富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(106)

2014年05月31日 15時48分38秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(106) 今泉周辺の年譜(14)

富士市の基幹産業の林業の記録も時時記したい。明治に始まった
「富士ひのき」に付き家祖の記も次に続けたい。写真は60年生
の杉林である。




年次    西暦    事項
明治27 1894 2月。勅令第15号 消防組規則及び県令消
          防規則施行細則に準拠し、火消しを 改めて
          吉原消防組として編成せり。(吉原町消防組
          と島田村火防を改め島田村消防組)(吉原)
          3月。郡庁舎の新築なりて移転す。(吉原)
          3月21日。学校に避雷針を設備す。(原田)
          7月。原田村共有財産並びに原田学校基本財
          産管理規定制定さる。
          (原田)
          8月。地籍の変更実施。(他町村とヤリトリ
          を行う)(伝法)
          8月13日。聖上広島大本営へ西下さる。奉送。
          (原田)
          11月27日。旅順港占領の捷報入る。学校は
          午後奉祝のため休業す。(原田)
          日本赤十字への入社1名。(檜新田 飛奈由三郎)
          (元吉原)
          この年現在における村の赤十字社員数17人。
          (今泉)

          この年の軍人数 現役陸軍1人 在郷52人 
          生徒数175人(35人)(原田)
          荷車馬車を始めて使用す。(中里の鈴木直左衛門)
          (須津)

          12月20日。原田製紙株式会社設立。(輸出ナプ
          キン原紙製造)(原田)
明治28 1895 2月24日。暴風雨。午前4時頃、暴風雨に依り川
          が氾濫し、鵜無ケ淵で家2軒が崩れた。(市)
          5月30日。天皇還幸、鈴川駅頭にて奉迎す。
          (原田)
          7月。今泉村巡査駐在所 今泉1248番地に設立さ
          る。(今泉)
          本村における日清戦役出征軍人17人 内戦死3人 
          徴発馬10頭。
          (元吉原)
          県農会規則発布。(元吉原)
          明治27年の県令第36号により今泉消防組を作る。
          (今泉)
          この年における本村の現役陸軍軍人3人 在郷軍人5
          5人。(原田)
          宗玄沢(武田家遺臣宗玄法印庵居せりとの口碑によ
          る地名)の開墾に谷口兼次郎着手す。(吉永)
          須津村における日清戦役出征軍人23人内戦死2人。
          (須津)
          この頃飯島氏麦を学理的に試作し、俄に発展せり。
          (須津)
明治29 1896 1月21日。吉原町大火。吉原町西本町より出火、
          吉原町の半ばを焼失す。(吉原)
          1月13日。吉原町の大火。西本町より出火し、
          西風にあおられ、町の大半が焼失した。此の時警察
          署も焼失した。(市)
          3月18日。伝法村農会組織さる。(伝法)
          3月。富士郡農会設立さる。元吉原村農会設立さる。
          (元吉原)
          6月。須津山管理人松下牧夫氏解任。後継者は松下
          氏の遺志を継承す。植樹地643町2反7畝25歩、
          原野795町9反3畝4歩。
           (須津)
          9月。郡制施行さる。(元吉原)
          日清戦役戦没者招魂祭並びに凱旋軍人祝賀会挙行。
          (吉原)
          法律第33号を以て営業税法発布。(吉原)

          この年の元吉は村の医師1人産婆10人。
          (元吉原)
          1月21日の吉原町の大火の際の本村消防
          組の活躍に対し県より感謝状を贈らる。
           (今泉)
          今泉製糸合資会社開業。(今泉)
          11月11日。富士川洪水。暴風雨で堤防
          が切れて崩れた。(市)
          11月27日。潤井川洪水。豪雨により堤
          防が切れて崩れ、稲作に大きな被害をもた
          らした。(市)

庭に「箱根山椒薔薇」が満開しての賑わい、また「夏萩」も咲きだした。

























富士市今泉の昔話(105)

