脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

Rock への遠近法。

2014年10月26日 12時42分02秒 | 音楽
昨日、クリームのベーシストであったジャック・ブルース(71)が
亡くなったらしい。彼の演奏を聴いた10代の頃、ベースという
楽器はこうまで攻撃的にも弾けるのかと驚いた記憶がある。
昨夜はNHKの『Songs』という番組にレッド・ツェッペリンの
ジミー・ベイジが出ていた。白髪のオールバックで眉毛が黒い。
顔立ちや表情の作りがどうしてか日本人っぽくみえたが。彼も既
に70歳である。

ツェッペリンは1971年に初来日し武道館で公演した。当時の
コンサートを中学一年のときに観に行ったという友人の話では、
誰かが紙飛行機を、舞台目掛けて投げたそうで、それが偶然ドラ
ムセットの上に乗っかってしまい、ジョン・ボーナムが慌てて取
り除いていたと言っていた。

このコンサートでは、まだ未発表だった「天国への階段」が披露
され、「ツェッペリンⅣ」の他の名曲も演奏されたそうで、全盛
期のペイジやプラントを生で見聴きした友人を、当時は羨ましく
思ったものだ。

レッド・ツェッペリンは、ジョン・ボーナムが亡くなって間もな
く1980年に解散したが、今尚このバンドへのトリビュートや
伝説が語り継がれている程に、魅力的なロック・バンドである。
音もファッションも、とにかくプレゼンスが「カッコイイ」とい
うのが、ツェッペリンだった。

思えばビートルズ来日が1966年だから、ツェッペリン来日ま
で5年しか経っていないのである。だがこの間、音楽文化や若者
ファッション又はそれを取り巻く環境は、急激に変貌を遂げた。
日本の一般の若者が、ジーンズをはき出した(さらにTシャツを
着て長髪にした)時期とも重なるように思う。ビートルズ来日の
頃は、まだ誰もジーパンなんてはいていなかったのである。

「自由であること」が時代のキーワードであり、やがて「自由」
が当たり前の「地」の風景になっていくのだが、実は、文化と
して「自由」化したというよりも、自由に使えるおカネが増え
た時期、可処分所得の増加現象としての「自由」だっただけなの
ではなかろうか。

そしてそれに、ロック音楽が産業化して相乗りするようになった。
経済的富裕化なくしては、ロックという「反逆」も売り物にはな
らなかったはずである。「反逆」が売れたのは、それを買う余裕
とおカネが増え、また支配層に対する反抗の知恵が、教育やマス
メディアを通して身近に流通し始めたからだとも思う。
(この部分、反論もあろうかと思うけど。)

今、若者は自由なのだろうか? かつてギターが弾けることは、
ヒトとヒトを繋いだものだし、ロックを聴いていることでも仲間
が作れた。ギターもロックもヒトを繋ぐ時代のメディアだった。

今ではインターネットのテクノロジーや携帯端末というメディア
がヒトを繋ぐ時代である。ギターを弾けない若者が多くなったし、
車も運転免許もない若者が増えているようだ。「ヒトと繋がれる
自由(機器)」が手許にあるなら、それで事足りているのだろうか。

今若者は、自由より居心地の好い居場所だけを求めている。 
古い価値観とのせめぎ合いの中で、ロック音楽の爆発的な音響に
夢中になり自由を感じていた私のような世代からすると、今とい
う時代は「対立も欠乏もなく当たり前に自由である」。だから自
由など、求める対象ではないのだろう。自由の有り難みも、自由
が何なのかも判らなくなっているように思う。

或いは、誰もが情報の海に漂っているだけなのに、その覚束なさ
を自覚さえ出来ない状況なのかしれない。成程、情報への自由度
は格段に増しているが、他方では、益々見えない監視の網と檻の
中に閉じ込められているのに、もはや、不自由とも不自然とも感
じ取ることが出来ないまでに飼い慣らされ、違和感や不平・不満
を表明する気力も興らない。眠たそうな眼をした小羊の群ればか
りの、「小羊の時代」とでも呼ぶべきか。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。