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台風19号

2019年10月12日 | 日記

台風19号の影響は、こちらは昼間よりは風雨が弱まったようですが、風が起こす大きな物音に1日中ドキっとしていました。気になって、度々ドアから外の様子を見てしまい、その度に濡れる・・

ジュリーの昨日の、東京エレクトロンホール宮城のライブにも行くのを諦めた方もあったそうで、本当に残念です。ジュリーは無事に当日に帰られたそうです。(書いている横でTVが「東京エレクトロン」と会社のCMを流していて、有名企業なのねと、やっと知った次第。)

NHKは一日中台風情報で、すでに各地で大きな被害をもたらしているようで、あの玉川が氾濫・・💦 明日も心配ですが、これ以上被害が大きくなりませんようにと、心から願うばかりです。

 

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令和元年、最初の日

2019年05月01日 | 日記

本日より令和。

令和の世の中が、平和で災害の無い世の中でありますように。ジュリーが令和の時代もお元気で、ずっと長く歌い続けられますようにと願っています。

朝っぱらから、家人とスーパーの前に並んで配布のお皿をゲット!開店前から並ばなくても充分もらえたんだけど(笑) 昭和、平成、令和の記念になります、おまけに可愛い(^-^)


 

今日は朝から仕事が忙しく、大慌てで仕事をすませて 電車に飛び乗り摂津本山のだんじり巡航会場へ。令和を祝して45基ものだんじりが大集結する、またとない機会です。が、行った時間が遅くて、集まったダンジリは各地区へと解散し始めていた。あら~💦 でも自分の地区のダンジリは見られた。

全部が並ぶ姿を見られなかったのは残念だったけれど、家に帰ってニュースを見たら NHKの全国ニュースで、何度も東灘のだんじり巡航が映像で取り上げられました。嬉しい(^-^)

         下はNHKニュースの映像

     

             

 

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クマモン出没

2019年04月22日 | 日記

残り僅かになった平成の時代に産まれた大スターの1人、クマモン。クマモンも最初に登場した時は、正直に言ってダサかった。せっせと熊本の宣伝マンとして名刺を配っていたが、まず着ぐるみがしょぼかったのだ。

ところが 地道な活動で認知度が上がり、着ぐるみも丸いフォルムに変わると 一気に垢抜けて可愛くなった。

買い物に行った西宮のスーパーに出没すると書いてあったので、これは見なければ!初めてクマモンを見たのは、このスーパーだった。たまたま、初めてクマモンを観た時は嬉しかった~!

出没の3時までに時間はあったが、家人が早めに行って待った方がいいという。還暦を過ぎた大人二人、30分前からクマモンの出没を待ち構えた。

すでにお店の駐車場の特設コーナーの最前列に陣取り、待ち構えている数人の中年男女は、皆さんがお友達らしい。ペチャクチャ、前でずーっと話し込んでいるのが いやでも耳に入る。

『〇〇や〇〇に行くのに、宿をとった?』『日帰りできるかな?』どうやら、クマモンの追っかけらしくて、立派なカメラを持って至る場所でクマモンを撮影しているようだ。大人が追っ掛けるクマモン、さすがに日本中の人気もんです。

出没5分ほど前になって、熊本ナンバーの車が特設会場前に停まった。家人が、あの車の中にいるんじゃないか? え、車から直接会場に来て、終わったら即、車に乗って帰るるわけね。

3時キッチリに、クマモン車から出現!可愛い~!と歓声があがった。私も写メ写メ!