2014年05月24日 10時48分43秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(105) 今泉付近の年譜(13)

此の間次の興味の3点が在る。

  1) 報徳社の発足。
    二宮尊徳の逸話は子供の頃教え込まれ、薪を負って
    本を読む銅像が学校に在り、眼に焼き付いている。
    その尊徳の教えに寄る報徳社が各地に結成され、遠
    州で盛と聞いているが当地にも流れが在った。子供
    の頃亡父嘉一が中村氏等近在10名程と時々報徳講の
    名の会合を持った事を覚えている。資料は探し得て
    いないが後日纏めを期したい。
  2) 用水路の整備。
    今泉村の東部一帯は高地で水が無く無住だったと思
    はれるが、1540年義元が善得寺及び善得寺城え
    の用水を原田の中島より得てより開発が進んだよう
    である。詳細は善得寺の水利として記述している。
    揚げ水として水路により配水地まで導き、此処より
    水路と竹樋により善得寺を潤した。善得寺が焼かれた
    後は、領主となった梅雪が新しい入植者に用水を整
    備したと思はれる。此の竹樋は「今泉宝鑑」にも今
    川時代の物として記が在る。此の年譜では明治10
    年に竹樋改修の記が在り、明治27年には土管によ
    る整備が行われ、なんにしても400年以上義元の
    用水が今泉東部の生活を支えてきたことは由々しい。
  3) 植林地(ふじ檜)の始め。
    富士山南麓に内山組合が設立され、明治25年初め
    て杉、松、檜による植林が行われた。是は現在の
    「富士ひのき」の源流であり、富士林業地の発端と
    いへる。発足時に「金原明善」の指導のもとに家祖
    「嘉平」の活躍が在り、別記して見たい。
     写真は大正植え付けの樹齢90年余の檜です。





年次   西暦    事項
明治24 1891 1月。教育勅語謄本を小学校に下付さる。
          (吉原)
          1月8日。教育勅語謄本を役場より受領す。
          而して1月10日奉読式を挙ぐ。(原田)
          1月23日。村と富士製紙株式会社との間
          に汚水問題に関する契約成立す。(伝法)
          5月16日。ロシア皇太子遭難に付き見舞
          電報を打つ。(原田)
          5月22日。聖上御西下。鈴川駅頭にて役場
          員、教員児童らこれを送迎す。(原田)
          8月14日。潤井川支川用水路に関する伝
          法村島田村組合設置の許可下りる。(伝法)
          9月13日。暴風雨。雨量が多く各水路が氾濫した。(市)
          10月28日。午前6時35分地震ありしも幸いにして人
          畜に被害なし。(伝法)
明治25 1892 3月。修業年限4カ年の尋常小学校とす。(今泉)
          3月。西柏原に設置せし分校を廃す。(元吉原)
          4月1日。鈴川郵便局開設さる。(鈴木長太郎氏の田子の
          浦史)電信事務開始の事ならん。
          4月。村立柏原尋常小学校新設さる。
          4月25日。石造眼鏡水門竣工す。(タテ12尺ヨコ12
          尺高さ10尺メガネ幅4尺ずつ、起工明治25,3,7の物)
          (伝法)
          5月。神戸分校を廃止し、其の児童を鵜無ガ淵尋常小学校に
          委託す。
           (今泉)
          6月7日。原田村立原田尋常小学校と改称。(原田)
          6月。吉原郵便局、電信事務を開始す。(吉原)
          10月30日。両陛下の御真影拝受。(原田)
          今泉村外5カ村組合の土地即ち内山組合林に始めて杉、松、
          檜を植ぅ。(原田)
          2カ年の高等小学科程を併立す。(須津)
          明治天皇、皇后の御真影の複写を小学校に対し許さる。
          (吉原)
          日本赤十字社静岡支部吉原町島田村組合分区事務所開設。
          初めて社員を募集す。(吉原)
          21カ村組合、率先して植林を始む。年々5町歩~10
          町歩植林する計画に基ずきてなり。又一般村民を勧誘し開
          墾畑作を行わしむ。(今泉)
明治26 1893 1月7日。吉原区栽判所設置。登記事務並びに民刑事事
          務を始む。(吉原)
          2月26日。午後1時中桁に火災発生し19戸56棟焼
          失す。未曽有の大火と言わる。(伝法)
          県令第33号を以て種痘細別定めらる。これによりて毎年
          春秋2期に種痘を実施す。(元吉原)
          今泉農会創立。(今泉)
          12月16日。富士報徳先行社組織さる。報徳精神の普及
          と実践の社なり。(今泉)
明治27 1894 1月。旧幕臣にして本村に移住開業の医師藤田昌庵は、明
          治10年開通の竹樋用水路廃絶のため住民難渋の状を見て、
          自ら主唱者となり日夜奔走し土管埋設によって引き水せん
          との計画を立て、賛成者漸増に力を得、万苦を超克遂に工
          事着手に至る。(今泉)

