富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(90)外伝 善得寺考 霊場めぐり(29)

2014年01月31日 19時48分54秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(90)外伝 善得寺考 霊場巡り(29)

四国霊場第74番 甲山寺
 順拝日 20,3,17、
 由緒等 大師が善通寺と曼荼羅寺との間に伽藍を建立しようと、
     その霊地を探していたら甲山の麓の岩窟から老翁が現れ、
     暗示を受けた。大師は歓喜のあまり、石を割いて毘沙門
     天の尊像を刻んで岩窟に安置し、供養された。
     その後大師は京都に居られたが、弘仁12年(821)、
     満濃池築造の別当に任ぜられて当地に赴任し、薬師如来
     を刻んで工事の成功を祈願した。その徳を慕う数万の農
     民に依って工事は完了した。そこで堂塔を建立し、薬師
     如来を本尊として安置したと言う。
     讃岐の地は古来水が不足し溜め池が多いが、満濃池はそ
     の最大で日本一と言はれている。
 御本尊 薬師如来
 御詠歌 じゅうにしん みかたにもてる いくさには
     おのれとこころ かぶとやまかな





四国霊場第75番 善通寺
 順拝日 20,3,17、
 由緒等 弘法大師は唐より帰朝後、大同2年(807)真言宗弘
     通の勅許を得たので、先祖の氏寺の建立を発願した。父
     の善通卿は大いに悦び自身の荘田を提供されたので、そ
     の年の12月より工事にかかり、6年後の弘仁4年7堂
     伽藍は完成した。
     堂塔は唐の青龍寺に模して造られ、寺名は父の名をとっ
     て善通寺と名付けられた。
     高さ約45mの5重塔は江戸末期から明治にかけて再建
     されたもので、寺の象徴と言える大塔である。
     此処は弘法大師の誕生所で御影堂が在り、御影堂の下に
     は戒壇巡りが在る。此処は「悪行の在る者は此の地下か
     ら出られない」と言はれる。

     (所感)鷹鳩と舞ふ影を地に善通寺     稜子
 御本尊 薬師如来
 御詠歌 われすめば よもきえはてじ ぜんつうじ
     ふかきちかひの のりのともしび





四国霊場第76番 金倉寺
 順拝日 20,3,17、
 由緒等 金倉寺は智証大師の祖父和気道麿(道善)によって宝亀
     5年(774)開創され、道善寺と称していた。智証大
     師は唐より帰国後しばらくこの寺にすまはれ、先祖の菩
     提にと、唐の青龍寺を模して伽藍の造営に着手し、4年
     後に落成した。仁寿元年(851)には勅願寺となり、
     延長6年(928)醍醐天皇が金倉の郷に在るので金倉
     寺に改称した。その頃寺は南北8km東西4kmの広大の寺
     域に132の僧坊を有して盛んであった。
     明治31年から4年間、乃木将軍が寺の客殿に住み善通
     寺の師団本部へ馬で通われた。寺域には銅像が在り、軍
     帽等の遺品、直筆の山号額も見られる。東京よりの夫人
     に会はず、夫人は松の下でたたずんでいたとの事よりこ
     の松を「乃木将軍妻返し松」と呼んでいる。
 御本尊 薬師如来
 御詠歌 まことにも しんぶつそうを ひらくれば
     しんごんかじの ふしぎなりけり






四国霊場第77番 道隆寺
 順拝日 20,3,17、
 由緒等 天平勝宝元年(749)のころ、この付近は一大桑園で
     あった。此の桑園で和気道隆は誤って乳母を弓で射って
     しまった。嘆き悲しんだ道隆は其の供養のために桑の大
     樹を伐って薬師如来の小像を刻み、小堂を建てて安置し
     た。是が此の寺の草創と伝える。
     その後、弘法大師が留錫し、薬師如来を刻んで小像を胎
     内に納め本尊とした。
     「眼なおし薬師さま」として信仰されている。
     寺域に多数の観音像が列座している。西国、秩父、四国、
     の3霊場の観音様合計255体の列座で壮観である。
     讃岐富士(飯野山)が眼前に出来る。
 御本尊 薬師如来
 御詠歌 ねがひをば ぶつどうりうに いりはてて
     ぼだいのつきを みまくほしさに