久しぶりの生クマモン、大きくて黒くて丸い、シンプルな体のライン、そこがスッキリ洗練されていて無駄のないキャラクターデザインが 他と一線を画した良さにあふれている。やっぱり、他のキャラよりずーーっと可愛い。

可愛いがヤンチャなクマモンは、棒を振り回して散々遊び周り、いたずらをしまくり

柱でポールダンスしたり、よじ登ったり

ハルバル熊本から西宮まで来て、熊本の宣伝マンじゃないの?熊本の農産物の宣伝を全然せんでもええの?そう心配になるくらい、全く商品の宣伝をしない 自由なイタズラなクマモン。誰かに鯉のぼりを貰う。


やっと、お姉さんに促されて熊本のトマトやデコポンを手に持って宣伝。

 

踊りは一曲だけハッピー ハッピーと披露♪ 見物人をハッピーにして予定時間30分を大幅に超過して、1時間 遊びまくったクマモン。私の前にいた、クモモンの追っかけ中年男女の皆さんは、最後にクマモンにそれぞれ プレゼントを手渡していた。熊本産のスイカを丸ごとプレゼントする人も有りで、プレゼントをいーっぱい貰って また車に乗り込んで帰っていきました。

クマモンは自ら宣伝して売るよりも、貰う物の方が多かったみたいです。しかし、見ているだけで 気持ちが笑顔になっちゃいます。しっかり最後に握手してもらって、喜んでいたのは私です。子供も大人も笑顔にできるのは、やっぱりクマモンよね!(^-^)

バイバイ クマモン、また来てね~


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平成最後の巨人戦(甲子園)

2019年04月21日 | 日記

我が阪神タイガースは巨人戦、6連敗を喫しました。平成最後の阪神巨人戦は、いいところなし💦

土曜日は前から4列目、こんな前で見るのは生れてはじめて!いっつも、あんな前の席で見られる人はいいなぁと思う、ファン垂涎のええ席やったのに・・・

選手が目の前

矢野監督、なんとかして~!

あかんわ~ 土曜日は完封負け、日曜も完封負けだった。💦

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ノートルダム大聖堂のバラ窓

2019年04月16日 | 日記

 今朝のノートルダム寺院の火災の映像は、本当に衝撃でした。あの世界遺産のフランスを代表する、歴史を語る大建築が赤い炎に包まれて、天を衝いていた尖塔が焼けて崩落して行く。人類の宝物が・・

早く消して!と心の底から祈りながら、呆然とするのみだった。寺院はフランスの人達のアイデンティティそのもの、気持ちを考えるとあまりに辛すぎる。姫路出身の私にとっては、まさに姫路城が心の拠り所。再建された名古屋城で、空襲で焼ける名古屋城のモノクロ写真を見た時は、焼ける城を見ていた名古屋の人の気持ちを思うと、胸が潰れる想いで涙が出た。

ノートルダム寺院の尖塔や内部が、石造りではなく木造だったのも驚きだった。

そんなことを考えていたら、久しぶりにTOKIO在住の友人から、大泣きしているラインスタンプが送られてきた。何で泣いてるの??訳がわからず聞いてみた

『ノートルダム大聖堂 燃えてしまいましたね、saoさん 覚えていますか?バラ窓、素敵なステンドグラスでしたね、写真を撮りました』


えーーー💦バラ窓を見たって??  

覚えてない・・私、ノートルダム寺院に行っていたんだ。全く忘れきってる。

友人『フランスというとノートルダム大聖堂を思い出します』そ、そうなんや・・全然記憶にない

覚えてないとは返事をしにくく、適当に話を合わせる。私『エッフェル塔。シャンゼリゼ通りを歩きましたね、セーヌ川で船に乗りました』これくらいしか覚えてない。

友人『思い出を共有できるのって いいですね』 そ、そうね~ 

ゴメン、バラ窓の思い出は共有できてない💦 写真は昔はそんなに撮らなかった。あの時の写真、今はどこにいったのかな?

ジュリーが「6番目のユウウツ」を歌った1982年から明けて、翌1983年ジュリーが「背中まで45分」を歌っていた2月、確かにフランス・スペインの団体旅行に行った。商店街の歳末福引で海外旅行の3万円で行ける優待券が当たったのだ。しかも当てたのは職場の友人、行かないからあげると言われて旅行券をホイホイもらったの。ラッキー!

