昨夜の東京国際フォーラムですが・・
madameHも参加されて、早速ブログにアップされています。→コスプレって楽しいな〜♬
インディアンルックでシックに決めた、madameHから、熱い興奮のコメントも頂いています。
『もう、午前3時なのに興奮覚めやらず
ジュリーのCDを掛けて真夜中のワンマンショーやってます*\(^o^)/*
ライブの素晴らしさは皆さまと同様に筆舌に尽くしがたいです!
今までも何かと問題が起きやすい国際フォーラムの会場ですが
私は好きなんです。スーパースターならではの大舞台ですから。
超満員御礼の5000人規模のホールで歌うジュリーは
ますます声が伸びて、本当に気持ちよさそうでした。
殆どMCが無かったのは、ちょっと寂しかったけれど…
2階の席だったので遠目ですが、あまりお酒飲んでいないせいか
シュッとして細くなりカッコ良かったです。
声も朗々、ジャンプも軽々、ランニングも楽々。
出来ればこのままキープして欲しいです。
私、今回は「おまえにチェックイン」のコスプレです。
ブログ記事にしましたので、後で見て下さいね〜』
多くの有名人の方がツイッターで昨夜のライブを絶賛されていますが、メッチャ長くなってしまうので・・
湯川れい子さん『今、国際フォーラムの沢田研二さんのライブを見て、一緒に行った仲間と夕食を食べて帰って来ました。やっぱり「その人にしかない声」と言うのは強味ですね。歌い手は声だ!、とつくづく思った夜でした』
スージー鈴木さんのツイッターと、ブログ 沢田研二@東京国際フォーラム。簡素なバンドをバックに1コーラスしばりでベストヒットを歌う珍企画。歌うほどに声が伸びてくる「歌獣」。中では意外にも80年代後半モノが良かった。当時の地味ながら力強い曲調が一周回って69歳の声に合うのか。例えば久々に聴いたこの曲。B面は渡辺晋追悼曲。
また読み返して感動しました。→20131124/ザ・タイガース時代の沢田研二が背負っていた深い孤独。
①http://suzie.boy.jp/index1310-1312.html#20131124
② http://suzie.boy.jp/index1310-1312.html#20131201
③http://suzie.boy.jp/index1310-1312.html#20131203
それにしても・・・ コメントやメールを下さった方の熱いご報告だけではなく、昨日行かれた皆様のライブに対する感動の熱量が あまりに大きすぎて 何があったの、どうしたの?いつものライブとジュリーと、どこがどう違うの?行かなかった私としてはその瞬間、ライブのその場に居なかったことが残念なほどです(TOKIOは遠いので・・
)
コメントやメールでは、タロー・ピー・サリーが来られていたと伺いました(トッポは来ないのね)大悪名のメンバーの方達も来られていたとか。デビュー当時からの同士に、芝居仲間たち、超満員の5000人の観衆を目の前にして、さすがのジュリーも胸がいっぱいになったのかしら。「いくつかの場面」では泣いていらしたとか・・
多くの観衆を前に、50年の感謝の気持ちを述べられたというジュリー。今のこのジュリーとファンとの幸せな時代だからこそ、あえて「寂しかった暗黒の90年代」と呼んでしまいますが、たまのライブでしかジュリーを見られなかった90年代のあの頃が、今は昔・・・
関東のJ友さんが「関東はライブもイベントも沢山あり、J友も多く、そんな寂しい思いはしなかった。ライブにはお客さんも入っていた」と、そう言われていましたが、地方はそうはいかないのです。(それでも神戸は恵まれている方なんですが)中国地方や四国のJ友さんが、長らくジュリーのコンサートが行われなかったと言われていました。それはきっと九州や東北も同じ状況だったのでは?ジュリーは行きたくても呼ばれなかったのです。
ジュリーほどのビッグネームなら、適当にTVに出て昔の歌を請われるままに歌えば、お茶の間に「あの人は今?」「まだ、やってたの?」などと言われることもなく、楽に歌い続ける道はいっぱいあったはずです。タイガース解散後、ソロになった後「演歌を歌ったらいい。」「ハンサムだから役者になるんじゃないの」という声も聴きました。演歌を歌うジュリーが想像できない💦 でも決してそうはしなかった。自分の生き方を曲げず、ブレずに頑固に歌い続けていた結果、世間がようやくジュリーの歌声に気がついてくれたのかと思います。
いつも楽しく拝見勉強させていただいています
フォーラム参加しました
皆様おっしゃるとおり 何かわからない熱のようなものがあったと思います
私が初参加した2016年1月は とても空気が硬く 緊張感があったように感じました
2017年1月は「みんな怒ってんの?大阪はもっとあったかかったよ」ってジュリーに言わせてしまいました
だから これが本当のジュリーのライブなんじゃないかと 今思っています
私の知らないずっとずっとを 続けてきたあの頃って
きっとこんな熱量 若い分もっともっとだったのでしょう
皆様がうらやましくてしかたありません
ご紹介いただいた「沢田研二が背負っていた~」を読みながら 今日も涙が止まりません
パワフルでかっこよくてかわいいおちゃめなおじいちゃん いろんなことが全部あっての 今のジュリーですね
おとなしくしていようと思いながらも 思わずコメしてしまいました・・・これも熱のせい?