四国霊場第78番 郷照寺
 順拝日 20,3,17、
 由緒等 霊亀年間(715~17)行基菩薩により開創され、仏
     光山道場寺と名付けられ、御本尊の阿弥陀如来は行基菩
     薩の作と伝える。後に弘法大師が留錫して荒廃した伽藍
     を改築し霊場に定めた。更に後に一遍上人が伽藍を再興
     した。
     大師堂の手前には3万体の万体観音を安置した洞窟があ
     る。
     42歳の大師の自刻像を安置し、「厄除け大師」の名が
     在り、「心はすなはち本尊」の大師の言葉も残されてい
     る。
 御本尊 阿弥陀如来
 御詠歌 おどりはね ねんぶつとなふ どうじょうじ
     ひょうしをそろへ かねをうつなり






探梅の冬の時期、梅が咲き始めた。冬至梅の名に依る速さかもしれ
ない。紅梅も蕾が膨らんできた。春が駆け足で来るを感ずる。













































































富士市今泉の昔話(89)

2014年01月24日 15時11分34秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(89)外伝 善得寺考 霊場巡り(28)

四国霊場第69番観音寺
 順拝日 20,3,16、
 由緒等 寺伝によれば、大師は神恵院を霊場に定めた時、神功皇
     后は観世音の生まれ変わりとして聖観世音菩薩の尊像を
     刻まれ、山の中腹に7宝山観音寺を創建して尊像を安
     置し、八幡宮の別当寺として69番の霊場に定めた。
     観音寺の伽藍配置は奈良興福寺の東西金堂、中本堂の
     制に習っており、中本堂には聖観世音、西金堂には薬
     師如来と12神将、東金堂には弥勒菩薩を安置し
     ていた。
     本坊書院の庭園は、枯山水の名園で躑躅の名所として
     知られている。

 御本尊 聖観世音菩薩
 御詠歌 かんのんの だいひのちから つよければ
     おもきつみをも ひきあげてたべ





四国霊場第70番本山寺
 順拝日 20,3,16、
 由緒等 大同4年に弘法大師が建立し、天暦2年(948)に
     修理したが、その後上の4層が破損した為下の1重の
     みを修理し塔堂として残っている。本堂は大同2年
    (807)平城天皇の勅願により、弘法大師が一夜の内
     に建立したと伝えられる。
     美しい仁王門(8脚門)は久安3年(1147)の建
     立で重文。
     5重の塔は31番竹林寺と75番善通寺とこの寺の3
     か所しかない。
 御本尊 馬頭観世音菩薩
 御詠歌 もとやまに たれかうえける はななれや
     はるこそたをれ たむけにぞなる






四国霊場第71弥谷寺
 順拝日 20,3,16、
 由緒等 縁起によれば、行基菩薩が諸国を順拝の折、此の山に
     登った時、四国を始めとする備前、備中、備後、安芸
     の8国が展望出来た。そこで東の峰には阿弥陀如来、
     西の峰には釈迦如来を安置し、蓮華山八国寺と名付け
     た。
 御本尊 千手観世音菩薩
 御詠歌 あくにんと ゆきつれなんも いやだにじ
     ただかりそめも よきともぞよき




四国霊場第72番曼荼羅寺
 順拝日 20,3,16、
 由緒等 寺は弘法大師の先祖である佐伯氏の氏寺として推古4
     年(596)創建され、世坂寺と称していたが、弘法
     大師が留学後、御本尊の大日如来を勧請し、大同2年、
     金胎曼荼羅を安置し、唐の青龍寺に模して堂塔を建立
     し、寺号も我拝師山曼荼羅寺と改めた。
      境内には西行法師の「笠掛け桜」「昼寝石」がある。
 御本尊 大日如来
 
