富士市今泉の昔話(158)根方街道(7)
大正になり、田宿の「金子曲がり」より清岩寺坂の下までの「藪下」の道が開設され、同時に御殿より下る坂道も開設された。長い時
間をかけて根方街道の現在の姿になった。
金子曲がりには写真のように、根方街道と明記の石標が豆腐屋の角に建てられていた。現在此の石標は「広見公園」に置かれている。
「広見公園」には石標として「東街道」「仁藤春耕」の碑等が並べられている。


石標は此の角に在り、直進は十里木道と右折は根方街道と記されている。碑は青年団による皇紀2600年の記念碑である。十里木道は直進して今泉往還と直交、寺市場の坂を登り妙延寺の西を十里木に通じている。

金子曲がりを右折後の写真である。直進は根方街道の比奈に直行の新道、左折が藪下を通る根方街道。

藪下の街道で、左折の同時に御殿に通ずる急坂が新設された

藪下道は北進して呼び子坂(何時の日か正しい名に戻すことが必要)道に当たる。

坂下の場所で、文字盤の場所に近日まで青年団による呼び子坂の記念碑があった。碑は清岸寺門前に移設された。

東行の根方街道は新設大道と直交、三島製紙の南で旧の根方街道と合流する。

根方街道は浮島沼の陸地化に伴い、宅地の増大と道路の南への移動が進み現在となっている。
庭の赤花の山法師が咲き始めた。一杯の花が見事である。
赤花の下野も色濃を咲かせている。


大正になり、田宿の「金子曲がり」より清岩寺坂の下までの「藪下」の道が開設され、同時に御殿より下る坂道も開設された。長い時
間をかけて根方街道の現在の姿になった。
金子曲がりには写真のように、根方街道と明記の石標が豆腐屋の角に建てられていた。現在此の石標は「広見公園」に置かれている。
「広見公園」には石標として「東街道」「仁藤春耕」の碑等が並べられている。


石標は此の角に在り、直進は十里木道と右折は根方街道と記されている。碑は青年団による皇紀2600年の記念碑である。十里木道は直進して今泉往還と直交、寺市場の坂を登り妙延寺の西を十里木に通じている。

金子曲がりを右折後の写真である。直進は根方街道の比奈に直行の新道、左折が藪下を通る根方街道。

藪下の街道で、左折の同時に御殿に通ずる急坂が新設された

藪下道は北進して呼び子坂(何時の日か正しい名に戻すことが必要)道に当たる。

坂下の場所で、文字盤の場所に近日まで青年団による呼び子坂の記念碑があった。碑は清岸寺門前に移設された。

東行の根方街道は新設大道と直交、三島製紙の南で旧の根方街道と合流する。

根方街道は浮島沼の陸地化に伴い、宅地の増大と道路の南への移動が進み現在となっている。
庭の赤花の山法師が咲き始めた。一杯の花が見事である。
赤花の下野も色濃を咲かせている。