庭には「浦島草」が糸を垂れ、「踊り子草」が姫踊り子草と共に繁茂している。 


















富士市今泉の昔話(104)

2014年05月16日 21時04分17秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(104)今泉周辺の年譜(12)

晴れての一日、富士市「こどもの国」に遊んだ。
園内には丹精の「日本桜草」「九輪草」の群
が何ケ所かみられ、素晴らしかった。







明治22 1889 11月15日。伝法小学校設置。(伝法)
          自治区の制布かれ、伝法、弥生、弥生新田、
          香西、香西新田、瓜島、永田、依田原新田
          の何れもが伝法村と為れり。(伝法)
          県令第19号を以て伝法村の区域名称及び
          役場の位置を決定せり。
          (伝法)
          自治区の制布かれしにより、大淵、中野、厚
          原、を伝法より分離し、伝法村の役場は、伝
          法村字中村上2750番地へ移転せり。(伝法)
          県令第19号にて町村の区域決定。浮島村へ字
          船津新田を、吉永村桑崎へ桑崎字山内を夫々を
          編入し、元吉原村へ桑崎字水口、、同字上厩平、
          字水口を編入せり。(元吉原)
          此の年度における原田村の国税1,588円42
          銭9厘、村税652円61銭1厘、戸数271戸、
          男753人、女686人、人口計1,439人、
          現役軍人陸軍2人、在郷軍人36人、生徒202人、
         (31人)(原田)
          町村制施行さる。(吉永)
          市制町村制施行、戸長を村長と改称す。戸長役場
          を町村役場と改称。
          5カ村組合を一つにして須津村と称せり。(須津)
          12月31日。この日現在の大淵村の面積19,
          000町歩、戸数400戸、人口2,111人(大淵)
明治23 1890 3月28日。聖上御通輦、鈴川駅にてこれを役場員
          と教員奉迎送す。
          (原田)
          2月26日。潤井川支川用水路に関する組合、鷹岡
          村伝法村組合を設立す。(伝法)
          3月1日。吉永村駐在所設置。(吉永)
          4月17日。富士山噴火。(駿遠豆歴史物語)
          5月。元吉原尋常小学校は分校を西柏原新田に設置し、
          村立元吉原尋常小学校分校柏原分校と称す。(元吉原)
          5月。役場を大淵村東下原48の1に建築す。(大淵)
          5月7日。両陛下還御、奉迎の為鈴川駅に赴く。(原田)
          5月11日。原田村巡査駐在所設置。此の以前は柳田
          に設置せしも月日不詳。(原田)
          6月。明治天皇と皇后の御真影、県下の高等小学校へ
          下付さる。(吉原)
          6月23日。吉原―大宮間の往還改良新道開通す。馬車鉄
          道敷設運転開始。延長6哩、工費29,585円停車場7ケ所。
          (吉原)
          6月。小学校令に基ずき、伝法尋常小学校と改称。(伝法)
          8月30日。暴風雨の為生徒一人も登校せず、依って臨
          時休校とす。(原田)
          10月30日。教育に関する勅語下賜。(伝法)
          11月1日。吉原区裁判所設置さる。(吉原)
          11月29日。帝国議会発会式に付き、当日祝賀式挙行。
          (原田)
          村医を置く事決定。朝岡雲仲委嘱す。(原田)
          原田村農会創設。(原田)
          小学校令に基ずき、須津尋常小学校と改称。(須津)

