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富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(82)

2013年11月29日 19時51分39秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(82)外伝 善徳寺考 霊場巡り(20)

平成21年志して3回目の順拝に阿波一国を回ったが、22年に一
病を得て順拝を休止、23年の回復静養を経て、24年には更なる
順拝を期した。
24年の順拝には、妻子孫に付きそはれ、酸素ボンベ(コロちゃん
と愛称)を曳き、ジャンボタクシーを利しての3泊の旅となった。

四国霊場第28番 大日寺
 順拝日 24,5,18、
 由緒等 本堂に寺の開基である行基墓お札が刻まれた大日如来
    (国重文)が安置され、大日堂と称していた。
     大同年間に弘法大師が巡錫されて、楠に薬師如来を刻
     まれ「つめぼり薬師」として知られ、此の尊像は奥の
     院に安置されている。
     (所感) 順拝の初め大山蓮華かな      稜子
 御本尊 大日如来
 御詠歌 つゆしもと つみをてらせる だいにちじ
     などかあゆみを はこばざらまし




四国霊場第29番 国分寺
 順拝日 24,5,18、
 由緒等 寺は、聖武天皇の勅を受けた行基菩薩が、本尊千手観
     音像を刻んで天平13年(741)に開創し、天皇は
     自ら金光明最勝王経をを書写して納め、天下泰平・
      五穀豊穣・万民豊楽を祈る勅願寺とされた。
 御本尊 千手観世音菩薩
 御詠歌 くにをわけ たからをつみて たつてらの
     すえのよまでの りやくのこせり





四国霊場第30番 善楽寺
 順拝日 24,5,18、
 由緒等 桓武天皇の頃、弘法大師が此の地に巡錫し、土佐一之
     宮の別当寺として善楽寺を建立し、30番の霊場とし
     た。廃仏毀釈の折には、神宮寺に続いて廃寺となった。
     昭和4年、大師像や寺宝が戻り、30番善楽寺は復興
     する。その後安楽寺へ行った御本尊も平成6年に善楽
     寺に移遷し、2か所あった30番札所が統一された。
 御本尊 阿弥陀如来
 御詠歌 ひとおほく たちあつまれる いちのみや
     むかしもいまも さかへぬるかな





四国霊場第31番 竹林寺
 順拝日 24,5,18、
 由緒等 寺伝によれば、聖武天皇が在る時唐の五台山で文殊菩薩
     を拝まれた夢を見られた。夢から覚めた天皇は、我が国
     にもこれに似た霊地が在るに違いないと、行基菩薩に諸
     国を歩いて探しだすように命じた。神亀元年(724)
     行基菩薩は五台山に似た山容を見付け、此処に寺を建立
     し、自ら栴檀の木に文殊菩薩を刻んで安置した。
     弘仁年間には、弘法大師が巡錫して修業を積まれ、伽藍
     を補修し、札所に定められた。 
    (所感)石の八つ橋架けて古刹の半夏生      稜子
 御本尊 文殊菩薩
 御詠歌 なむもんじゅ みよのほとけの ははときく
     われもこなれば ちこそほしけれ
    






四国霊場第32番 禅師峰寺
 順拝日 24,5,18、
 由緒等 山容が観世音の補陀洛山(理想の山)さながらで八葉
     の蓮台に似ていることから、大同2年(807)弘法
     大師が巡錫して八葉山の山号を付け、霊場とされた。
     境内から遠く桂浜が見える。
     (所感)風薫る桂ケ浜を眼下にし       稜子
 御本尊 十一面観世音菩薩
 御詠歌 しずかなる わがみなもとの ぜんじぶじ
     うかぶこころは のりのはやぶね





5年生の檜の林地である。漸く芯が立ってきた。









 















富士市今泉の昔話(81)

2013年11月23日 14時58分50秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(81) 外伝 善徳寺考 霊場巡り(19)

ペースメイカーの電池の10回目の交換を3泊4日の思はぬ短期間
で無事終了、再生した。同胞の支えあっての再生多謝。短期間の入
院に同室のN氏より色々の話題を戴き、千葉県の事も教えて戴い
た。養老渓谷の紅葉、大学の演習林の見事さを聞き訪ねる機会あれ
ばとも思った。
四国霊場巡りの満願の年の再生、有り難く過ごしたい。
ブログを続ける。