せっかくノートルダム寺院に行っていたのに、全然記憶にないなんて・・あぁ もったいない。ルーブル美術館を時間が無くて、モナリザとサラトマケのニケの彫刻だけ見たっけ。モンマルトルの丘にも行ったと、少しづつ記憶が戻ってきた、でもノートルダム寺院は やっぱり思い出せない。

あ~ 生きているうちに、歩けるうちに、元気なうちに、1人でもいいから また行きたい

あの頃の私とは違う、今の私はシャンゼリゼのブティックやブランド物よりも、美しい建築や教会のバラ窓の方が ずーーっと大好きだよ 今の私の方が、世界遺産の価値はよくわかる。今 見る方がずっとずっと私の心に響く、自分の目が好奇心と感動で輝くのが たやすく想像できる。

もし行ったら、その時は大聖堂はどうなっているのだろうか? 行けたら、今度は写メをしまくるだろうなぁ。


そんなん こんなん思い出していたら、そうそう! J友さんの親戚の方だったか、フランスに1970年代に旅行に行ったら(新婚旅行で行ったパリだったかな?)、なんとジュリーに逢ったそうです。

ジュリーがフランスで曲を出していた頃だと思う。ジュリーと一緒に並んで撮った写真を見せていただきました。いいな~!!

まさか異国でジュリーに遭遇するなんて・・、倒れそうになるわぁ

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人生初の競馬場で、相撲部屋見物

2019年03月03日 | 日記

人生で初めて入った競馬場 

でも今日は競馬を見に来たんじゃないのよ。引退した稀勢の里・現荒磯親方や、大関高安が所属している田子の浦部屋が、園田競馬場内に大阪場所の宿舎を開き、朝稽古を一般に公開中。稀勢の里が見たい!神戸新聞NEXT 

スー女ほどではないけれど、母親の影響で子供時代から相撲を見ている。大阪場所のある大阪ではなく、兵庫県内で相撲部屋の稽古を見られるのが嬉しくて行ってきた〜 もっとも、尼崎市の園田競馬場のある場所のすぐ隣は大阪の豊中市です。

初めて降りた阪急園田駅から歩いてテクテク、約15~6分ほど。園田競馬場入り口に、田子の浦部屋の幟がはためく

 

10時半に到着したが公開は12時まで、すでに長い行列ができていて、警備員さんが『稽古は疲れたら早めに終わることがあります。昨日は11時半まででした。』え?大丈夫💦見られるのかしらん・・。

見物は入れ替えで見学時間は15分です、とのことで おとなしく待ちました。いつまで待つのかな?と思ったら、意外に早く20分ほど待てば案内して貰えて、良かった(^o^)丿 今日は競馬は無い日なので、入場料はタダ。 

後援会なら稽古場内部に入れて貰えるが、一般人はガラス窓から稽古を眺めるのです。高安はすぐにわかる、デカくて浅黒くて毛深いのよ。関取だから、まわしも白い。若者のおいどが並んでいる姿を見るのも壮観で、いいもんです(^^ゞ この黒いまわしの若者達から、次の大関や横綱は出るのだろうか。

ガラス窓におじさんの影が・・💦

 

 で、元横綱稀勢の里、荒磯親方はどこに?? え、いないの 

もう現役じゃないもんね、ガッカリ・・仕方がないなぁ・・と思いながら、場所を移動して見学していたら、隣りのおばさまが『ほら!出てきたわよ!』おお~ 

浴衣を着た稀勢の里が登場!ラッキー 

しかし、遠いのよね 左端にチラっと・・

拡大してこの程度、朝顔の柄の浴衣の元横綱稀勢の里、今は荒磯親方。

ま、とりあえず肉眼で見られたから、いいか~

ファンだった元関取は亡くなってしまい、二度と逢えなくなったので とても後悔している。逢える時に逢いたい人には逢うことにしたの。 もちろんジュリーには逢える限り、逢いに行きます

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ボヘミアン・ラプソディ

2019年02月04日 | 日記

J友さんが4回もご覧になったとか、昨日はTVで一番興行収入が多かったと報じていたので、これは私も1回は観とかなければと思い、一年ぶりに映画館に行きました。一年前に見たのは、1983年の35歳のジュリーが演じた「恋人よ我にかえれ」でした。