我が家では先週の珍花につずいて「雲南蝋梅」「吊花」が賑やかである。


         











富士市今泉の昔話(103)

2014年05月09日 18時04分17秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(103) 今泉周辺の年譜(11)

明治21 1888 市町村自治制発布。(吉原)
          東海道鉄道敷設工事完了。(吉原)
          法律第一号を以て市町村自治制発布されし為、
          各市町村の境界を正し飛び地は組み換え処分
          すべしとの訓令に基ずき、明治22年これを
          実施し将来の錯雑を取り除くことと為れり。
         (伝法)
          町村制施行により一色村、今泉村に合併す。
          (今泉)
          依田橋村は此の時今泉村に再び合併す。(今泉)
          9月11日。富士川洪水。暴風雨により宮下の
          堤防が切れて崩れ、富士川一番出しが壊れた。
          (市)
          12月7日。暴風。軍艦清輝号が強い西風によ
          り、宮島三軒屋の海岸に打ち上げられた。(市)
          12月7日。帝国軍艦清輝号田子浦村三軒屋海
          岸に坐洲す。(鈴木長太郎氏の田子の浦史)
明治22 1889 1月10日。この日東海道鉄道開通し、同時に
          鈴川駅開設さる。
           (鈴木長太郎氏の田子浦史)
          2月。東海道鉄道開通。
          (吉原町、元吉原村沿革史)
          2月。自治区定められたるにより伝法尋常小学
          校廃校となり、組合村の厚原村は鷹岡町へ編入
          となり、中野村、大淵村の二村合併して大淵村
          となりしを以て二つの分校は分離せり。(伝法)
          2月。東海道鉄道開通す。元吉原村に鈴川駅開
          設さる。(元吉原)
          2月11日。帝国憲法発布に付き当日祝賀式挙行。
          この日雨雪紛々寒気凛冽。(原田)
          3月1日。町村自治制実施。各町村に長村長を選
          出せしめ、郡長これら町村長を監督統一せり。
          (吉原)
          3月。町村分合の達しあり。自治区の制布かれ、
          原田、三つ沢を以て原田村と称す。(原田)
          4月。町有基本財産確定。(吉原)
          4月。依田橋村分離す。公立今井尋常小学校を村
          立元吉原尋常小学校と改称す。(元吉原)
          4月。吉原町島田村組合組織編成並びに吉原尋常
          小学校を吉原町島田村組合尋常小学校と改称。
          (吉原)
          4月26日。町村議会議員選挙行わる。(吉原)

          4月。初めての村議会議員選挙。(元吉原)
          4月28日。町村制施行に際し村議会議員選挙行う。
          任期は6年。3年ごとに半数を改選する定めなり。
          (伝法)
          4月28日。町村制施行に際し従来の原田村と三つ
          沢村は合して原田村自治区を形成し、学区もまた旧
          に復し、公立原田尋常小学校と称し、この日開校す。
          (原田)
          6月15日。吉原町島田村組合町村長選出。(川島
          新作氏当選)
          (吉原)
          7月1日。町村制施行により、本村は伝法村より完
          全に分離し、役場を大淵村東下原に置く。初代村長
          に小山重次郎就任す。(大淵)
          9月。明治20年、各村に分割せし共有地秣場を出
          願によりて今泉外5ケ村共有地とし、21ケ字の名
          称は残す事とせり。(今泉)
          9月11日。潤井川洪水。午前3時頃より暴風雨と
          なり、稲作に大きな被害をもたらした。(市)

我が家の3大珍木が花盛りとなり見事である。
「なんじゃもんじゃ」


         

