神様が設けられている。
北園は入場無料で日泰寺側(西)に入口がある。
 
池泉回遊式庭園の池北側に南向きの稲荷連鳥居がみられる。
 
白雲橋は現在改装修理中で幕がかけられている。
 
池の中の中島、対岸の稲荷社。
 
正面に石鳥居、左側に神社石柱。

豊彦稲荷社の神社石柱、石鳥居の奥に朱塗りの稲荷連鳥居。
 
石鳥居をくぐった右側に御手洗清水石。

連鳥居の正面には豊彦稲荷社の額が掲げられて登り参道。

境内前に銅版の豊彦稲荷社の額が掲げられた赤鳥居。
  
境内入口の赤鳥居脇に狛狐、右像が玉、左像が巻物を加えている。

境内左側に伴華楼への出入口、外側には説明書。
 
稲荷社本殿。

本殿のある高所には金属製の二の狛狐、内側を向いており右像が玉、左像が巻物を加えている。

本殿上部に宝珠に狐の彫刻。

堂内の社にも駒狐、少年像は誰?

本殿右側にも出入り口。

池泉回遊式庭園の東側にも常夜燈と奉納表示の御手洗清水石。


千種区法王町2-5-21  

本日CBCラジオにてこの稲荷社は戦前に京都松坂屋にあったものを移設したものとのこと。(2018年5月25日)


日泰寺

2018-02-25 12:54:23 | 名古屋市千種区

日泰寺 
地下鉄覚王山駅から参道を450m北北東に向かった寺院。
 
県道30号線の姫池通から日泰寺の五重塔への道を西に150mの南東入口に石鳥居がみられる。

庫裏に向かう車道左に東向き石鳥居。
 
車道から石階段で高所に上がった場所。
  
鳥居をくぐった左側に眞清田弘法大師の縁起の説明書。
 
東向き大小の社殿。

真清田神社の分社か? 小さい社殿はなに?
  

石鳥の正面に西向きの地蔵群。

弘法像、観音像、馬頭観音、観音像、大黒様。
    

千種区山門町1-28


蝮ヶ池西八幡社

2018-01-09 15:14:37 | 名古屋市千種区

蝮ヶ池西八幡社  
桜通と環状線の内山町交差点西125m、ヤマダ電機の東側を北に95mの場所にある東向きの神社。
向陽にある蝮ヶ池八幡宮の飛び地境内社。
国鉄の管理地がJR研修センターになりヤマダ電機に建て替えられた時点で廃社になっていたと思っていたのだがオオタさんのブログで存在が確認できた。

玉垣の入口を入った右側に水表示の御手洗清水石、その後ろに小型の御手洗石。
 
玉垣を入って左側には祭器庫。

壊れた蕃塀、その上に由来記。
  
正面に唐破風の拝殿。
 
拝殿奥、高所に本殿。

本殿前の左側に蝋燭台、中に白蛇の置物。
 
本殿前の狛犬。
スマートな他に見られないタイプ。
 
東向き本殿。


千種区 内山町1-20-17


秋葉堂 役行者(善久寺)

2017-08-28 16:56:51 | 名古屋市千種区

秋葉堂 役行者(善久寺)   
県道60号線 千種駅東交差点南200mの場所にある住龍山 善久寺。
南向きの新しい山門に曹洞宗 善久寺の看板。
 
山門正面に本堂。
 
本堂左前に石仏が置かれた清水石。
 
本堂右側に庫裏。

本堂左側、道場左前に東向き秋葉堂。
 
秋葉堂右前に善久寺秋葉殿の神社石柱。
 
堂内の厨子内に不動明王像。
  
秋葉堂右にぎ義農 小塚鉞助招魂碑。
明治初期 地租改正で小作料が50%も引き上げられることに対抗して愛農社を結成この寺に本部を置いている。
 
招魂碑から西側山門奥に観音像と役行者が祀られている社。
 
役行者。
 
役行者の左側に不動明王を中心に左側に東向き地蔵群、右側に西向き馬頭観音など観音像。
   

西側山門には木製門扉がある、左側に城東 西国 第十七番札所の石柱、山門左に曹洞宗、右に禅宗 善久寺の看板。
   
その右に駐車場の入口。


千種区今池1-26-22


弁財天(永弘院)

2017-08-18 10:46:54 | 名古屋市千種区

弁財天(永弘院)   
県道215号線の出来町通の晴明山東南東230m、谷口交差点西南西195mの場所にある南向き上野山 永弘院
左側には旧八坂社の駐車場、正面の山門。
   
