9月9日午後3時半から、元民進党主席で現在は本土派ながら国民党と親しい関係にある施明徳氏がぶちあげた「反陳水扁、反腐敗」座り込み(シットイン)運動が総統府前のケタガラン通りで始まった。とりあえず集会申請をしている15日まで続けるという。いちおう現在までのところ平和的に行っている点は評価できるものの、いかんせん訴えがおかしい。「反腐敗」というなら陳水扁より先に国民党など青陣営をなくさないといけないはず。なのに、ちゃっかり馬英九や宋楚瑜も集会に参加して気勢を上げたんじゃ、単なる政争であることがバレバレ。
まあそれはそうと、私も9日夕方現場を見に行った。そこでいくつか気づいたこと(この記事末尾に写真2枚):
◆台湾の自由が世界一である証明 平和的なところは評価できる
最初に述べたように、今回の行動は11日現在のところ、おおむね平和的に展開されている。この点は、欧米などにおけるデモが暴力示威と結び付きやすいのと比べて、評価できることである。
また、総統府に近い場所で、総統退陣を求めるデモが公然と何日も行われることは、台湾の自由が世界でもトップレベルにあることを物語っている。
私自身はこの運動には反対ではあるが、公然と元首を批判し退陣を要求する運動が行える自由な状況は支持する。その点ではデモが行われることそのものは反対しない。
考えてみれば、これだけの自由は、おそらくは日本や米国にもないだろう。日本や米国でも首相官邸やホワイトハウスの本当の近辺で、連日退陣要求デモが許可されることは、特に911事件以降あまりないだろう。台湾と似た状況にある韓国だって無理だろう。
台湾でも、もし国民党政権が続いていたら(あるいは次回国民党政権になったら)、ここまでの自由はなかったことを考えれば、リベラルな民進党政権ならではのことであるといえる。
◆参加者は外省人主体で、人数も水増し
まず参加者の数だが、当初主催者は「35万人」とぶちあげていたが、主催者の当日発表では20万人以上、青陣営に甘い警察発表では8万5千人だが、どう見ても3-4万人というところだった。
というのも、私がこれまで緑陣営の運動に参加してきた経験からいえば、ケタガラン通りを立って埋め尽くした場合でも7万人くらいしか入れないことがわかっている。今回の場合はケタガラン通りから人が溢れていたが、ケタガラン通りにいる人は座り込みだから座っていたのであり、立っていたわけではない。座った場合は立って密集した場合の2人分以上の空間を占拠する。だから、せいぜいが3-4万だと算定されるわけである。
それを警察が8・5万だの主催者が20万だのなんて、水増しもいいところであり、水増しの仕方から見て、明らかに国民党チックであることがわかる。
さらに、会場で見かけた顔は、年寄りはどうみても「老芋仔」といわれる外省人の老兵・公務員、40-50代もどうみても公務員っぽい人が主体。しかも、あまりやる気がないのか、クライマックスの午後4時半にはほとんどの人が帰宅しようとしたために、現場近くのMRT駅は満杯となった。これもいかにも国民党チックである。緑側の集会ではありえない。
◆反民進党の集会はよく雨が降る
そういえば、今回の座り込みは、初日9日の当日が午前中は豪雨、午後から日もさしてクライマックスこそ晴れたが今度は暑かった。ところが夕方からまたも豪雨。さらに10日は一日中豪雨だった。
その逆に8日午後は「908台湾国運動」という独立派の集会が開かれたが、そのときは割りと晴れていた。
毎回、民進党や独立派系の集会は晴れることが多いが(唯一の例外は04年の総統就任式の日に雨だったこと、それ以外は03年の正名も、04年の228も、05年の326も、好天に恵まれている)、国民党とか反民進党系の集会はどういうわけか雨の日が多い。今回もご多聞にもれず雨となった。
あまり迷信めいたことはいいたくないが、やはり天は善悪の区別をして、悪いほうには雨を降らせているのかもしれない。
◆表向きは緑系が主導でも実態は国民党反動派の集会
今回の運動は、表向きに主導しているチームは、施明徳、張富忠、王麗萍、簡錫[土皆]など、いずれも元・現民進党党員や独立派の色彩が濃い人たちであり、そのため日本のメディアなどは「民進党支持層の間でも陳水扁辞任を求めて街頭に出た」などと誤解しているようで、この運動の意味や効果を過大評価しているところがある。ところが、現場を見れば、それが明らかに間違いであることに気づくはずである。
確かに主導チームは「緑や青など党派を超え、統一か独立かも超え、族群も超えた全民運動」と銘打っていて、そのために「青」陣営色が目立たないように、国旗やその他党派の旗の携行を禁止し、また青系暴力団など暴力の混入を排除するために「非暴力」運動を謳っていた。
ところが、会場近くでは例によって新党系極右勢力が「中華民国国旗」を持ってきていて(末尾の写真参照)、主催者側から「青系だと思われるからやめてほしい」と注意を受けていた。しかしそれでも国旗を撤収する動きは見られず、主催者側も当初の約束に反して、それを野放しにしていた。
また、「青も緑も、統一か独立を超え」と謳っていたくせに、元民進党立法委員で独立派に近い王麗萍が「台湾国の人民」と呼びかけたところ、会場から「この場で台湾国というのはふさわしくない。謝れ」などといっせいにブーイングが起こり、主催者側が「先ほどいわゆる台湾国などという間違った言葉が出ましたが、間違いでしたのでお詫びします。われわれは中華民国国民です」などとアナウンスする始末。
だが、本当に主催者側が想定していたように、「緑や独立派も交えた幅広い勢力による陳水扁辞任運動」という立場(たとえ偽装であれ)を守るつもりで、参加者も本当に「幅広い勢力の結集」という目的を理解しているのであれば、「台湾国」にブーイングするのはおかしいのではないのか?