平日の午後の映画館は、会場にパラパラと客がいるのみ、私と同世代の女性の姿が殆どでした。一緒に観客が盛り上がれる、応援上映の回ではないです。ジュリーを見ている視点も入れて、映画を観ました。以下はネタバレありです。

 

映画はライブ・エイドの映像で、フレディの歌う姿から始まる。バンド側の視線から見る観客の姿、見たことも無いような巨大な会場には、いったい何万人の観客が入っているのか。この大歓声の数万のうごめく観客を前に、バンドが燃えないはずがない。反対にさいたまスーパーアリーナの時のジュリーの心境も感じました💦

曲と題名は一致しないけど、よく聞き知ったクイーン曲が流れると、もう初っ端からこの映画に心を掴まれている!と、そう自覚した。

そして物語は学生のフレディがバンドに加入するところから。 自分達でお金を工面してアルバムを作り、レコード会社の目に留まり、世界ツアーへと飛び出してゆく。ツアーの先にはもちろん「日本」も。自宅?に日本の神社のお札が貼ってあった(笑)フレディは日本が大好きだっだそうです。

ところで「ツアー」ではない、正しい初音は「トアー」やった~! 全然違うやん(笑)

彼らはどんどんその存在感を増し、スターダムに駆けあがってゆく。テンポよくさっさと成功するバンドに、この辺はタイガースがなんば一番でスカウトされて、東京に出て、人気者になってゆく姿と全く重なって見えた。

フレディの衣装の華やかで攻撃的なスタイルも、ビジュアルを見ているだけで楽しい、やっと日本もジュリーが華やかに着飾りだした頃か。70年代の初めはまだ世界的には保守的で、下半身を写すなとか、BBCは口パクしかダメとか、へ~ やはり隔世の感があります。

グループ活動だと必ずあるのが、グループ内部の軋轢で、御多分にもれずフレディにソロ活動の声がかかる。思いどうりにできないことに不満を感じていたフレディは、ソロ活動を開始、多額の契約金と共に。グループを続ける事の難しさや、お互いに妥協をしたくない姿勢はわかる。この辺は金で簡単に動かない我がジュリーさまの偉大さを思います。

フレディが英国産まれではなく、マイノリティの出身であったとか、実はゲイだったとか、そんな事も映画で初めて知った。孤独感を深めてゆくフレディの姿は、こちらの心にも痛みを覚えるほどで、どうにもならないもどかしさを感じた。

が、ここまで映画を見ながら思ったのは、これは「特別な物語」と言うほどのもの? これはよくある有名バンドの成功譚ではないのか、なんで何度も観たいのか理解できない・・しかし、ここから1985年のライブ・エイドへと、物語はなだれ込んでいく。

ライブ・エイドの映像、20代の頃によく聞いた音楽、ジュリーの曲じゃないのに、このわたくしまで俄然、血沸き肉踊ってしまった~ 『俺たちの生死は誰も気にしていない♪』心にグサリと刺さる歌詞、かと思えば青春の甘酸っぱい歌詞、フレディの高い声に心が思わず揺さぶられずにはいられないの。

今まで、クイーンの歌詞なんて全然知らなかった。熱狂する観客に、やっとクイーンの本質の一端がほんのすこ~っしだけ、見えた気がした。『罪を犯していないのに罰をうけてきた♪』それは誰の事、ジュリーが非難された姿をまた投影してしまった。

ジュリーが遠い・・なんてもんじゃないほどの、遥か彼方の遠~い所で歌っているフレディ達に、観客は同じフリして同じ足踏みを刻む。ドンドン ドン! ドンドン ドン! フレディが観客を煽る姿はジュリーと変わらない、いつのまにか私もあの数万人の中の観客の一員になって静かに熱狂していた。心が気持ちがクイーンの音楽に共鳴し震える、そのうちに涙がジワジワ~と溢れて来て、もう止まらない。鼻水まで出てきた

