富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(37)

2013年01月12日 18時13分45秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(37)外伝 善徳寺考 富士の大木(1)

善得寺・善得寺城の勉強の間の古書に富士の大木の記に幾つか
当たったことが在る。義元が善得寺の七堂伽藍の再建を短時日
で完成させえたのは、近くに大木が数あったので可能になった
と思はれる。短時日に生の木を使い狂いが出なかつたかの疑念
はある。
京都方広寺の大仏の棟梁  檜末口1,5m長さ25尋(37m)。
京都妙心寺等の柱     欅末口60cm長さ8mの芯去り柱、
             4本を採った大木。
富士市丸火の熔岩樹型   最大径3m、長さ10m、樹種不明。
神代杉・神代檜

大木の詳細に触れる前に、富士地域の現状を記して見たい。
この地域は、富士山を中心として愛鷹山・箱根山に及ぶ大樹林
帯を成し、下記の如き数と成っている。地域として「富士ひのき」
の銘柄化に努力を続けており、その成果が表れつつある。
富士傘下の大樹林地帯を夢見つつ。

地名     林地面積(千ha) 比率   畜材量(百万)
静岡県    498,94  64,1
富士市     12,1   49,6  2,2
富士宮市    25,6   65,8  3,8
沼津市      9,5   50,6  0,9
裾野市      8,8   63,4  1,5
御殿場市     11,0  56,6  1,1
      面積は国有林を含み、畜材は民有人工林のみである。
      比率は全体面積と林地面積の比率である。

林地寄りの富士の遠景と、瀬古辻の南に在る「仁者愛山」碑(武
者小路実篤書)と背後の大正の林地の景をのせる。樹齢は90年
余である。




(方広寺の大仏殿の棟梁)

本題の方広寺の棟梁に就いて記してゆく。方広寺は太閤秀吉が母
堂の供養に伏見に建てた寺であり、付帯して大仏が建てられた。
大仏は太閤の威勢にて、東大寺を凌ぐ物であり全体に掛かった人
工は1千万人と言われており、徳川実記・太閤記・甫庵太閤記・
家忠日記等に詳細記されている。
大仏殿は地震・火災に依り今は無いが、その巨大さを示す幾つか
が残されている。付帯の鐘楼と鐘が今に残されているが、徳川・
豊臣の手切れの原因となった「国家安康」の字が読める鐘があり、
大仏殿の柱用の金環と梁用の金枠が置かれている。人と対比して
その巨大さは解るが、柱は芯の柱に扇形の板を添え、金環で縛っ
た寄柱であり寄梁であり、東大寺と同様の構造である。
此の柱で支えた大仏殿の高さは30丈であり、大仏の高さは16丈
だった。
大仏殿の跡地には石柱を柱に見せて建て昔を偲ばせている。




特記される物に大仏殿の棟梁が在る。必要の木を全国探したが
中々無く、僅かに富士山麓に檜の大木が在るとのことで調査、
適木であることが確認され、秀吉は家康に伐採運搬を命じた。
棟梁の大きさは末口5尺長さ25尋である。想像を絶する巨大さ
であり、今では考えられない。
此の大仏は東大寺を凌ぐ物であり、東大寺の棟梁は末口4尺5寸、
元口5尺5寸長さ100尺である。東大寺でも全国を探し、懸賞で
周防の国に在ることが分かり、牛120匹で引き漸く東大寺まで
運ばせた。

家康は命に依り、駿・遠・参の3州の人士を動員し、時には自ら
督促して運搬を進めた。その詳細は「松平家忠日記」に記され
ており、抜粋する。

天正17年(1589)
 7月9日 秀吉、家康に大仏用木材を要請。家康命に従ふ。
  19日  駿・遠・参の三州の諸将、各々役夫を率いて駿府
に着到。
 8月2日  遠・参の諸将興津に赴く。
   3日  諸士加島より船に乗じ、上出の工事場に至る。
     「上出」の地名は富士宮の古老に聞いても無い。
これは「かみいで」と読み
      後に上井出の字に充てて地名になったと私見する。
 8月5日 初めて富士材木の引き出しに従事、長さ25仞の大
綱5条を纏い人此に集まり
     力を併せて援引せしが、この日は終に寸も動かざ
りき。
   6日 降雨。道路の修繕をなす。
   7日 降雨。材木引き出し凡そ30間。
   8日 凡そ130間。此の日着到130人と点ず。
      家康将士を慰労す。
9日 降雨。半日にて80間。
  10日 200間。
  11日 降雨。休み。
  12日 木引き。
  13日 降雨休み。
  14日 降雨休み。
  15日 木引き。
  16日 降雨休み。
  17日 工事急を要する為、家康二隊にての木引きを命じ、新た
に道路を開く。
  18日 降雨木引き休まず。
  19日 木引き。
20日 降雨。富士大木漸く木山を引き出すを得たり。
(此処までの推定1300間約2300m、後記の青木の地より逆算
すると、佐折の地が切り出し地と考えられるが、現在伝承等得られて
いない。)
       以下は次週に続ける。





































































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1 コメント

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次回が楽しみです♪(´ε` ) (ミケ)
2013-01-17 19:14:13
遥か昔の巨木を想像するのもなかなか楽しいですね!
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