まして参加者から「この場にふさわしくない」という言葉が出たということは、まさに今回の運動が、国民党反動・守旧派=外省人タカ派勢力による政争であり、「民主的に選ばれた台湾人の大統領」に対する不当なクーデターであり、国民党系による国民党系のための運動であるという実態を暴露したということだ。つまり、2004年3月の総統選挙直後の国民党系のデモ・座り込み・暴動の延長でしかないということである。
主催者側の「偽装」も、参加者のおつむのお粗末さによってあえなくボロが出てしまったということだ。
だから、表向き、旧緑系が陣頭に立っているからといって、一部だけを見て全体を判断するのは間違いだ。もし、旧緑系が陣頭に立っているから緑系にも陳水扁辞任を求める声が多いと判断するなら、ちょうど逆に、青陣営でも参加していない人のほうが多いし、実際青陣営でも一切興味を持っていない人は多いのだから、青陣営の分裂、馬英九の統率力のなさのほうがもっと深刻だといえる。そっちはどうして気がつかないのだろうか?
◆「反腐敗」といいながら、馬英九や宋楚瑜が参加する滑稽さ
主催者である施明徳、張富忠、王麗萍、簡錫[土皆]らはあるいは善意なのかも知れない。
しかし、結果的にみて、「陳水扁辞任要求、反腐敗の座り込み行動」は、もともと陳水扁を侮辱し、台湾人の政権に承服するつもりのなかった国民党守旧・反動派系を結集しただけであり、さらにそうした反動派の動きに反発する民進党・独立派との間での対立・緊張を高めているだけでしかない。
要するに「陳水扁」というシンボルが、反対であれ支持であれ、従来から対立する両陣営にとって譲れない問題として強化されたというだけのことだ。
さらに、おかしなことに、座り込みには馬英九だの宋楚瑜だのも登場して、一緒になって「反腐敗、打倒陳水扁」のシュプレヒコールを叫んだ。
国民党や親民党が「反腐敗」をいう資格があるのか?要するに、この運動は「反腐敗」を掲げて、民進党や陳水扁に対する根拠のないネガティブキャンペーンを展開してきた反動政治勢力+メディアによる政権奪取の陽謀だということである。
かつて国民党によって弾圧されてきた施明徳、張富忠、王麗萍、簡錫[土皆]らが、馬英九らの参加に疑問を持たないところも頭がおかしいとしか言いようが無い。
◆国民党系メディアの異常な煽動報道
また、テレビを中心としたメディアのスタンスは異常である。TVBS、中天、東森などの新聞台(ニュースチャンネル)は9日になる前の「準備」段階から、ほぼ24時間生中継し、運動の盛り上げに必死だった。TVBSと中天はもともと中国資本が入っているから驚くに当たらないが、今回は国民党穏健派といえる東森までが大騒ぎしたのは意外だった。
三立は民進党系が経営者であることもあり、すべての時間をこの運動に充てることもなく、討論番組では批判的に取り上げたりしていたが、それでも運動が始まるとほぼ生中継状態。比較的冷静で、批判的な視点やほかの国内や海外の重要ニュースも忘れずに伝えていたのは、民進党系の資本が多い民視だけという状態だった。
新聞は中国時報が一番盛り上げに必死で、聯合報はややおとなしいが同じようなもの。自由時報が批判的に伝えつつ、ほかのニュースも報道するというスタンスだった。
どのメディアが積極的に報道し、煽っているかを見れば、この運動の色彩と背景はいっそう明らかである。国民党や中国が望み、実質的に仕掛けている主体だということである。
しかも、9月9日という日は奇しくも毛沢東死去記念日であり、朝鮮民主主義人民共和国の建国記念日でもある。民主主義を否定する人たちにとっては、きわめて願ったりかなったりの記念日なのだろう。
◆ほかにニュースはないのか?
台湾メディアのスタンスが異常なのは今に始まったことではない。しかし、今回異常だと思ったのは日本や世界のメディアもこれをそれほど大きくないとはいえ、取り上げたことである。
台湾に限らず、どこの世界でも、この程度の規模の街頭運動は頻繁に起こっている。しかも民主体制に反対するデモなど、それが百万人を超えれば別だが、取り上げないのが普通である。価値がないからだ。
まして、現在の世界にはほかにも報道すべき事柄はいくらでもある。特にイスラエルのレバノンに対する空路・海上封鎖解除などは大きなニュースだろう。911事件5周年も迎えている。
台湾の馬鹿なメディアはそうした世界的な一大事をほとんど伝えないで、四六時中数万人しか集まらなかったデモの過程ばかり報道した。ほかに伝えることは何もないといった具合である。
まして、表向きにせよ「反腐敗」を訴えているのであれば、世界にはもっと大変な不義や不正義が横行している。それを報道することこそ本当の「反腐敗」ではないのか?
