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川越の映画館「キネマの神様」

2020年11月04日 | キネマの神様、2021年公開

J友様から、「キネマの神様」のロケ地になった、川越のスカラ座の画像をいただきました。有難うございます(^-^) 最近のシネコンとは違う、昔ながらの映画館の佇まいに、ここでジュリーが共演者や、山田監督と撮影を・・!と思うと、ほんとに特別な映画館ですね!

J友さんが「炎の肖像」をご覧になったという、同じ川越にあった川越日活は、もう遠い昔にすでに閉館していて、残っていた建物も建て替えになるという寂しい話を聞いています。川越スカラ座は、この先も川越の観客とともにあり続けて欲しいと思います。

 



ぺこりんさんに、教えていただきました、⇒志村さんと漫画の神様の思いも反映「キネマの神様」

志村けんさん(享年70)の急死で、主役が沢田研二(72)に代わった映画「キネマの神様」は年末に2日間の撮影を残すだけとなっている。

映画が公開される来年でデビュー60年となる山田洋次監督(89)に、この作品に込めた思いを聞く機会があった。

「志村けんさんが亡くなったのがショックでねえ。ずいぶん悩んだんだけど、結果、ベストの選択ができたと思ってます。沢田研二さんにやってもらえることになって、主役(の設定)はコメディアンからスターになったけど、撮影所、カツドウ屋というものをしっかりと描きたいという思いは変わりません」

山田監督が松竹撮影所に入って間もない頃がこの作品の舞台になっている。当時、大船撮影所には木下恵介、小津安二郎ら巨匠もいて活気があった。

「50年代から60年代にかけての撮影所は明るかった。大部屋のエキストラの人まで含め、みんな社員で終身雇用だった。毎晩遅くまで撮影があったから、残業代がいっぱい入ったし、普通の会社員に比べると裕福だった。おしゃれなカメラマンがいて、服は必ず銀座のあの店で買うとか。高級旅館で毎晩のようにわいわいやったり、今では想像できない雰囲気があった。それを今回の映画で描きたかった」

もう1つのモチーフとなったのが、今から35年前、漫画家・手塚治虫さん(享年60)に言われたことだという。

「対談があって、手塚さんは遅れて来たんです。試写を見ていたということで、山田さんにはああいう映画を撮ってほしい、と。ウディ・アレン監督の『カイロの紫のバラ』なんだね。あまり幸せではない主婦がぼんやりと古い映画を見ていると、スクリーンから憧れのスターが出てきて彼女とデートする。僕はもうその頃『寅さん』を撮っていたわけだけど、手塚さんはきっと『あんな風に飛躍しなさい』といいたかったんだろうね。それがずーっと心に引っ掛かっていた。今回それができるな、と思ったんです」

終盤には、そんな夢のあるシーンがあるという。

並々ならぬ決意で撮影に臨んだ志村さんの思い、故・手塚さんの思い…。この作品はさまざまな思いを映している。

「キネマの神様」のホームページには「あなたがいたから 私でいられた 人と人がつながれない そんな今だから あなたのことを思います」と志村さんへの言葉がつづられている。

 



秋の味覚、アケビがJ友さんちで収穫されたそうです。

パックリと白い口を開けた薄紫の実が、美味しそう~!!そして綺麗

もう40年近い昔のこと、東京のど真ん中のコンビニのレジ前で、アケビの実を売っていて、なんでこんなところでという珍しさと、値段の高さにビックリした記憶がある。1個が凄く高かった、いくらだったのか正確に思い出せないが、1000円くらいしたような気がする。TOKIOという街の、なんでも有り感を感じた記憶です。

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