今年は職場での大震災の黙祷が無かった。コロナ禍のせいだろうか。
去年の25周年は行けなくて残念だったので、今年は仕事をさっさとすませ、こんな時ではあるけれど、2年ぶりに東遊園地の会場へ。
例年よりも来場者は減ったとニュースが伝えていた。
ロウソクに鎮魂の火を灯してきた
当時の神戸、芦屋、西宮、被災写真が展示されていて
一枚一枚に見入ってしまい、やっぱり涙涙・・
東日本大震災の被災時間、14時46分18秒に合わせて黙祷。
多くの局のTVクルーが一斉にカメラを向けていた。
亡くなった方たちの魂が安らかでありますように・・
阪神淡路の震災を、私たちが忘れるはずなどないのだけれど
神戸ではもう、若者の多くは震災を知らない。
この先も伝えていかなくてはいけないと思う。
東遊園地の帰りに、タンタンの大きな看板を見た。
タンタンは阪神淡路の人たちを勇気づけるために神戸にやってきたが、25年たって中国に帰らなければならない。お願い、もうちょっといて。
家でニュースを見ていたら、会場の文字が写っていた。
がんばろう、だったのか。
横から見ても何と書いてあるのかわからなかった(^^;
Saoさんのブログを読むのが日課になり、コロナ禍の癒しになっています。ありがとうございます。
震災は個人でボランティアに行っていました。
長田町の焼け野原、三宮の瓦礫の中を歩く人々、中華街での屋台、避難所の光景etc...26年経った今も記憶に残っています。風化しない事を願うばかりです。
>「今、為すべきことを為せ」まさにそうです。感染に気を付けて過ごしたいです。
コロナ禍の中で、今年は体調を崩されることが無くて良かったと思います。ジュリーのライブが再開されるまで、皆が元気でいないといけません!
震災の時にボランティアに行かれていたのですね。あんな誰もが大変な時期に、人の役にたたれるとはご立派です✨
震災の時の光景は、心の中に焼き付いてしまい一生消えないと思います。日本中の誰もが被災者になる可能性があると、伝えていかないといけません。
震災の後、大阪と神戸の行き来で歩いたなぁと思い出しました。
バスも出るようになったけどそのバスに乗るのにとてつもなく長い長~~い列を並ぶんですよねぇ。
みんな黙って耐えてました。
文句を言う人はいませんでした。
並んでる途中のお家の壁に「見るな!見せもんと違うぞ!」と張り紙がしてあったりしてね。
なんとも言えない気持ちになりました。
当時の職場は大阪で「神戸に見物に行きたい」と言った人がいました。
その他、心がズタボロになることも多々ありました。
いちいち気にしてたらもたないので何も感じないようにしていたら何も感情が出なくなった時期もありました。
東遊園地には一度も行ったことがないんです。
ちょっと行けないです、まだ。
震災後に大阪までの通勤は、それはそれは大変な難儀なことだったと思います。三宮駅前でバスを待つ人の、静かな大行列を思い出します。
震災1週間後に大阪に着いたら、梅田の駅前はネオンが煌々と輝く普段の日常そのままの光景でした。真っ暗な神戸から来ると、ネオンの明るさがあまりに眩しくて、被災者そのままの自分の姿が場違いに思えました。
こんな時でも、2月のジュリーの大阪フェスのコンサートに行けるのだろうかと、一番に心配したというのはほんとです。
遠方の友人には、こちらの状況をろくに理解していない人もいて、想像力のなさに呆れましたが、そういう自分は以前に日本で起きた数々の災害に対して、ただの傍観者に過ぎなかったと、この時ようやく自覚できました。