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BORO、沢田研二への楽曲提供エピソ-ド「柏原芳恵の喫茶☆歌謡界」

2023年04月24日 | TV・ラジオ・CM・映画

 

コメ欄に『『J:COMTV 4月22日・土曜 22:00~「柏原芳恵の喫茶☆歌謡界」という番組のゲストがBOROで、楽曲提供という話で 沢田研二の名前があります🎶 何かエピソードが聞けるかも?』と、教えて頂いたので見ました。

 

柏原芳恵の喫茶☆歌謡界〜ゲスト:BORO 後編〜大阪で生まれた女19/ソネット

BOROが「大阪で生まれた女」続編を、柏原芳恵が村下孝蔵の「ソネット」を熱唱!▼沢田研二や森進一らへの楽曲提供爆笑エピソード▼「19」誕生エピソードと込めた思い

J:COMテレビ番組表

 

「大阪で生まれた女」のヒット後、BOROさんには楽曲依頼が殺到、(「大阪で・・」のBOROさん自身の歌声が流れて、ショーケンと声質が似ていると思いました。)

楽曲依頼は「大阪で生まれた女」みたいな曲を作ってと・・(苦笑するBOROさん) 

「どんな方から依頼がありましたか?」

「根津甚八松田優作、沢田研二・・・そういう感じの渋めの、ちょっと男っぽい感じの人から沢山来ました。」(※ジュリーはどちらかというと、渋さや男っぽいキャラではないですが、BOROさんを見出した裕也さん繋がりかも)

「沢田研二さんにはどんな曲を?」

「沢田研二さんはちょうど離婚された時で、遊んだ男の懺悔ソングにしようと思って・・遊んだ男が申しわけなかったという歌なんですよね、そういう風に作ったんです」(※BOROさんの思い違いで、離婚前にすでに曲は完成していました)

歌い出すBOROさん

♪もっと もっと やさしく愛して‥♪ やさしく愛せば良かった・・

この歌は20番くらいまである。ダーっと作って後で圧縮するんです。

思ったよりも高い声で歌いだすBOROさん、そこにはジュリーとは違う哀愁がありました。「やさしく愛して」は、昔の裏話とは関係なく、歌詞も曲も心をとらえて離さない、やるせなくも美しい曲で好きなんですが。「男の懺悔ソング」とはっきり言われてしまうと、なんだかシュンとします。男が申しわけなかったと口では言ってもね・・、それは自分に酔っているだけ、自分が納得しているだけなんじゃないの?と女の私は思う。

この曲を今のジュリーで聴きたいな、と思っていた部分が私には有りましたが、番組のお陰で、この先も歌わないだろうと思いました。ただやっぱり、そういう部分を切り離して聴きたい。コインが落ちる音は雑踏の中からは消えてしまった現代だけど、心を締め付けるような歌詞は切なくて、曲として大きな魅力があります。

この後は、裕也さんにTVに出ろと言われて出演したが、自分には合わない。森進一さんとは声が似ていて、本人の代わりに歌っても気がつかれなかったとか、面白いお話でした。

2015年に出した「大阪で生まれた女19」は、歌詞に大阪の「都構想」が含まれていて、今風の現代的な、大阪の変わらない、変われないけど弱くはない、しっかりと今を生きて誇りもある、孫も出来た家族思いの女の姿が歌詞の中で語られていました。テロップの歌詞に見入ってしまい、感動しました。



 

23日の函館市民会館のジュリーライブでは、コメ欄にいただいたメッセージによりますと『函館市民会館 あなたへの愛♪ やり直していた。』そうです(^^ゞ 皆様の函館レポをお待ちしてます♪

J友さんから教えて頂きました⇒ 染五郎さんが早川タケジデザインを纏う。雑誌 SPUR「市川染五郎が70年代の東京の感性を纏う。早川タケジとコラボレーション」

 