四国霊場第23番 薬王寺
 順拝日 21,11,5、
 由緒等 発心の道場と言はれる阿波一国の最後の霊場である。
     寺伝によれば、弘仁6年、弘法大師42歳の時、自他
     の厄除けを誓願し、一刀三礼し刻まれたのが 本尊の
     薬師如来で、大師の奏聞により、平城・嵯峨・淳和の
     各帝は厄除けの勅使を下して官寺とされたが、文治4
     年(1188)の火災で灰燼に帰した。此の時本尊を
     出す事が出来ないでいたところ、本尊は光を放ちなが
     ら西の玉厨子山(奥の院所在地)へ飛び去ってしまっ
     た。後に嵯峨天皇が勅使を下して伽藍を再建し、新し
     く薬師如来の尊像を刻ませ、入仏供養をされると、先
     に玉厨子山に移られた本尊が戻って後ろ向きに本堂に
     はいられた。
     「後向薬師」と呼ばれるのは此の為で、本堂には二体
     の薬師如来が安置されている。
 本尊  厄除薬師如来
 御詠歌 みなひとの やみぬるとしの やくおうじ
     るりのくすりを あたえましませ




四国霊場第24番 最御崎寺
是より「修行の道」とさじに入る。順拝の都合により最後の日の
足を伸ばした。
 順拝日 21,11,5、
 由緒等 御本尊は大同2年(807)大師が寺の創建と共に刻
     まれた虚空蔵菩薩。唐から帰られた大師は、その翌年
     嵯峨天皇の勅命を奉じて室戸を訪れている。 
     元和元年には最勝上人が再興し、山内忠義が堂宇を建
     立して7堂伽藍を整備した。明治に入り荒廃したが、
     大正3年に復興した。
     室戸岬の南端で修業された上人の目前には、壮大な空
     と海が在った。この頃19歳の青年であった大師は、
     「無空」と言ったがこの大自然と対決して証悟し後
     は、名を「如空」と変え、更に「教海」、そして22
     歳で「空海」と改めている。
 御本尊 虚空蔵菩薩
 御詠歌 みょうじょうの いでぬるかたの ひがしてら
     くらきまよいは などかあらまし




四国霊場第25番 津照寺
 順拝日 21,11,5、
 由緒等 御本尊は大同2年、弘法大師が巡錫された時に刻ま
     れた延命地蔵菩薩。秘仏で拝観できないが、海上の
     安全と火難よけの霊験あらたかと言う。慶長6年
     10月、国守山内忠義が室戸岬を航行中に暴風に襲
     われた。そこへ大僧が現れて船の舵をを取り、全員
     無事に避難する事が出来た。港につくと僧の姿が見
     えないので後を追うと、津寺の本堂の中え消えた。
     御本尊を拝したら、全身びしょぬれで、それ以来
    「楫取地蔵」と呼ばれ、多くの船人から信仰されるよ
     うになった。
 御本尊 楫取延命地蔵菩薩
 御詠歌 のりのふね いるかいずるか このつてら
     まよふわがみを のせてたまえや




四国霊場第26番 金剛頂寺
 順拝日 21,11,5、
 由緒等 弘法大師は若かりし頃、此の山で修業され、大同元年
     には勅命を帯びて鎮護国家の道場として寺を創建し、
     御本尊の薬師如来を刻まれた。その頃7堂伽藍は整備
     され、寺領は600石であった。寛永年間には山田忠
     義が諸堂を修善し、100石を寄進している。
 御本尊 薬師如来
 御詠歌 おうじょうに のぞみをかくる ごくらくは
     つきのかたむく にしてらのそら





四国霊場第27番 神峰寺
 順拝日 21,11,5、
 由緒等 寺の縁起によれば、当初、天照大神その他の諸神が祀
     られ、後に行基菩薩が自ら十一面観音を刻んで安置し、
     神仏を合祀した。大同4年には聖武天皇の勅命によっ
     て観音堂と名ずけられ、延暦年間に四国霊場に定めら
     れた。明治の神仏分離で一時廃寺となったが、明治
     17年再興された。 
 御本尊 十一面観世音菩薩
 御詠歌 みほとけの めぐみのこころ こうのみね
     やまもちかいも たかきみづおと




師走に近い林地を尋ねた。植え付け後4年の檜である。既に鹿の
被害が見える。
































富士市今泉の昔話(80)

2013年11月15日 20時33分30秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(80)外伝 善徳寺考 霊場巡り(18)

四国霊場巡りの三度目の二日めを続ける。発心の道場巡りであ
る。資料は平幡氏著「四国へんろ」よりお借りしている。

四国霊場第18番 恩山寺
 順拝日 21,11,4、
 由緒等 縁起によると、聖武天皇の勅願により、行基菩薩が厄
     除けの為に薬師如来を刻み、本尊として開基し、大日
     山密巌寺と号し、女人禁制とした。創建後百年を経
     て、弘法大師が此の寺にとどまり、そのとき母君の玉
     依御前が大師を慕ってお出になったが、女人禁制為登
     る事が出来なかった。大師は仁王門の近くで秘法を修
     して女人解禁の祈念を成就し、母君を伴って登山し、
     日夜孝養をつくされた。やがて母君は剃髪してその髪
     を納められ、大師は寺号を母養山恩山寺と改めた。
 御本尊 薬師如来
 御詠歌 こをうめる そのちちははの おんざんじ
     とぶらいがたき ことはあらじな




