富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(164)清岩寺の由緒(4)

2015年10月18日 19時05分43秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(164)清岩寺の由緒(4)

清岩寺は前期の如く3世の欣誉上人により「冨栄山」の山号を附され「冨栄山清岩寺」として発展した。歴代御住職は別項とし、本稿では以降の事項を列挙してみる。

戦国の騒乱漸く治まり、新しい徳川の時代の初期である。慶安4年(1651)十一月二十八日早暁、清岩寺は火災にあつた。これにより堂宇・諸記録すべて灰燼に帰してしまつた。七世運誉上人の時である。運誉上人は諸檀家に勧請し寺の再興の努力を重ねた。
此の時駿河大納言が家光の不興を受け高崎で自刃、家臣一同も罪を受けて東西へ追放された。
1633年の時である。茶屋御殿も破壊され家臣の家も空き家となり始末されたに違いない。
此の家臣の中に「有泉大学」「稲葉但馬守」があり、その屋敷が寺の再興に利用されたと思われる。
穴山梅雪の家臣は武田滅亡後徳川に仕え、駿河大納言に仕えており、梅雪の家臣の中に有泉はあるが稲葉の名はない。駿河大納言の家臣に有泉はあり、稲葉はあるが春日局の二男である。長男は家光に仕え小田原城主従五位下である。二男は同じ従五位下の但馬の守と考えると一致する。

その頃今泉に有泉大学てふ人ありしが武蔵に移れるをもて、そが家を吉久買うて庫裡とし、又おなじ村の稲葉但馬が門を買いて山門となして、(駿河国新風土記)
その頃今泉村に有泉大学武蔵に移れるを、その家を中村吉久買い得て移建庫裡とし、同村の稲葉但馬の門を移し建つ。両氏は穴山家臣なり。(駿河志料)
後、善徳寺の代官、泉大学殿の武道館を本堂に、稲葉但馬の邸を庫裡に、その邸宅の門を山門に移築造営し、(清岩寺沿革)

清岩寺の西の瀬古にあつた駿河大納言の興亡は清岩寺への影響が残されている。然しながら大納言の自刃は1633年であり、吉久の卒年は1605年であり前記には間違いがある。大納言の没後家臣の追放があり、外様は東へ譜代は西へで、有泉は武蔵(江戸)にまた稲葉は九州(細川家)に追放され空き家ができたと思はれる。1635年頃?
駿河大納言の時屋敷の四方に大木戸を設けている。冠木門で尺の角柱でその一つの石基礎が石垣に組まれ今にのこつている。東門は新設の清岩寺の前の坂道にあり、此の坂は土地の人より「清岩寺坂」と呼ばれ記がある。坂はまた明治まで石畳みであつたとの事にて、その石は外されたのち清岩寺の飛び石とされていたが今はない。




家光の代、慶安2年(1649)十月拾二石の御朱印地を拝領、この辺の寺としては大きいほうである。

山門は火事震災に損することなくあると、春日の局の所縁と400年を超す年代は清岩寺の宝と考える。
七世運誉上人の努力に檀家の協力により復興した。此の時塔頭も二寺を備えての盛より上人を中興の祖としている。

全盛期の清岩寺は古図によれば、山門を入つて西側に寿徳院(143坪)、東側に善慶院 (115坪)があつた。(清岩寺沿革)。古図(寛政2年1790十一月)。
塔頭。善慶院、光照院、寿徳院。(駿河志料)
塔頭。善慶院、光照院、寿徳院の三寺ありしが二寺は廃して善慶院のみ存せり。(新風土記)


正徳二年(1712)寺域供養料として拡大。北辺一反五畝。

元文元年(1736)霊簿。14世通誉上人記。

天明二年(1782)山門額。増上寺大僧正誉上人の筆による「冨栄山」の山号。

天明8年(1788)名号塔。社多鸞山記。祐天上人の筆により、側面は清岩寺沿革。

文政6年(1823)清岩寺縁起書きあげ。中村藤左衛門。

安政元年(1854)安政の大地震により堂宇倒壊。8間4方の本堂倒壊。26世安誉上人努力により改築。

明治十三年(1880)二十七世念誉上人の時である。火事は今泉鍛冶屋宿より出火し、今泉全体を類焼清岩寺まで及んだ。慶安4年の火災の時は復興が早かつたが、今回の復興は遅れたようである。時代は明治御一新、廃仏毀釈の嵐の中物価高騰の折計画はなかなか進まなかつた。二十八世良誉上人の再建に対する熱意と努力は檀家を動かし、大正十五年((1926)二月槌音高く工事着工、昭和二年(1927)秋本堂堂宇完成にいたつた。その後庫裡完成を待つて遅れる事四年、昭和六年(1931)三月本堂入仏式を挙行した。回禄の災より再建まで実に五十一年、良誉上人の労や大なるものである。此の時鐘楼・鎮守堂・山門は難を免れた。

昭和39年(1964)第29世実誉上人が庫裡を新築。

昭和40年(1965)境内に六地蔵及び地蔵大士碑(米とぎ石)整備。

平成2年(1990)本堂修理、寺号額本堂に掲示。

平成21年(2009)~平成24年(2012)
 第30世匡頴上人の努力と檀家の総意により下記の如く平成の大整備を行なつた。耐震性の 向上に新建材の使用で外観一新の完成を見た。
 「第一期 本堂・位牌堂改修工事」
 「第二期 客殿・庫裡建替え事」
 「第三期 境内整備工事」


平成25年(2013)鐘楼老朽化し危険のため改築。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