これは何の涙なんだか、自答してもわからない。ただ私は彼らの演奏と歌に興奮して、入り込んでしまったのは間違いない。この爽快感、この高揚感

ジュリー以外のアーティストのパフォーマンスに涙したのは初めての経験で、観客が何回も観に行きたい!楽しい!一緒にパフォーマンスしたい!と思う気持ちが、やっと理解できました (でも多分、これ1回だと思います・・が、ライブシーンは何度でも見たい!)映画に感動を伝えたくて拍手をしたかったが、誰もしないので 小さく拍手して帰った。

その人生は少なからずの部分で共通点がある が、我らがジュリーとフレディの明らかな違い。フレディはエイズで45歳の若さで亡くなってしまった、でもジュリーは70歳を迎えても歌い続けてくれている。今年も我が町まで来てくれる、こっちから逢いにも行ける、それはなんという幸せか。 ジュリーは心と身体の均衡を強い気持で自分で守り続けてきたのだろう。

まだ観に行っていない方には、おすすめします。パンフまで買っちゃったわ!

 

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1・17 1995

2019年01月17日 | 日記

MBSの「ちちんぷいぷい」で、吉本新喜劇のマキちゃん が「沢田研二さんのコンサートに行ってきました。70歳とは思えなかった、凄かった!」と言っていました。

吉本の芸人さんは沢山観にきてくれたようで、矢野兵動の 矢野ぱいせんも 行きました!とTwitterで大阪城ホール前の画像をアップしていました。落語家にも見に来て欲しいわ!

 

今日は1995年1月17日から24年目です。朝、地域の慰霊碑にお参りをしてきました。火曜日に放送された「BRIDGE」は、住んでいた家から近い潰れた六甲道駅を、わずかの日数で奇跡的に復活させた人々の物語でした。かつての六甲道駅近辺の面影、そして地震で破壊された光景には胸が潰れる想いがしました。

ジュリーの大阪城ホールのMCのネタになっていた、桂文枝さんもドラマに出ていましたジュリーが昨日のMCで、天満繁盛亭の寄席で、二階席を希望したらダメで「沢田研二ですが・・三枝さんとは、ヤングオーオーの時代から・・・」と言うてやろうかと思ったが・・言わなかった。

ヤングoh!oh!は、放送当時はもちろん見てました!朝ドラ「まんぷく」のモデル、日清食品の提供。番組の後は必ずカップヌードルを食べたくなるの(^-^) 番組内でカップヌードルの生CMをするんだけど、出始めの頃は、どんなものかよくわからなかったわ。

わたくし、桂文枝さんが桂三枝さん時代に司会をしていた1978年に、クイズ番組の「三枝の国盗ゲーム」に出場したので、ご一緒しました。その時は三枝さん、とても優しかったです。

私が撮影を見物していた駅前の映像はこの下↡。あれ誰?とわからなかった俳優さんの名前、やっとわかりましたよ~ 

見物する野次馬が、あれは誰?知らん・・ スマホで検索してもわからない、と隣の女の子言っていた俳優さんは、葉山 奨之(はやま しょうの)さん、最近のドラマにもいっぱい出ているそうです。ゴメン知らんかったわ~ 朝ドラ「まれ」にも出てたんだって。覚えてない・・

我が家は未明の大きな揺れで玄関先は崩れ、家は傾き、屋根瓦は落ち甚大な被害を受けましたが、倒れた家具を押しのけて家の外に出ました。夜が明けて明るくなって目の前は瓦礫の山、変わり果てた神戸の惨状には声も有りませんでした。

とりあえず、大切なものが無事か確認するために再び家に入りました。私が一番に探したもの、それは・・2月の大阪フェスのコンサートチケット。あった~!無事やった。ホッと一安心!我ながら、一番に探すものがそれか・・と呆れますが、事実です。

