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富士市今泉の昔話(155)根方街道(4)

2015年05月02日 19時53分41秒 | 昔話

富士市今泉の昔話(155)根方街道(4)

根方街道は応永の頃(1400頃)善得寺城が出来日吉より北上の街道として確定と推定以来、鎌倉古道と一致し往来され続けた。時移り、1590年の頃秀吉の北条征伐があり、今泉瀬古の地と推定される吉原御殿の建設で大きく変化したと思はれる。
1600年の頃、江戸開府された頃善得寺城は廃城となり、家康の鷹狩りの拠点として吉原御殿を改築しての善得寺御殿が使われたと思はれる。此の為に、日吉より善得寺御殿への堀を埋めての曲折の今泉往還が出来たと思はれるのは前述の善得寺城の平城推定の基本となっている。
六所家資料に在る家康の瀬古御殿への道筋の図であり、その出発地の虎口を含む今泉往還の始まりである。







曲折の内、善得寺城の本丸と推定の愛鷹神社に至る道筋であり、往還は此処で右折する。





曲折を過ぎ、復応寺の前の往還。右の高みが家茂の泊地の御退場場(避難場所)。寺の南は往還整備時に整備されたと推定。



武家屋敷の向小路より旧善得寺跡の坂本を望む。途中に高札場がある。



瀬古の北上の往還である。左が吉原御殿・善得寺御殿・茶屋御殿の地である。



大宮道で吹上の地より北上する。鉄格子の部に昔の水配分の工夫がある。



今川時代の善得寺への水路であり、此の水路の右(東)に土手の形で道路があり、鎌倉古道の水タンク部で古道に合流し根方街道となっている。今は屋敷となり路の姿はない。子供の頃此の川でよく沢蟹を釣って遊んだ。



我が家の庭は二本のオガタマの木が満開で匂い、ハンカチの木・なんじゃもんじゃの木が。





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