What’s ノーマリゼーション?

福祉について考えるUMEMOTOのブログ

憲法記念日に思うこと

2007-05-03 21:23:20 | ノーマリゼーション
憲法が制定されて60年が経過した。
安倍首相になってから、憲法改正論議が加速して、国民投票法案も衆議院で可決されてしまった。

私は2004年10月から『What's ノーマリゼーション(ノーマリゼーションとは何か?』を求めて、主に福祉や医療の動きや、それらについての私見を書いてきた。
いま、この憲法改正論議や集団的自衛権の範囲拡大の動きを見ていると、ノーマリゼーションを確立するためには、その根本にある『人権』や『平和』を見過ごすことはできないということを強く感じてしまう。

私は戦争を体験したこともなければ、1960年代の安保闘争も経験したことがない。日本国憲法は生まれたときから、そこに存在し、意識することがないまま生活をすることができた。
自衛隊も矛盾は感じながらも、憲法解釈を変えることで対応してきた経緯を見てきていることもあり、それがいま、憲法を改正すると言われても、あまり実感がないのが正直なところで、20代、30代の多くはそう感じているはずである。

ただ、憲法9条を中心に改正しようという流れは漠然と不安を感じるのである。振り返れば、日本が戦争をしていないのは、第二次世界大戦後からの60年強で、それ以前は戦争を繰り返してきた経緯がある。
世論調査で約8割の人が、平和に貢献してきたと感じる憲法9条を改正するということは、今後の日本が戦争を推進していく国家になっていくことが予想されてもおかしくはない。この60年あまりの平和は決して自然に発生したものではなく、人々が願い作り上げてきたものであることを、もう一度考える時期にきたのかもしれない。

憲法改正論者の中には、憲法9条だけでなく、環境権などさまざまな権利を盛り込んでいく必要があると唱えている人もいる。しかし、13条の幸福追求権がすべての権利を根拠になることは、憲法研究者の間でも言われており、他の権利を憲法に記載する緊急性は今はないと言える。

繰り返しになるが、『人権』と『平和』が保障されずしてノーマリゼーションはありえない。今の世の中は、そのどちらの実感も希薄で、さらには放棄しようとしているとしか思えない。
憲法が制定されてから60年という節目に、もう一度私たちは、今の平和な世の中がどのように作られてきたのか、思いをめぐらせ、何もせずにこの平和が続くことはありえないことを肝に銘じる必要があるのではないだろうか。