富士市今泉の昔話(82)外伝 善徳寺考 霊場巡り(20)
平成21年志して3回目の順拝に阿波一国を回ったが、22年に一
病を得て順拝を休止、23年の回復静養を経て、24年には更なる
順拝を期した。
24年の順拝には、妻子孫に付きそはれ、酸素ボンベ(コロちゃん
と愛称)を曳き、ジャンボタクシーを利しての3泊の旅となった。
四国霊場第28番 大日寺
順拝日 24,5,18、
由緒等 本堂に寺の開基である行基墓お札が刻まれた大日如来
(国重文)が安置され、大日堂と称していた。
大同年間に弘法大師が巡錫されて、楠に薬師如来を刻
まれ「つめぼり薬師」として知られ、此の尊像は奥の
院に安置されている。
(所感) 順拝の初め大山蓮華かな 稜子
御本尊 大日如来
御詠歌 つゆしもと つみをてらせる だいにちじ
などかあゆみを はこばざらまし

四国霊場第29番 国分寺
順拝日 24,5,18、
由緒等 寺は、聖武天皇の勅を受けた行基菩薩が、本尊千手観
音像を刻んで天平13年(741)に開創し、天皇は
自ら金光明最勝王経をを書写して納め、天下泰平・
五穀豊穣・万民豊楽を祈る勅願寺とされた。
御本尊 千手観世音菩薩
御詠歌 くにをわけ たからをつみて たつてらの
すえのよまでの りやくのこせり

四国霊場第30番 善楽寺
順拝日 24,5,18、
由緒等 桓武天皇の頃、弘法大師が此の地に巡錫し、土佐一之
宮の別当寺として善楽寺を建立し、30番の霊場とし
た。廃仏毀釈の折には、神宮寺に続いて廃寺となった。
昭和4年、大師像や寺宝が戻り、30番善楽寺は復興
する。その後安楽寺へ行った御本尊も平成6年に善楽
寺に移遷し、2か所あった30番札所が統一された。
御本尊 阿弥陀如来
御詠歌 ひとおほく たちあつまれる いちのみや
むかしもいまも さかへぬるかな

四国霊場第31番 竹林寺
順拝日 24,5,18、
由緒等 寺伝によれば、聖武天皇が在る時唐の五台山で文殊菩薩
を拝まれた夢を見られた。夢から覚めた天皇は、我が国
にもこれに似た霊地が在るに違いないと、行基菩薩に諸
国を歩いて探しだすように命じた。神亀元年(724)
行基菩薩は五台山に似た山容を見付け、此処に寺を建立
し、自ら栴檀の木に文殊菩薩を刻んで安置した。
弘仁年間には、弘法大師が巡錫して修業を積まれ、伽藍
を補修し、札所に定められた。
(所感)石の八つ橋架けて古刹の半夏生 稜子
御本尊 文殊菩薩
御詠歌 なむもんじゅ みよのほとけの ははときく
われもこなれば ちこそほしけれ

四国霊場第32番 禅師峰寺
順拝日 24,5,18、
由緒等 山容が観世音の補陀洛山(理想の山)さながらで八葉
の蓮台に似ていることから、大同2年(807)弘法
大師が巡錫して八葉山の山号を付け、霊場とされた。
境内から遠く桂浜が見える。
(所感)風薫る桂ケ浜を眼下にし 稜子
御本尊 十一面観世音菩薩
御詠歌 しずかなる わがみなもとの ぜんじぶじ
うかぶこころは のりのはやぶね

5年生の檜の林地である。漸く芯が立ってきた。

平成21年志して3回目の順拝に阿波一国を回ったが、22年に一
病を得て順拝を休止、23年の回復静養を経て、24年には更なる
順拝を期した。
24年の順拝には、妻子孫に付きそはれ、酸素ボンベ(コロちゃん
と愛称)を曳き、ジャンボタクシーを利しての3泊の旅となった。
四国霊場第28番 大日寺
順拝日 24,5,18、
由緒等 本堂に寺の開基である行基墓お札が刻まれた大日如来
(国重文)が安置され、大日堂と称していた。
大同年間に弘法大師が巡錫されて、楠に薬師如来を刻
まれ「つめぼり薬師」として知られ、此の尊像は奥の
院に安置されている。
(所感) 順拝の初め大山蓮華かな 稜子
御本尊 大日如来
御詠歌 つゆしもと つみをてらせる だいにちじ
などかあゆみを はこばざらまし

四国霊場第29番 国分寺
順拝日 24,5,18、
由緒等 寺は、聖武天皇の勅を受けた行基菩薩が、本尊千手観
音像を刻んで天平13年(741)に開創し、天皇は
自ら金光明最勝王経をを書写して納め、天下泰平・
五穀豊穣・万民豊楽を祈る勅願寺とされた。
御本尊 千手観世音菩薩
御詠歌 くにをわけ たからをつみて たつてらの
すえのよまでの りやくのこせり

四国霊場第30番 善楽寺
順拝日 24,5,18、
由緒等 桓武天皇の頃、弘法大師が此の地に巡錫し、土佐一之
宮の別当寺として善楽寺を建立し、30番の霊場とし
た。廃仏毀釈の折には、神宮寺に続いて廃寺となった。
昭和4年、大師像や寺宝が戻り、30番善楽寺は復興
する。その後安楽寺へ行った御本尊も平成6年に善楽
寺に移遷し、2か所あった30番札所が統一された。
御本尊 阿弥陀如来
御詠歌 ひとおほく たちあつまれる いちのみや
むかしもいまも さかへぬるかな

四国霊場第31番 竹林寺
順拝日 24,5,18、
由緒等 寺伝によれば、聖武天皇が在る時唐の五台山で文殊菩薩
を拝まれた夢を見られた。夢から覚めた天皇は、我が国
にもこれに似た霊地が在るに違いないと、行基菩薩に諸
国を歩いて探しだすように命じた。神亀元年(724)
行基菩薩は五台山に似た山容を見付け、此処に寺を建立
し、自ら栴檀の木に文殊菩薩を刻んで安置した。
弘仁年間には、弘法大師が巡錫して修業を積まれ、伽藍
を補修し、札所に定められた。
(所感)石の八つ橋架けて古刹の半夏生 稜子
御本尊 文殊菩薩
御詠歌 なむもんじゅ みよのほとけの ははときく
われもこなれば ちこそほしけれ

四国霊場第32番 禅師峰寺
順拝日 24,5,18、
由緒等 山容が観世音の補陀洛山(理想の山)さながらで八葉
の蓮台に似ていることから、大同2年(807)弘法
大師が巡錫して八葉山の山号を付け、霊場とされた。
境内から遠く桂浜が見える。
(所感)風薫る桂ケ浜を眼下にし 稜子
御本尊 十一面観世音菩薩
御詠歌 しずかなる わがみなもとの ぜんじぶじ
うかぶこころは のりのはやぶね

5年生の檜の林地である。漸く芯が立ってきた。
