富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(162)清岩寺の由緒(2)

2015年10月04日 19時34分07秒 | 昔話

富士市今泉の昔話(162)清岩寺の由緒(2)

清岩寺の場所は善得寺の跡地のことは先記したが、これに関係するいくつかの点を記してみる。




善得寺は臨済宗の大寺であり、その伽藍の配置は七堂伽藍を始め法に従つている。その一つとして寺の鬼門にあたる東北に鬼門封じとして開山堂が配置されている。善得寺では天寧庵の名があり、清岩寺の場所は将に此処にあたつている。
開山堂の格式より、臨済宗の一寺の配置であつたに違いない。
本堂の前にそびえる樹齢400年を伝えられる栢の大樹。これは将に禅宗の公案の「庭前の栢樹子」に当たり禅宗寺院の存在を示していると考える。公案は「万物皆仏性を持つている」の意であることを教えていただいた。




寺内に稲荷神社と八幡神社がある。穴山時代に瘡守稲荷・諏訪八幡が勧請されているが、これは禅宗の護国廟に当たり禅宗寺院の所在を示している。
寺内に六地蔵と地蔵大士が祀られている。これも禅宗の由縁である。

以上禅宗寺院の跡地へ清岩寺が建てられたことが分かる。

現在清岩寺の南の坂は駿河大納言以降のため、梅雪の造つた吹上の道路或いは現在の寺の西にある大宮道に山門があつたと考えられる。西からの入り口は少ないと思うが。

三島の長円寺の過去帳に仁藤に関係して、「瀬古」の清岩寺と記されている。高台一帯が「瀬古」と呼ばれていたのかも判らない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