「ハンカチの木」




「おがたま」





富士市今泉の昔話(102)

2014年05月02日 20時28分46秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(102) 今泉周辺の年譜(10)

富士宮市の「さくらの園」に遅咲きの名花を尋ねて三
度目、5月上旬に「楊貴妃」「御衣黄」「鬱金」の盛り
の華をみる事が出来た。楊貴妃の名妃と共にの一時で
あった。








年次   西暦   事項
明治19 1886 3月。中里尋常小学校と改称す。
          (須津)
          4月6日。青島に組合経営の火葬場を
          設置せり。(吉原)
          4月。村立小学校浮島学校を村立小学校
          松籟学校に合併す。通学区域拡大され、
          従来の四カ村は10カ村となる。即ち鈴川、
          今井、大野新田、依田橋の4ケ村に田中新
          田、西柏原新田、中柏原新田、東柏原新田、
          沢田新田、檜新田の6カ村加わりて10ケ村
          となりしなり。(元吉原)
          6月26日。潤井川通り字六人新田堤防幅
          拡張工事申請。許可あり。
          (伝法)
          9月30日。岳陽学校設立認可さる。駿河国
          富士郡第9学区尋常小学岳陽学校と称す。
          (伝法)
          10月、公立今井尋常小学校と改称す。
          (元吉原)
          10月、初等、中等、高等の三ツの小学科を
          廃し、尋常小学科を置く。(今泉)

          沼川石水門再建工事竣工す。(浮島沼開拓史)
          吉原町沿革史には明治18年竣工と記す。
          各村地押調査実施の上、図面を作成し、各役
          場に備え付く。(吉原)
           学区改正により依田橋分離す。(吉原)
           この当時の伝法村伝法の人口は2,085人
明治20 1887  1月2日。富士活版印刷所営業開始。
           (内田治作)(吉原)
           2月1日。富士郡役所内に静岡始審裁判所管
           内吉原登記所を設く。
           (吉原)
           2月9日。潤井川洪水。(市)
           4月20日。この年の尋常小学科卒業生7人。
           (原田)
           4月。鈴川郵便局設置さる。(元吉原)(鈴木
           数正現鈴川郵便局長の言によれば開設は明治7,
           9,1、の由)
           9月22日。公立穆清尋常小学校原田分校と称す。
           (原田)
           蜜柑の木80本を始めて虚無僧沢に植う。(須津)
           村内の主要道路たる吉原―大宮往還23町20間
           が県道に編入さる。(伝法)

           この年の就学児童数は男105人女87人なり。
           (伝法)
           小学校令改正により吉原尋常小学校と改称。(吉原)
           鉄工場創立。(早房太郎)(吉原)
           岳南製紙会社(個人経営)初めて手濯改良半紙の
           製造を始む。(今泉芦川万次郎)
           共有地秣場の9字6164反歩余を組合各村に分割
           開墾せしむ。但し付属村には1/2の広さを分ち與う。
           (今泉)
明治21 1888   3月。町村制施行により6ツの字を合して今泉村と称
           し、小学校分校を神戸に置けり。(今泉)
           3月。村治財政の都合により、原田分校を当分閉鎖
           する事となる。(原田)
           4月。市制及び町村制公布さるるやその準備として、
           大淵村と中野村とを合して大淵村と称しその役場は伝
           法村に置き、伝法村戸長土屋代吉氏に大淵村戸長を兼
           ねさせた。(大淵村)
           4月。法律第一号を以て市町村自治制布かる。組合た
           りし大淵、中野、厚原を分離し、従来吉原町の組合な
           りし依田原新田を加えて一自治区とせり。図に記す。
           瓜島、永田、弥生、弥生新田、香西、香西新田は中古
          (年歴不詳)以来無民家。香西村は明治10年中民家僅
           かに4~5なりしが、これらはみな伝法村へ移住せし為
           無住民の村と為れり。(伝法)

庭には時を忘れぬ花達が続いている。「浦島草」「鳴子百合」