四国霊場第19番 立江寺
 順拝日 21,11,4、
 由緒等 縁起によれば聖武天皇の勅願所として天平年間に行基
     菩薩が開創し、光明皇后の御安産の為にと、5cmの
     地蔵菩薩を造顕され、白鷺の暗示を受けた地に堂宇を
     建立して尊像を安置した。
 御本尊 延命地蔵菩薩
 御詠歌 いつかきて にしのおすまいの わがたちえ
     くぜいのふねに のりていたらん




四国霊場第20番 鶴林寺
 順拝日 21,11,4、
 由緒等 延暦17年(798)桓武天皇の勅願によって弘法大
師が開創し、真然僧正が7堂伽藍を完成した。
     此の寺で修業中の弘法大師は、黄金の地蔵菩薩が老杉の
梢に降臨し、それを2羽の白鶴が翼をかざして護つてい
るのを発見された。歓喜した大師は1m程の地蔵菩薩を
彫刻し、黄金像をその胎内に納め本尊として安置され、
山号を霊鷲山、寺号を鶴林寺と名付けられた。
 御本尊 地蔵菩薩
 御詠歌 しげりつる つるのはやしを しるべにて
     だいしぞいます ぢぞうたいしゃく




四国霊場第21番 太竜寺
 順拝日 21,11,4、
 由緒等 寺伝によれば、草創は神武天皇で、そのご延暦11年、
弘法大師が此の山に登り、舎心嶽で百日間修業され、
同17年嵯峨天皇の勅命で国司が伽藍を創建し大師は
本尊を始めとする諸仏を刻んで安置されたと伝え、そ
の後寺は衰微したが、大師52歳の時に淳和天皇の勅
願によって再興され、皇室や武将等の尊信も厚く、今
日まで伽藍は維持されて来た。
御本尊 虚空蔵菩薩
 御詠歌 たいりゅうの つねにすむぞや げにいはや
     しゃしんもんぢは しゅごのためなり



四国霊場第22番 平等寺
 順拝日 21,11,5、
 由緒等 弘法大師は此の地で修業中に薬師如来を感得
し、自ら尊像を彫刻して本尊とし、人々を平
等に救うため寺号を平等寺とした。此の時錫
杖で大地を掘ったら乳の様な霊水が湧きでた
ので、白水山の山号を付けたと言う。
 御本尊 薬師如来
 御詠歌 びょうどうに へだてのなきと きくときは
     あらたのもしき ほとけとぞみる



名残の「セキヤノアキチョウジ」が可憐な紫色の花を見
せている。群れ咲くときは見事である。




来週はペースメーカーの電池の10回目の交換予定。永ら
えての10回目有り難い。一週は休みとせざるを得ないか
もしれないが再起には又ブログを続けたい。






















富士市今泉の昔話(79)

2013年11月09日 13時40分00秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(79)外伝 善徳寺考 霊場巡り(16)

順不動の順拝。3度目の2日目を続ける。

四国霊場第14番 常楽寺
 順拝日 21,11,4、
 由緒等 弘仁6年、弘法大師が此の地で修業されて居る時、弥
     勒菩薩を感得され、直ちに尊像を刻み、堂宇を建立し
     て安置した。後に、大師の弟子真然僧正は、金堂を建
     立し、祈親法師は講堂・三重塔・仁王門など増築した
     が、天正の兵火で焼失し、万治15年に再建し、文化
     15年に現在地へ移転された。
 御本尊 弥勒菩薩
 御詠歌 じょうらくの きしにはいつか いたらまし
     くぜいのふねに のりおくれずば




四国霊場第15番 国分寺
 順拝日 21,11,4、
 由緒等 天平13年(741)、聖武天皇は国分2寺の建立を
     命じた。御本尊は行基菩薩作の薬師如来。当初は法相
     宗であったが、弘法大師が留錫して真言宗になった。
     その後、寛保元年吼山養師和尚が堂宇を再建し、曹洞
     宗に改宗した。
 御本尊 薬師如来
 御詠歌 うすくこく わけわけいろを そめぬれば
     るてんしょうしの あきのもみじは





