富士市今泉の昔話(29)今泉小学校の思い出(3)
小学校の思い出は水の上の教場が多いが、既に二回を記した。
加齢の整理を進めた所、文集などが出てきた為記して見たい。
思い出は小学校の二年ごろが多い。二年の担任は今村甲子夫
先生(一夜)だった。学校に綴り方、童詩の流れが在り、先生
がリード下さった。
水の上の教場には、上の運動場と下の運動場が在り、上の部分
に古い校舎又下の部分に教員室があった。下の運動場の東は
崖(善得寺城の在った時は惣構の南縁だったと私見する)で、
縁に椋の木の大樹が数本あった。青嵐を為し、木の葉時雨を
見せ私たちを励ましてくれた。時の校長は鈴木長太郎先生(亡く
なられた富士市長鈴木清見氏の御尊父)で、「椋の木」
と言ふ文集を出して下さった。古い文集を見ると懐かしく、
その巻頭言と清見氏の文を見て戴く。
今村先生は綴り方(作文)の授業に多くの言葉を下さったので、
その一部を思い出として見たい。
写真に続く今村先生の文です。
心がねじけると文もねじける。
心がうれしければ文もうれしく、心にしんぱいごとがある
と文もしんぱいな文になる。(心が泣けば文が泣き心が笑
へば文も笑ふ)
心がこまかければ文もこまかくなる。
心がすなをで 正しく 美しければ 文もすなをに 正
しく美しい。
よくみる
よくかく
よくあじわふ
書くまで
文をたくさんよむ
できごと 人 ものごと をよくみる
よくきく
しらべる
文話をきく
書きつけておく
書くとき
ふり辺ってよく考える
だいを見付けてあつめる
文字をきれいに
中心をきめる
どんな じゅんじょに書くか決める
うそを書かないで 正直に書く
くわしくかく
心を書く
大ざっぱにかく
知っているだけ かん字をつかふ
口語文か 文語文かきめる
文段をつける
、 。 「 」をつける
書いてから
よみ返す すらすら よめてお話が
よくわかるか?
なをす つけたす
かんじに書き辺へる かなを
なをす
、 。 「 」をつける
思った通りにかけたか
心と文とちがっていないか
面白くかけたか
たりないところ よぶんなところ
ないか
一暇を得て井川の錦に。
小学校の思い出は水の上の教場が多いが、既に二回を記した。
加齢の整理を進めた所、文集などが出てきた為記して見たい。
思い出は小学校の二年ごろが多い。二年の担任は今村甲子夫
先生(一夜)だった。学校に綴り方、童詩の流れが在り、先生
がリード下さった。
水の上の教場には、上の運動場と下の運動場が在り、上の部分
に古い校舎又下の部分に教員室があった。下の運動場の東は
崖(善得寺城の在った時は惣構の南縁だったと私見する)で、
縁に椋の木の大樹が数本あった。青嵐を為し、木の葉時雨を
見せ私たちを励ましてくれた。時の校長は鈴木長太郎先生(亡く
なられた富士市長鈴木清見氏の御尊父)で、「椋の木」
と言ふ文集を出して下さった。古い文集を見ると懐かしく、
その巻頭言と清見氏の文を見て戴く。
今村先生は綴り方(作文)の授業に多くの言葉を下さったので、
その一部を思い出として見たい。
写真に続く今村先生の文です。
心がねじけると文もねじける。
心がうれしければ文もうれしく、心にしんぱいごとがある
と文もしんぱいな文になる。(心が泣けば文が泣き心が笑
へば文も笑ふ)
心がこまかければ文もこまかくなる。
心がすなをで 正しく 美しければ 文もすなをに 正
しく美しい。
よくみる
よくかく
よくあじわふ
書くまで
文をたくさんよむ
できごと 人 ものごと をよくみる
よくきく
しらべる
文話をきく
書きつけておく
書くとき
ふり辺ってよく考える
だいを見付けてあつめる
文字をきれいに
中心をきめる
どんな じゅんじょに書くか決める
うそを書かないで 正直に書く
くわしくかく
心を書く
大ざっぱにかく
知っているだけ かん字をつかふ
口語文か 文語文かきめる
文段をつける
、 。 「 」をつける
書いてから
よみ返す すらすら よめてお話が
よくわかるか?
なをす つけたす
かんじに書き辺へる かなを
なをす
、 。 「 」をつける
思った通りにかけたか
心と文とちがっていないか
面白くかけたか
たりないところ よぶんなところ
ないか
一暇を得て井川の錦に。
祖父のことをふと考えていたら、この文章に出会いました。心から感謝します。