 御詠歌 わづかにも まんだらおがむ ひとはただ
     ふたたびみたび かへらざらまし





四国霊場第73番出釈迦寺
 順拝日 20,3,16、
 由緒等 伝説によれば、弘法大師が7歳の時この山に登り、「仏
     門に入り多くの人を救いたい。此の願いがかなうなら釈
     迦如来現れたまえ、もし願いがかなわぬならば1命を捨
     ててこの身を諸仏に供養する」と言って、断崖絶壁から
     谷底へ身を投げた。此の時釈迦如来と天女が現れて雲上
     に抱きしめ「一生成仏」の旨を言われた。一命を救われ、
     その願いが成就することを示された大師は、感激して釈
     迦如来の像を刻み、堂宇を建てて出釈迦寺とし、倭斯濃
     山を我拝師山に改めた。
     寺名はお釈迦さまが苦行した後、山から出てきた姿を
    「山出の釈迦」と言はれるところからきている。
 御本尊 釈迦如来
 御詠歌 まよひぬる ろくどうしゅじょう すくはんと
     とうときやまに いづるしゃかでら





「春遠からじ」の思いに庭の蝋梅が咲き始めた。3本の内1本のみ
 が花盛りの様子は「あはれ」を感ずる。






































富士市今泉の昔話(88)

2014年01月17日 08時38分01秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(88)外伝 善得寺考 霊場巡り(27)

四国霊場第64番前神寺
 順拝日 25,5,11、
 由緒等 石鎚山は役小角により開かれ日本7霊山の一つに数えら
     れている。小角は山頂で苦修練行し、蔵王権現を感得
     し、尊像を刻んで奉安した。その後桓武天皇が病気平癒
     を祈願し、成就したので7堂伽藍を建立し金色院前神寺
     とした。弘法大師も登山して求聞持法を修し霊場に定め
     た。
     毎年7月1日から10日間が「お山開き」とし、白衣に
     身を固めた数万の信者が前神寺より仏名を唱えながら山
     頂へ登る。
     参道には老木が茂り、桜並木は春の名所となっている。
 御本尊 阿弥陀如来
 御詠歌 まへはかみ うしろはほとけ ごくらくの
     よろづのつみを くだくいしづち




四国霊場第65番三角寺
 順拝日 20,3,16、
 由緒等 桓武天皇の勅願によって行基菩薩が開基し、弘法大師が
登山されて御本尊十一面観世音を刻まれ、更に不動明王
を彫刻し、三角形の護摩壇を築き、21日間降伏の秘法
を修された。三角寺の寺号は此の護摩壇に由来する。
     此の寺の本尊は子授けで有名で、裏の庫裏で「しゃもじ」
を戴いて帰り、これで夫婦仲良く食事を続けると子宝が
授かると言はれている。安産すると新しい「しゃもじ」
を買ってお礼参りをするのが習わしとの事である。
 御本尊 十一面観世音菩薩
 御詠歌 おそろしや みつのかどにも いるならば
     こころをまろく じひをねんぜよ




伊予を去って讃岐に入る。涅槃の道場である。順拝の都合により2
回目の順拝を始めた。バスを頼りの旅。順拝仲間を多く得て信心の
旅を実感した。
四国霊場第66番雲辺寺
 順拝日 20,3,16、
 由緒等 大師が16歳の時、寺の建築材を求めて登山したとこ
ろ、深遠な霊山の趣に心打たれて堂宇を建立したのが
此の寺の始まりで、大同2年(807)嵯峨天皇の勅
を奉じて再び登山し、御本尊を彫刻して仏舎利と仏法
石を山中に納め、霊場に定められた。
     ロープウエーの頂の本堂の宝前には尚雪が残り、冷気は
霊気に通づる思いの一時を過ごした。
 御本尊 千手観世音菩薩

御詠歌 はるばると くものほとりの てらにきて 
     つきひをいまは ふもとにぞみる




四国霊場第67番大興寺
 順拝日 20,3,16、
 由緒等 縁起によれば弘仁13年(822)嵯峨天皇の勅命で弘
法大師が熊野三所権現鎮護の霊場として開創し、御本尊
の薬師如来を彫刻して安置された。後に真言、天台の2
宗によって管理され、真言が24坊、天台は12坊在っ
て本堂の左右に真言、天台の大師堂が在った。その後天
正の兵火により本堂を残して他の堂宇は焼失し、現在の
建物は慶長年間に再建された物。
     仁王門は八百屋お七の恋人の吉三が、お七の菩提をとも
らう為の遍路の途次の寄進と伝えられている。
御本尊 薬師如来
 御詠歌 うえおきし こまつをでらを ながむれば
     のりのおしえの かぜぞふきぬる