ありがとうございます
saoさんこんばんは
なにがどう違っていたのかって聞かれてもはっきり答える事が出来ません。本当に、熱かった。確かに、声も出ていたし、伸びもありました。嬉しい言葉もいただきました。でも、それだけではない何かが確かにあったと思います。
上手く表現出来ませんが、今まであった、ジュリー様との決して縮まない距離が少しだけ近づいたような感覚がありました。
「寂しいかった暗黒の90年代」とは???
このフレーズ。。。とてもイヤです、悲しくなります。暗黒??
私は、あの時代を暗黒なんて一度も思ったことなかったですよ。
当時私は、地方に住んでいて、仕事をしながら子育て中でした。
ライブに行けるのは、年に一度か二度ほどでした。
実家と家族の協力のお陰です。でも、私もライブに行く為に、それは、それは、頑張りましたよ‼
ライブに行けば、ジュリーはいつも私を夢の世界に連れて行ってくれました。私にはかけがえのない素敵な時間でした。
購入したCDを聴いて、ライブを思い出す。
そんな一年でした。。。。でも、なかなかCD一枚を全部まとめて聴く時間も無かった。
当時の私は、ジュリーが沢山テレビに出たとしても、見逃す事が多かったと思います。
でも、「寂しい暗黒の90年代」では全くなかったです。
ジュリーは最高に素敵でした
『2016年1月は とても空気が硬く 緊張感があったように感じました
2017年1月は「みんな怒ってんの?大阪はもっとあったかかったよ」ってジュリーに言わせてしまいました』
16年はジュリーがフォーラムで怒った頃でしたが、今年の1月に「みんな怒ってんの?」なんて言っていましたか
今年のお正月の新曲ばかりのセットリストが、ファンの方々に身構えさせてしまったのでしょうか? ジュリー自身も観客がどんな反応をするのかという、心配もあったのでは・・ きっと歌い出したら空気は変わったと想像しています。
昔のジュリーのライブの熱量はもちろん若い分、全力で走り回る!ジャンプする!というパワーが凄かったです。
今は昔のように舞台の上をグルグルと走り回ることは無くなりました。でもだから衰えた、なんて思いません。
若さは青さで、固くて未成熟な魅力です。今は年齢を重ねたからこそ出せる魅力があります。円熟から爛熟へ、その年代ごとの最高のパフォーマンスを見せてくれるから感動し、皆が応援しているんだと思います。
スージーさんの文章いいですね!これからもジュリーを見続けて発信し続けていただきたいと思います
『 ジュリー様との決して縮まない距離が少しだけ近づいたような感覚がありました。』
席が例え1列目のセンターでジュリーが眼の前で歌っていようと、ジュリーは哀しいかな遠い人です。
でもジュリーとの距離は永遠にあっても、その歌声は自然に体の中に入り込み、心に沁み込んでいくのです。
歌声さえあれば近づける、その感覚はありますよね!
70年代から80年代半ばまで、ジュリーをTVで見ない日はないという日を過ごし、3日もTVで見ないと寂しくて~ 今から思うとあれは贅沢極まりない黄金の日々でした。
それが90年代になるとTVには出ない、全く情報もない日々で寂しくて寂しくて。。 次のコンサートは数ヶ月後かと思うと、ドヨ~ンと落ち込んで、こうしてジュリーを忘れていってしまうのかも?と思ったことも有ります。自分自身が抱えるストレスも大きくて、ジュリーを含めた全てを明るく前向きに捉えられなかったという事もあります。
ネット時代の21世紀になり 瞬時にジュリー界と繋がれるお蔭で、ジュリーが超売れていた頃みたいに今は浮かれています