山門右前に上野山 永弘院の寺柱、山門に東海四十九薬師霊場第二十八札所の看板。

 
山門をくぐって右側に百度石。
  
右端に馬頭観音と上野城址碑。
 
城址碑の北側に南向き観音堂。

その北側に鐘楼。
 
その奥に寺務所。


山門をくぐって左側に睡蓮池、対岸に東向き弁財天社。

弁財天の社は石造り、右前に弁財天像。
 
社の北側に社への通路、その入り口左側に弁財天の神社石碑。
 
弁財天の北側に東向き弘法、地蔵堂。

地蔵堂と水子地蔵の間に旧八坂社の駐車場への出入口、その北側に杉山地蔵。

本堂。


千種区上野1-4-18


御嶽神社

2015-11-19 09:39:40 | 名古屋市千種区

御嶽神社    
地下鉄自由ヶ丘駅西南西430mの場所にある東向き神社。
日泰寺奉安塔前からの道で宗徳寺前の脇道に挟まれた場所にある。
神社正面の入口は南向きにある。

東西に25mほどの横長の神社で中央の鳥居がある部分のみが入り口。
鳥居の西側、御嶽神社の裾野部分、御嶽神社の参道部分、正面の弘法像部分、その東の稲荷社部分(社務所裏側)、東側の地蔵、石碑の5つに分けることができる。



鳥居の右側部分、御嶽神社の裾野部分。

左端に御嶽神社道の石柱、弘法像と思われる石像が八体、右端像の左に星覚霊神の石柱もあるので星覚霊神か?
中央に御嶽神社の大型石柱。



鳥居正面の弘法像部分。
鳥居には御嶽神社の額が掲げられている、鳥居をくぐった右側に御手洗清水石、その奥に百度石。
正面に左に弘法像、中央に清覚霊神の石柱、右に清覚像。
 


御嶽神社の参道部分、東向きに二の鳥居。

石鳥居左に覚久霊神。

狛犬、吽像の後ろに溶岩で作られた御手洗清水石。

御嶽を模して造られた山道。

左側に不動像、三笠山と彫られた石碑に挟まれて石造りの社。
 
右側に円形の御手洗清水石、その後ろに石像群、八坂明神、清福明神などの石碑もある。

山頂部前右にも不動像。

山頂には社とその左に御嶽山大の石碑。



鳥居正面の弘法像を右に行くと社務所の裏の稲荷社部分。

狛狐奥に稲荷社が三社。

左右の小社前に二の狛狐、中央の社の前に三の狛狐。
この三の狛狐には壽神社の銘が入っている。

その右に白い石造りの社。



白い社の右に不動像が四体、立地蔵が三体。
 
少し離れた場所に社、狐像があるのでこれも稲荷社か?


もっとも右奥に南無三十六童子の石柱と地蔵、その奥に石碑が並ぶ場所。

石碑は龍王系のもので白龍王、赤龍王、薬龍王、南龍王、御運龍王、北龍王、金龍王、黒龍王、八大龍王がある。


天王社 秋葉社

2015-03-08 17:20:05 | 名古屋市千種区

天王社 秋葉社
守山区の矢田川と荘内川に挟まれた三角地帯によく見られる天王社が矢田川とその支流の香流川の三角地帯にも見られた。
新屋敷公民館の東側に後ろ向きに鎮座。

縞格子鞘堂は南向き、赤塗で瓦屋根。


鞘堂前の石灯籠は秋葉山常夜燈の文字が彫られている。

左側(西)が秋葉社、右(東)が天王社。


門前社 一畑山薬師寺 名古屋別院

2015-02-28 13:28:45 | 名古屋市千種区

門前社 一畑山薬師寺 名古屋別院
塩付街道沿いにある有名な寺院。
東向き門が開かれている。

本堂。

本堂前左側に水神様。

本堂の右前には社、本堂前右側には祠。

本堂前左から石山大権現、天姫龍神の石柱、青長龍神、白天竜王大権現、末広稲荷大明神は東向き。

本堂前右側奥から弁財天、地蔵菩薩、毘沙門天・大日大聖不動明王・弘法大師の合堂。


金森明神

2014-11-13 11:30:08 | 名古屋市千種区

金森明神

アパートのの敷地の東端、一段上がった場所にある南向きの社。

石造りで表面にン文字が刻まれている。


2007年4月当時の写真と比べると植木が大きくなり見えにくい。


千種区の山口街道と民俗史跡めぐり
金森明神(かなもりみょうじん)
別名「景清さま」と呼ばれ、眼病に霊験があるといわれている。景清とは、源平の合戦で失明した平家の武将である。


三十番神社

2014-11-13 11:26:35 | 名古屋市千種区

三十番神社

神社左側、石段前に御手洗清水石。

三角の東を向いた岬上の場所に東向きに鎮座。

社左右に常夜燈を持つ。





2007年4月時点の画像と比べると明るくなった?


千種区の山口街道と民俗史跡めぐりより
三十番神社(さんじゅうばんじんじゃ)
陰暦の1日から30日までの毎日を交代して法華経を守る神を三十番神といい、その神々を祀った社だといわれている。