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4 コメント

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Unknown (澤ノ井謙)
2023-04-24 22:51:18
Saoさん御無沙汰です。
「やさしく愛して」今でも車の中でたまにCD聴いてます。
テレビで歌ったのは確かに1987年1月7日関テレの夜ヒット(本番後に梨本氏ら多数のレポーターに楽屋からエレベーター駐車場まで囲まれ翌日各スポーツ紙1面トップになってしまったあの日)だったから、BORO氏の記憶も誤ってしまってるようです。前年1986年4月7日読売テレビで21時から放送された「沢田研二37歳の再出発」の中で同年2月にレコーディングスタジオで次のシングル候補曲を選定している場面があり、BORO本人が自ら吹き込んだデモテープをジュリーやスタッフで聴いてる場面がありました。ジュリーは「いいねー!!(目元に指あてて泣くしぐさしながら「もう、コレもんだねえ!とたいそうお気に入りでした。(結局この時シングルは「アリフライラゥイライラ」「愛の嵐」になっちまった)
翌年夜ヒットでこれ歌ってるの観た時「確かに以前聴いたことあるで!」と上記のビデオひっばりだして見たものです。従って少なくとも、あの1987年1月7日の約1年前にこの曲は誕生していたのです。
1992年12月の福岡サンパレスでのライブのアンコールラストで歌ってくれました。会場の一部の人たちは1年最後の仕事納めライブのアンコールラスト(この頃の秋からのツアーは仕事納めは福岡年明け仕事始めが大阪のパターンだったですね)という事でシングルのおなじみの曲を期待していた雰囲気がありましたが、小生はナマで、この曲を聴けた感動で涙腺緩んだのを覚えてます。
はっきりいってBOROの一押しは「大阪で生まれたー」ではなく、この曲しかありません。70代のジュリーにまた歌ってほしいです。
Unknown (kayoko)
2023-04-25 17:58:24
『優しく愛して』 男の懺悔song!と、
ど直球過ぎで思わず 一人で苦笑いでしたが、20番までもあったら どんだけ懺悔させられるの?と…ww でも私もこの曲大好きで 本当に今のジュリーが歌ったら素敵だろうなぁと思います。
今更ですが、先月BS3で連続4回放送の 《世界サブカルチャー史 欲望の、系譜 逆説の60~90代》日本編 録画していたものをようやく見ました。70年代の最後には長谷川和彦監督『太陽を盗んだ男』、80年代では糸井重里氏のコピー取り上げられ 当時の映像をバックに『TOKIO』が流れました。音楽、映画、演劇等…
3回目の3月11日放送の80年代はYMO、坂本龍一さんも。この番組そのものが再放送だってのかどうかも 定かではありませんが、ひょっとしたらまた放送されるかも? と思い 池田道彦さんの今日も舞台を創る を読み終えてこの時代を振り返っていました。長くなってごめんなさい😣
Unknown (sao)
2023-04-25 20:27:01
>澤ノ井謙さん、コメントどうも有難うございます(^^)
>『BORO氏の記憶も誤ってしまってるようです。』
そのとうりです、BOROさんの記憶には誤りがあり「やさしく愛して」は離婚の前には完成していました。
>『前年1986年4月7日読売テレビで21時から放送された「沢田研二37歳の再出発」の中で同年2月にレコーディングスタジオで次のシングル候補曲を選定している場面があり・・』
あの番組で放送していましたが、今になって昔を蒸し返すのもどうかなと思い、あえて触れずにおきました。
あんまりジュリーの心情に寄り添いすぎていたせいで、シングルは「アリフライラウィライラ」になったんですかね?
「やさしく愛して」の方が売れたような気が(^^; それとも、CM曲には「アリフ」の方がふさわしかったとか? それもこれも全てが、もう遠い昔話で「たら」「れば」とか、今更いう気は有りません。
>『1992年12月の福岡サンパレスでのライブのアンコールラストで歌ってくれました。』
そんな思い出がおありでしたか、ということは私も92年のツアーで聴いていたのかもしれませんね。

>『70代のジュリーにまた歌ってほしいです。』
あのころからは、もう一周も二週も周ってしまいました。いきさつを知らないファンも多いことでしょう。そういうことなら、私も70代のジュリーに是非歌って欲しいと思います!
Unknown (sao)
2023-04-25 20:30:50
>kayokoさん、コメントどうも有難うございます♪
>『『優しく愛して』 男の懺悔song!と、ど直球過ぎで思わず 一人で苦笑いでしたが、20番までもあったら どんだけ懺悔させられるの?と…ww』
懺悔ソング・・、ほんとに苦笑しかありません。BOROさんは、書き出したらダーっと止まらなくなるそうです(^^;

>『《世界サブカルチャー史 欲望の、系譜 逆説の60~90代》日本編 録』
え~😓 日本編が放送されていたのですね!
なんという不覚、アメリカ編は面白く見ましたが、何故かその後は見ていませんでした。とっても残念です、日本編が見たかった!
8月にEテレで再放送があるそうなので、ずっと先の話ですが、必ず見たいと思います、あ~ 残念。😓

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