四国霊場第16番 観音寺
 順拝日 21,11,4、
 由緒等 天平13年に寺は創建されたと伝えられ、聖武天皇勅
     願の道場であった。弘仁7年に弘法大師が留錫し、御
     本尊の千手観世音と脇士の不動明王・毘沙門天を刻ま
     れ安置された。
 御本尊 千手観世音菩薩
 御詠歌 わすれずも みちびきたまえ かんのんじ
     さいほうせかい みだのじょうどへ




四国霊場第17番 井戸寺
 順拝日 21,11,4、
 由緒等 寺は天武天皇の勅願道場で、白鳳2年(674)に開
     基され、そのころは妙照寺と呼ばれ、8町四方の広大
     な境内と12坊を有する大寺であった。
     本尊の7仏薬師如来の座像は聖徳太子の作。脇仏の日
     光・月光菩薩は行基菩薩の作と言ふ。
 御本尊 7仏薬師如来
 御詠歌 おもかげを うつしてみれば いどのみず
     むすべばむねの あかやおちなむ



冬に入り、初生りの蜜柑を楽しむ。






























富士市今泉の昔話(78)

2013年11月02日 15時57分40秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(78)外伝 善徳寺考 霊場巡り(15)

四国順拝の発願の旅の残り3寺。

四国霊場第8番 熊谷寺
 順拝日 19,5,23
 由緒等 寺伝によれば、弘法大師が此の地のやや奥に当たる閼
     伽ケ谷と言うところで修業されて居る時、紀州の熊野
     権現があらはれ、観世音菩薩の尊像を感得した。そこ
     で大師は結跏趺坐されて日夜精進し、壱刀三礼して霊
     木に等身大の千手観音を刻まれ、仏舎利120粒と共
     に金像の本尊を胸に納め、堂宇を建立して安置された。
 ご本尊 千手観世音菩薩
 ご詠歌 たきぎとり みずくまたにの てらにきて
     なんぎょうするも のちのよのため





四国霊場第9番 法輪寺
 順拝日 19,5,23
 由緒等 山麓の法池ケ渓にあって、白蛇山法淋寺と称し、広大
     な寺域を有していたが、正保年間に山号を正覚山法輪
     寺に改め、現在地に再建された。
 ご本尊 釈迦如来(涅槃像)
 ご詠歌 だいじょうの ひほうもとがも ひるがえし
     てんぽうりんの えんとこそきけ





四国霊場第10番 切幡寺
 順拝日 19,5,23
 由緒等 弘仁の頃、山麓の貧しい小の若い機織り女の篤行に
     感じ、千手観音を刻み、女を得度させて灌頂を授けた。
     すると女はたちまち即身成仏して観世音菩薩に化身した。
     そこで大師は此の地に堂宇を建立し、得度山切幡寺とした。
 ご本尊 千手観世音菩薩
 ご詠歌 よくしんを ただひとすじに きりはたじ
     のちのよまでの さはりとぞなる





四国霊場第11番 藤井寺
四国順拝の三度目の旅を続ける。
 順拝日 21,11,3
 由緒等 大師は三方を山に囲まれた幽邃な霊地に心をひかれ、
     堂宇を建立し、自刻の尊像を奉安し、17日間護摩修
     法され、堂塔の前に五色の藤を植えられ、藤井寺と名
     つけられた。
 御本尊 薬師如来
 御詠歌 いろもかも むひちゅうどうの ふじいてら
    しんにょのなみの たたぬひもなし





四国霊場第12番 焼山寺
 順拝日 21,11,4
 由緒等 「遍路ころがし」と呼ばれる険しい山上の寺の一つ。昔
     此の山には魔の毒蛇が居たが、大師が虚空菩薩と共にこ
     れを岩窟に封じと地の人々は安泰となった。
     四国遍路の元祖と言われる衛門三郎最後の遺跡が在る。
     三郎の順拝は21回であるが、記録の最高は281回と
     されている。
 御本尊 虚空蔵菩薩
 御詠歌 のちのよを おもへばくぎょう  しょうさんじ
    しでやさんずの なんじょありとも






四国霊場第13番 大日寺
 順拝日 21,11,4
 由緒等 弘仁6年(815)弘法大師が此の地に巡錫され「大
     師の森」と言うところで護摩修法されて居る時、現在
     の寺の在る付近より大日如来が示現し、「この地は霊
     地なれば一宇を建立すべし」と告げられた。そこで大
     師は大日如来を刻み、堂宇を建立し、此の尊像を本尊
     として安置し、大日寺とした。
 御本尊 11面観世音菩薩
 御詠歌 あわのくに いちのみやとは ゆうだすき
     かけてたのめや このよのちによ




今まで「富士ひのき」の地域として定常的に檜を植えてきたが、
試験的に杉の適地に杉を植えて見た。伸びが良い杉の2年生の林
地である。