いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

この際、すべての膿を出しきっては如何ですか?

2007-08-24 | Weblog
 京都教区は結局、事件を隠蔽しようとする方向にしか動いていないのでしょうか。原田文雄司祭の退職を承認した時の常置委員会の内容と退職撤回を承認した時の常置委員会の内容を、事実に即して公表する以外に、問題解決への糸口を見いだすことは出来ないのではないでしょうか。糸がグチャグチャにこんがらがっているわけではないと思えるのですが。高裁で、原田文雄司祭が犯したとされた準強制わいせつは、冤罪だと言い切れるだけの証拠は一つもないはずです、だからこそ、あの二回の常置委員会の内容が問われているのではないでしょうか。

 この問題を語るには、聖公会の教会員であるかどうかはまったく問題ではありません。日本聖公会の法憲法規に違反しているかいないかが問題ではなく、日本国憲法のもとに定められた刑法に違反しているかどうかの問題ですから、日本人であれば誰でもが問い質すことが出来ることであろうと思われますし、加害者が日本聖公会の現職の司祭であった事件ですから、外国からの問い合わせや意見に対しても、日本聖公会京都教区は誠実に答えなければならないのではないでしょうか。アメリカ聖公会にも、日本語のお出来になる方はいらっしゃると思いますし、私が存じ上げているアメリカ聖公会の司祭の奥様は四国出身の方です。日本語はぺらぺらです。
 そうした方々が日本聖公会の実状をご存知ないわけがありません。イギリスにも同じような方がきっといらっしゃると思います。

 最高裁判所で上告棄却・不受理とされた上告の内容だけでなく、高等裁判所が明らかにした事実関係を無視して、いまだに教区主教や常置委員会が積極的に謝罪と懺悔をしていないというところに、問題の一つがあります。勿論、原田文雄司祭が女子児童に対して行ったことは、教区主教と常置委員会もそれが事実と認定したからこそ、あの「謝罪の記者会見」があったのではないでしょうか。友人はまた、明日上京するそうなので、また会って話をしたいと思っています。日本聖公会は、こんな単純な論理が判らないのかと私には訝しくて仕方がありません。
 原田文雄司祭を教区審判廷にかけることもなく、主教の一存で陪餐停止という処分にしたこと。そして、日本聖公会法憲法規には司祭の「陪餐停止」という懲戒はないのですから、その処分自体が日本聖公会法憲法規に抵触しているにもかかわらず、京都教区はいまだに原田文雄司祭を審判廷にかけようとはしていません。

 日本聖公会はこの際、すべての膿を出しきっては如何ですか?
 沖縄教区問題では、この問題を記事にした『聖公会新聞』編集長のKF氏を退職させたのですよね。あまりにも傍若無人ではありませんか?こういうことを容認している日本聖公会が「正義と平和」と口にされると、腹が立ってきます。日本聖公会では、主教会が正義なのですか?平和とは、その正義を誰も脅かさないことなのですか?
 沖縄教区の問題だけではなく、京都教区や北関東教区、あるいはしばらく以前のことになりますが、北海道教区でも不思議なことがありましたよね。東京教区の使途不明金問題では、その時のスタッフを告発しておきながら、他の教区での経済的問題に関しては沈黙されていました。勿論、蔭で動きがあったことは想像に難くありませんが、日本聖公会の多くの信徒はこの問題をご存知ないと思います。

 こうしたことが日本聖公会全体で組織的に行われていたことは間違いないと思います。聖公会神学院の問題にしても、箝口令が敷かれているようですね。しかし、事実は事実としてはっきりしていることもあるのですから、これらの問題をきちんと解決しない限り、日本聖公会のこの汚点は末代まで語り継がれるのではないでしょうか。ことに、原田文雄司祭による女子児童への準強制わいせつ事件については、一から事態を見直して、誠実に謝罪し、責任をとるべき方はきちんと責任をおとりになるべきではないでしょうか。それなくして、問題の解決は不可能かと思われます。