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阪神淡路大震災から26年目

2021年01月17日 | 日記

今年は職場での大震災の黙祷が無かった。コロナ禍のせいだろうか。

去年の25周年は行けなくて残念だったので、今年は仕事をさっさとすませ、こんな時ではあるけれど、2年ぶりに東遊園地の会場へ。

例年よりも来場者は減ったとニュースが伝えていた。

ロウソクに鎮魂の火を灯してきた

当時の神戸、芦屋、西宮、被災写真が展示されていて

一枚一枚に見入ってしまい、やっぱり涙涙・・

東日本大震災の被災時間、14時46分18秒に合わせて黙祷。

多くの局のTVクルーが一斉にカメラを向けていた。

亡くなった方たちの魂が安らかでありますように・・

阪神淡路の震災を、私たちが忘れるはずなどないのだけれど

神戸ではもう、若者の多くは震災を知らない。

この先も伝えていかなくてはいけないと思う。

 

東遊園地の帰りに、タンタンの大きな看板を見た。

タンタンは阪神淡路の人たちを勇気づけるために神戸にやってきたが、25年たって中国に帰らなければならない。お願い、もうちょっといて。

家でニュースを見ていたら、会場の文字が写っていた。

がんばろう、だったのか。

横から見ても何と書いてあるのかわからなかった(^^;

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「桂春団治」博多座(2007年)

2021年01月17日 | JULIE メモリーズ

初詣で思い出した。去年のお正月、7日は福岡でのお正月ライブに参加していました。翌日の8日に初めて大宰府にお参りしたが、それがもう1年も前。1月初めのあの頃は、世の中はまだ平和だったなぁ・・・コロナの前にお正月ライブが開催されたことは、幸運な事だったと今は思える。

大宰府は令和ゆかりの地。

大宰府で梅が枝餅を食べ、その後 バスで博多駅前に戻ってから、地下鉄🚇で祇園まで行き「伝統文化コース」をウォーキング。神社仏閣に古い町並みや博多山笠を見学、私にとってジュリーの縁の地も巡りました。

地図を見ながら、テクテク歩いて博多座の前で写メ。ジュリーは2007年、「笑艶 桂春団治」で博多座に初出演したのです。大きなビルの中に博多座はある。

2007年、再演の「笑艶 桂 春団治」は、4月新橋演舞場、5月博多座、6月大阪松竹座。関西の松竹座にも行ったけれど、初めて博多座(5月3日~5月27日)で観劇。時期はGWが終わったあとくらいだったかな。

新幹線の駅を出ると、博多座の周りは美しく整備された大都会だった。私からすれば遠い九州、大阪とも東京とも違う計画的な美しさ、新しく巨大な人工ビル群に近未来的な感じさえして、第一印象で圧倒された。

博多座もしかり、春団治の芝居のチケット代金が、他は11000円ほどなのに、博多座は13000円もした。劇場を見て、なんで高いのかよくわかった。建ってからまだ新しいので料金体系が高いのね。

2007年当時の博多座の画像。階段を上がると劇場に入る。ここでお芝居のジュリーのポスターをお土産に買った(^-^)

九州のJ友さんが取ってくれた席は、確か1列か2列のセンターに近い超神席!!私は、ジュリーの演じたお芝居の中で、艶やかな着物姿の色っぽい春さんが一番大好き(画像は新橋)

芝居が終わったあと、J友さんが出待ちをしましょう。というので、駐車場の出口でしばし待つ。他に待っているファンは、わずかに4~5人ほどしかいなかった。

車に乗ったジュリーが出てきて、ただボーっと立ってそれを見つめるだけの私たち。ところが、なんとジュリーの方から、車の中から手を振ってくれたのよね!慌てて必死に手を振る。ジュリーの愛想の良さにビックリした~ もちろん嬉しかったけど 出待ちの人の人数の少なさが良かったんだろうか?ジュリーのお隣には、眼鏡のまだ若い女性が乗っていた。事務所の関係者か?

2009年の「ジュリー祭り」後の京都の南座では、大人数の出待ちのファンの大群が出口で待ち構えていたのに、ジュリーは遂に姿を現すことは無く、皆 がっかりして帰ったのよ。ジュリーは来ません、早く帰ってと関係者に追っ払われたの。

2020年の博多座の入り口

方向音痴の私でも、地図を見れば1人で歩き回れた。次はいつ行けるのかしらね・・

 

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