四国霊場第68番神恵院
 順拝日 20,3,16、
 由緒等 文武天皇の頃、法相宗の日証上人が山頂に草庵を結んで
修業していた時、海の彼方に神船が浮かんで琴の音が聞
こえ、宇佐八幡のお告げがあり、その神船と琴を引き上
げて山頂に祀った。
     この神船は神功皇后の所縁の在る船なので皇后の像も合
祀し、大宝3年(703)八幡の本地仏である阿弥陀如
来の尊像を安置した。養老6年(722)には行基菩薩
が巡錫し、後に弘法大師も此の地に巡錫し、阿弥陀如来
の尊像を描いて本尊として68番の霊場に定め、寺号を
琴弾山神恵院と名ずけた。
御本尊 阿弥陀如来
 御詠歌 ふえのねも まつふくかぜも ことひくも
     うたふもまふも のりのこえごえ






正月の一日を世界遺産となった富士山を司祭する富士の宮浅間神社
に詣でた。賑やかの中に出初め式に会い、梯子乗りの曲芸を見る事
が出来た。                
26年度は登録2年目。色々の行事が考えられている。


































富士市今泉の昔話(87)

2014年01月10日 19時23分41秒 | 昔話

富士市今泉の昔話(87)外伝 善得寺考 霊場巡り(26)

 
 泰山寺(所感)心経を唱え眼洗ふ花あやめ    稜子
 栄福寺(所感)さくらんぼの鈴なり詣で口なりき 稜子
 仙遊寺(所感)石楠花や観音の裾たをやかに   稜子

四国霊場第59番 国分寺
 順拝日 25,5,12、
 由緒等 天正13年(741)、聖武天皇の勅願によって行基菩
     薩が開創し、7堂伽藍は整備され諸国の国分寺に比して
     豪壮な構えであった。4度の兵火に会い茅葺きの小堂
     のみとなっていたが、寛政元年(1789)恵光上人
     が金堂(本堂)を建立し、その後諸堂が整備された。
     (所感)風薫る石の大師と握手して   稜子 




 御本尊 薬師如来
 御詠歌 しゅごのため たててあがむる こくぶんじ
     いよいよめぐむ やくしなりけり






四国霊場第60番 横峰寺
 順拝日 25,5,11、 
 由緒等 白雉2年(651)、役行者小角が星が森で練行中に石
     鎚山頂に蔵王権現が示現した。そこで小角は其の尊像を
     刻み小堂を建立して安置した。弘法大師は弘仁年間、四
     国巡錫中厄除けの為星が森で星供を修され、寺から14
     km離れた石鎚山へ21日間日参された。結願の日に再度
     蔵王権現が示現したので、大師は当山を霊山と思はれ、
     大日如来を刻み本尊とし伽藍を建立し、霊場に定められ
     た。

     夏霧の深さと足弱又高地の気弱に、納札を子らにゆだね
     て遥拝す。
     (所感)参詣のかなはず読経夏の霧  稜子

     
 御本尊 大日如来
 御詠歌 たてよこに みねややまべに てらたてて
     あまねくひとを すくふものかな





四国霊場第61番香園寺
 順拝日 25,5,11、
 由緒等 縁起によれば、用明天皇の病気平癒を祈つて聖徳太子が
     創建した事に始まり、此の時金衣白髪の老翁が飛来して
     御本尊の大日如来を安置したと言ふ。天平年間には行基
     菩薩も留錫し、大同年間になると弘法大師が巡錫された。
     (所感)寺道は今伊予に入る夏燕   稜子
 御本尊 大日如来
 御詠歌 のちのよを おもえばまいれ こうおんじ
     とめてとまらぬ しらたきのみず





