脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

クラゲ。

2019年12月22日 19時49分38秒 | 社会時評
また、いつもの年末である。掃除をして年賀状を書き終えると、後は
大みそかを待つだけ。今年は、家と土地を手放しての、賃貸住まいで
初めての年末。昨年、母が他界したので、これからは亡き父母の世代
の、つまりは親の代の親戚、への年賀状は、私が引き継ぐ事になる。

親の代の古い親戚とは、ほとんど付き合いもなく疎遠なのだが、年賀
状くらいは義理で出さねばならない。相手はどう思っているか知らな
いが、多分挨拶が来るのが当然と思っている気がするので、年賀状を
義務的・形式的に出しておく。期待への関係や予期構造は、バレンタ
インの義理チョコをあげる/もらう、と同じである。

日本人・日本社会には「義理」というやや息苦しい関係が存在する。
良くは知らないが、欧米にはないのではなかろうか。義理とは、その関
係を切りたくても切れないお互いの縛り付け合いで、切ってしまうと恩
知らずとか礼儀知らず等々の非難が及びかねない接着関係である。
(「義理」とは、頃合いを見ながら、上手に手を切らねばならないのだ。)

でも時代を降る毎に、若い世代は義理に無頓着になってきている印象
はある。義理・人情というが、そんな情念的な存在スタイルではなく、
ヒトは社会システムの流れと、情報の波に浮いたり沈んだりしている
だけの、他律的なクラゲのような存在になってきたと、私は思う。

電車のシルバーシートに座り、ゲームに熱中している若者に出会うと、
彼らは既に、義理の関係にストレスをため込んだり、人間関係に歯ぎし
りしながら耐えたりしない気がする。人と人の間に置かれながらも、クラ
ゲのように我関せずと、抵抗もなく浮遊しているのが、若者に限らず現
代人一般の姿、生き方なのかな、という気がしている。

温暖化で陸地が水没しようが、原発が破裂しようが、総理大臣が知人を
集めて税金で花見酒を飲もうが、多分、クラゲには関係ないのである。
一体、こんなクラゲばかりの世界に、いつからなった、誰がしたものか。

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