脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

捨てていくこと。

2019年03月24日 09時47分22秒 | 近況
家を潰して土地を売ることになってから、とにかく気持ちが落ち着か
ない。次に住む家が見つかってないこともあるが、家や土地というも
のは、アイデンティティなのである。自分そのものから自分が奪われ
るような、そんな理不尽な、不合理な不安のせいなのだと思う。

とは言え、そんなことで悩んでいても仕方ない。半年以内に立ち退く
ために、毎日衣類や本などの整理をしている。最初に取り掛かったの
は、母の着物である。日本舞踊の名取りだったので、タンスに腐る程、
着物・帯、扇子等の小物類がしまってある。我が家は一体、貧困家庭
だったのか、裕福だったのか、分からなくなってくる。

タンスの引き出しには写真や手紙の他に、古い借金の証書がたくさん
あった。私が中学の頃、給食費扶助とかいうのを受けていて、月に一
度担任の先生に呼ばれて、手当金を受け取っていた。これは広義には
生活保護の一環であろう。自分が貧困家庭の子だとばかり思っていた
が、一方で母は華美な着物を着て、踊りの舞台に立っていたりとか、
勿論プロとしてでなく趣味の世界だが、カネ遣いがおかしかった。

また私の祖母は、私が生まれる前から、Rという大手宗教団体の信者
だった。Rという団体は、町の近所付き合いとも重なっていて、母も
自然とその後継者であり、その活動記録やら寄付金の受領書だのも出
て来た。宗教に関心のない祖父(母の実父)と母はよくおカネのことで
言い争いをしていた。祖父には愛人がいて子供まで作ったようなヒト
だったが、祖母と母は、祖父の身勝手さの犠牲者だったのだろうか。

全くカネがあるのか、ないのか分からない不思議な家庭であった。父
だけは、貧乏と相性が合う品性のヒトだった。カネに縁もなければ、
欲しがりもしないし、趣味もなければ、モノを買うこともない人間だ
った。真面目でつまらないヒトだったが、地味で仕事一途だった。

私の「還暦・家じまい」の話を綴ろうとしていて脱線してしまった。
昨日は30代頃に買い溜めた実用書を200冊程、ヒモで縛って捨て
ることにした。ほとんどは当時の仕事絡みで法律系の参考書籍である。
夜間の専門学校に通ったり、安月給でこんなに本ばかり買って、我な
がらよくやってたと思う。いくらか「不安強迫症」じみてた。

30代の頃の実用書は捨てられるが、20代の頃に買い集めた書籍、
人文・哲学・社会科学系モノがどうにも捨てがたい。未読の本も多数
あるが、未だ気持ちに馴染みが残っていて、手放し難い。小説は捨て
るが、詩集は捨てがたいとか、画集類も嵩張るだけに迷う。買い手が
付くほど保存状態が良くないので、捨てようかとは思うが。

何十年分かの、友人・知人からの手紙・ハガキ類も一部を除いて捨て
た。昔の写真もほんの一部を残して、全部捨てようと思う。卒業アル
バムだの文集も捨てる。それを持っていることが、自分の実存に意味
があるものだけ、当面は残そうと思っている。

「断捨離」とか言うけど、少しづつ、自分を切り捨てて、自分を無に
していくこと、自分へのこだわりや執着から離れていく修行のような
ものなのだと思う。それはやがて訪れる、老いの時間への、生の作法
のようなものなのだと思う。





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