明るくなって、近所の人たちから六甲道駅が潰れたと聴きました。駅が潰れて どうやってコンサートに行くのか。その時は先の事は全く何もわかりませんでした。破壊されつくした神戸はこれから どうなるのだろう。明日も来年もその先も いつもと同じ日々が続く・・そう思っていた私の人生は、これから変わるに違いない。漠然とそう認識だけはできました。

ドラマは、その当時の光景をマザマザと写し出していました。駅で亡くなった人はいなかったとか、それだけは良かったです。

記憶はこの先もいつまでも消えない事でしょう。 

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全日本フィギアスケート・男子フリー(12月24日)

2018年12月25日 | 日記

全日本フィギアスケート男子フリーを大阪の門真のラクタブドームで観てきました。

羽生君の欠場は残念だけど、32歳の高橋大輔さんの現役復帰がとても嬉しい✨いつもはTVで観戦するのに、全日本を生で見たいと思ったのは、高橋選手が復帰したからこそです。

フィギアスケートが日本で全く注目されていない時から、高橋大ちゃんを応援しています。初めてのオリンピックのトリノでは、ジャンプで失敗してコケていた大ちゃんが、試合ごとに大きく伸びてゆき バンクーバーで銅メダルを取った時は嬉しかった~✨

会場のラクタブドーム、コロンと丸い宇宙船みたいな外観です。会場前では、中に入れない多くの女性たちが「チケットを譲って下さい」果たして、彼女達のうちの何人がプラチナチケットを譲ってもらえることができたのか? 殆ど無理だと思う、でも会場に来ないではおられない その気持ちはよくわかる。

ここの手荷物検査は、着ているコートの前を開けさせて中を確認するなど、中々 キビしかったです。

上位グループが始まる前に出店を覗きに行ってきました。羽生君は残念だけど欠場。3人も見られるなんてラッキー!と思っていたのにねぇ・・

一度投げてみたいのが、選手の演技後にリンクに観客が投げ入れる花束、けどアリーナ席以外はダメなんだそうで、ガッカリ。1束500円

ザギトワで有名になった、マサルもいました、可愛い~!他にも色々グッズや写真集を売っていた。

 席はアリーナではないけれど、選手が入場する出入り口が真下のG席で、双眼鏡無しでも よく見える良席で嬉しい(^-^)

選手といつも一喜一憂している、有名コーチ陣もよく見えた。入れ替わり立ち替わり 下の出入り口で選手の演技を見ている。ステファン・ランビエールの姿を観た時はカンゲキ(^-^) 

男子フリーにはジュニアの選手も出場していて、次の日本を背負う若い彼らの将来に期待してます!次のスター候補は誰??

最終グループの出場前にトイレに行ったら、どこまでも続く超長~~~いトイレの大行列にビックリ!ここまでジュリーのライブでは長くない・・ いや、あった。ドームの時のトイレの行列も長かった。 ジュリーの歌声が始まる前に、席に帰れない人が多数だった。

そして出入り口に最終グループの6人の後姿が現れた。日本のトップ選手、6人の後姿!フンコーするわ~! 田中刑事君が、その中で背は高く肩幅が広く胸板は厚く、ガッシリした体型で、他の選手が細身で小柄なので、一人だけ格闘技の選手が混じっているように見えて、ニックネームどうりにデカい(笑) 最終グループの選手達の演技は、さすがにレベルの高いものでした。

宇野君は、ショートの前に怪我をしたせいか、6分間練習でもジャンプの後で動きが一瞬止まり、その後はリンクを流して滑るだけで、ジャンプを飛ばない。フリーは大丈夫なんだろうか?凄く心配しました。しかし、さすがに世界のトップ選手、怪我でも意地で4回転を降りて見せた。素晴らしい気迫、素晴らしい精神力。あの小さな体の中には、どんなに大きく強いものが秘められているのだろうかと思うと、心からその演技に感動します!