四国霊場第62番宝寿寺
 順拝日 25,5,11、
 由緒等 当初は聖武天皇の勅願によって伊予一宮の法楽所として
     中山川下流の白坪に建立された。そして金光明最勝王経
     を奉納し、僧道慈を任じて購読させた。その後弘法大師
     は寺に永く留まり、光明皇后にかたどって十一面観世音
     を彫刻して本尊とし、寺号を宝寿寺とされた。

     (所感)一宮てふみ寺なり五月雨るる   稜子
 御本尊 十一面観世音菩薩
 御詠歌 さみだれの あとにいでたる たまのいは
     しらつぼなるや いちのみやかな




四国霊場第63番吉祥寺
 順拝日25,5,11、 
 由緒等 御本尊は毘沙門天で脇士は吉祥天と善弐師童子。弘法大
     師が人々の貧苦を救わんと一刀参礼して刻まれた。その
     頃寺は坂元山に在り、寺域も広く塔中21坊を有する大
     伽藍であったが、天正の兵火で全山焼失し、万治2年
    (1659)末寺の檜木寺と合併して現在地に建立された。

     (所感)成就石に成就を願ふ樟若葉   稜子
 御本尊 毘沙門天
 御詠歌 みのなかの あしきひほうを うちすてて
     みなきちしょうを のぞみいのれよ




山初めの富士の輝き。樹齢を重ねる木々有り難く共に拝す。
  初山の常を3日に妻とかな      壷天
  道の辺の白きを踏みて山初め     稜子
























富士市今泉の昔話(87)

2014年01月04日 10時58分31秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(87)外伝 善得寺考 霊場巡り(25)

       迎春 奉賀
            平成26年元旦
    初山や父との径を子と辿り       壷天
    白富士に男時の至る四温晴       稜子

 四国霊場巡りの記の間に元旦を迎えた。初詣を0時に済ませ、
 初富士・初日を丘に拝し得た。感激を写真に残した。 
 初富士の頂より日を得ての進みゆく輝きに魅せられた。










東雲に日矢を放し始めてよりの将に荘厳の一時であった。









四国霊場第56番 泰山寺
 順拝日 25,5,12、
 由緒等 弘仁6年、弘法大師が此の地を巡錫した時、梅雨の為蒼
     社川の水が氾濫していた。毎年梅雨には家・田畑や人命
     を奪い農民は此の川を恐れて人取り川と呼び、悪霊の技
     と信じていた。そこで大師は川原に壇を築き、「土砂加
     持」の秘法を7座厳修された。満願の日に御本尊地蔵菩
     薩を感得し、祈願成就したので1寺を建立して御本尊を
     安置し、延命地蔵10大願の第一「女人泰産」から寺名
     を取られ「泰山寺」とした。
     天長元年(824)、淳名天皇の勅願所となり、7堂伽
     藍も完備し10坊を有する大寺となった。




 御本尊 地蔵菩薩
 御詠歌 みなひとの まいりてやがて たいさんじ
     らいせのいんどう たのみおきつつ





四国霊場第57番 栄福寺
 順拝日 25,5,12、
 由緒等 縁起によれば嵯峨天皇の勅願により弘法大師の開創。大
師が瀬戸内海を巡錫し、平穏を祈って大護摩を修されて
居ると、海中より阿弥陀如来を感得し、御本尊として奉
安した。





御本尊 阿弥陀如来
 御詠歌 このよには ゆみやをまもる やはたなり
     らいせはひとを すくふみだぶつ





四国霊場第58番 仙遊寺
 順拝日 25,5,12、
 由緒等 寺は天智天皇の勅を奉じて国守越智興公が堂宇を建立
したのに始まり、御本尊の千手観世音は龍女が刻んだ
と言はれ、天智天皇の守護仏であった。その後阿坊仙
人と称する僧が40年間参籠した事よりその名にちな
んで仙遊寺と呼ばれるようになった。後に弘法大師が
巡錫し、荒廃した寺を再興し寺運を盛んにしている。
     境内より瀬戸内海の美しい島島が展望でき、「しまな
み海道」が開通した。





御本尊 千手観世音菩薩
御詠歌 たちよりて されいのどうに やすみつつ
     ろくじをとなへ きょうをよむべし