一際大きな大歓声を浴びて、お目当ての高橋大ちゃん登場。氷上に立って曲を待つその立ち姿、ただ立っているだけなのに、そのポーズ 体の線の美しい事といったら・・ 演技が始まる前から、すでに魅了されてしまってウットリ・・。

曲が流れてスっと腕を差し出すその動きの優雅さ、その瞬間から高橋大輔の世界に引き込まれる。他の誰にもマネが出来ない、類を見ない特別な選手、それが高橋選手!再びその演技を目の前で見ることができて、本当に嬉しくて感激しました。

ショートプログラムとは違い、ジャンプはとても完璧とは言えず、あきらかに疲れてきたのか後半は動きも遅い。32歳の年齢のせいだろうか、オリンピックメダリストが、最後の決めポーズでよろめいてしまい、本人も苦笑。しかし芸術性、演技構成では 他の誰にも真似のできない、高橋選手だけの持つ動きの美しさに魅せられてしまった。華麗なステップに心が躍った。復帰してくれて、本当に有難う~

宇野君優勝3連覇、高橋大ちゃん2位という結果ながら、世界選手権は辞退に。でも現役続行らしいので、とても嬉しいです。やはりTVとは違い、ナマで見る臨場感は違った。リンクの氷の削れる音、TVでは感じ取れない選手の表情、緊迫感、緊張感、会場のムードは熱い。アイスリンクで有りながら、寒さを感じない熱い熱い闘いになりました。

キス&クライを上から

帰りのギューギューの満員電車には参った、京橋駅前

 

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西日本選手権

2018年11月05日 | 日記

阪神が最下位で終わった後は、フィギアスケートシーズンです。

昨日は、西日本選手権に高橋大輔さんが出場するので、フリーの演技を見ました。
西日本選手権の会場が「ガイシアリーナ」で、え?ジュリーのやった「日本ガイシホール」と同じなん?と思っちゃった。調べてみたら、すぐ近くにあるスポーツアリーナでした。

高橋さん大丈夫かしら、コケないかな~ と心配で心配で・・ 固唾を飲んで演技を見守りました。かつてのジャンプの切れ味は、以前と同じようにはいかないけれど、華麗でセクシーなステップにワクワク しなやかな身のこなし、指の先まで優雅な動き、他の選手にはない高橋さんだけが持つものを充分に堪能しました。

「指先まで神経のいき届いた・・」と、ニュースでは報じられていたけれど、それは生まれつき身に付いているもの。身体から勝手に溢れ出てくるもので、動かされているように思えます。

半分くらいの年齢の、2位3位の若い選手と並んだら、さすがの高橋さんがまだ32歳なのに オジさんに見えました~(笑) でも貫禄と言うんじゃないの、いままで積み重ねた経験が素敵に いぶし銀の輝きを高橋さんに与えていました。全日本で、羽生君や宇野君と競う姿を見られるなんて 幸せです~ 黒い衣装がシックで素適だった、(昔昔のジュリーがこんな感じの着ていたよね、もうちょっとミリタリーかな)

 

高橋さんの西日本選手権が終わったあとは、羽生君のグランプリシリーズです。下町ロケットも見たいし(西郷どんは再放送を観ます)TVに忙しい・・

まずは坂本さんが、フリーで巻き返して 良かった良かった・・ ショートはどうしたんだろう?と心配したわ。

羽生君は、高橋さんのちょっと恥ずかしそうに見えた表情とは全く違い、こちらは五輪チャンピオンの意地か、一人だけ様子が、目つきの鋭さが違いました。目の前の試合に没頭している、他の何者も寄せ付けない 凄まじいほどの気迫が漲っていて、TV画面を見つめる自分の方がタジタジとなるほど。

この人が見た目と違って、物凄く負けず嫌いなのは、ジュニアからシニアに上がって高橋さんらと一緒の舞台にたつようになってから、よくわかりました。まだ16歳くらいなのに、高橋さんらのベテラン勢に本気で闘いを挑んで、勝てずに悔しい!! あのころ高橋ファンからは、ボロクソに言われていたそうな💦

今季の最高得点を叩きだしたものの、満足していないのは明らかで、この先の進化から目が離せません。もちろん忘れていない、宇野君も好きです~

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