◆日本の報道にみられる台湾人蔑視
また、日本など先進国のメディアが報道したことも、ニュース価値の判断が狂っているとしか言いようが無い。特に日本のメディアは第六次中東戦争をほとんど報道してこなかっただけに、異様である。頭がおかしいのではないのか?
そもそも、これまで日本のメディアが、民主的に選ばれた政権に対するあらゆる反対・抗議デモをくまなくフォローしてきたというのであれば、今回報道する意味は理解できる。
実際にはそうではない。数と意味あいからすれば、今回よりも大きかった2001年のブッシュ就任時の抗議デモや、日本でもしょっちゅう起こっている小泉首相辞任要求デモの類は、日本のメディアは一切報道していない。
まして、台湾については、日ごろたいして報道もしていないというのに、今回のようなマイナーなデモをわざわざ報道することの意味は何か?
台湾のメディアに引きずられたという言い訳も成り立つだろうが、その実、台湾を見下し、台湾の民主リベラル政権をなきものにしたいと思っているのではないのか?
国民党の言い分そのままに、陳水扁の辞任がまるで当然であるかのようなスタンスの報道が日本のメディアの一部でみられた(K通信やS新聞)。それこそ台湾人が日本および国民党という外来政権の桎梏からやっと脱却して、やっと自分たちの指導者を選べるようになったことへの尊敬のかけらもない。あいかわらず日本のメディアは、台湾人を植民地時代よろしく馬鹿にしたいだけではないのか?
天皇および小泉賛美のお先棒を担いできたメディアが、曲がりなりにも国民の直接選挙で選ばれた大統領に対して、制度を無視したデモを肯定的に報道する神経が理解できない。
◆忘れられたサイレント・マジョリティ
そういえば日本の新聞は60年代に、たいした民意の支持がなかった「反安保闘争」の学生運動や知識人の声だけを過大に取り上げ、サイレント・マジョリティを無視するという誤りを犯したが、今回の運動に「血が騒ぐ」のもそうした遺伝子を保持しているせいなのか。
いまだに天皇制のような反民主的な制度を保持している日本、さらに小泉政権下で新自由主義の横暴が跋扈してきた日本、そうした日本の現状に対して一貫して頬かむりしている日本のマスコミが、台湾において民主的に選ばれ、さらにリベラルで進歩的な路線を追求している政権に対して、それを尊敬したり、積極的に評価したりしようとせずに、逆にマイナス面ばかりに書きたて、反動勢力によるデモをわざわざ肯定的に取り上げる。日本のマスコミの体質が戦争中や60年代と変わっていないことではないだろうか。
私自身、今回のデモを報道する台湾のテレビなどを見ていて感じていることは、果たして「陳水扁反対・擁護」をめぐって大騒ぎしている人が、台湾では本当はどれだけを占めるのかという率直かつ素朴な疑問である。
台湾全人口2300万人のうちデモはたかだか4万人だった。大雨が降ったということもあるが、2日目にはさらに減った。その代わり、101や歌手のコンサートは人で溢れていた。これは何を意味するのか?
そうした疑問を持つべきであって、反動勢力と結託して煽り立てているだけのおかしなメディアに踊らされて、全体を見失うのは、あまりにも滑稽である。
◆民主的な手続きを重視すべし
陳水扁はともかく直接選挙で650万票も得て選出された大統領である。もちろん、彼の一貫しない言動に対して私も不満を持っているし、はっきりいってアホだと思う。しかし、それでも民主的に選ばれたという事実を尊敬し、尊重しなければならない(まして台湾は日本帝国主義に植民地支配されたところだ。そこの民意の多数が選んだという厳粛たる現実を日本人であればなおさら尊重しなければならない)。
一般的にいって、民主的な制度で選ばれた政治指導者に対して、もし不服があるのであれば、それは民主的な制度を通じて不服を申し立て、辞任要求を突きつければよい。たとえば、台湾にはレファレンダム法があって、署名を8万人程度集めるなどしかるべき手続きを踏めば、さまざまな議題についてレファレンダムを発動できる仕組みが整っている。国民党側は総統罷免案が不成立になったからといって、体制外のさまざまな手段を弄して政権奪取の目的を達成しようとしているが、それは明らかに誤っている。国民党がいまだに民主的でまともな政党になっていない証拠だ。
街頭群衆行動で打倒する正当性があるのは、独裁者に対してであって、民主的に選ばれ集会の自由も保障している民主的政府に対して、非制度的・不正常な街頭行動という手段でもって、無理やり目的を達成しようとするのは、軍事クーデターと同じ不当行為である。
フィリピンでエストラダ大統領の不正が明らかになったとき、第二エドサと呼ばれる街頭運動でエストラダ政権が倒されたことがあるが、あのとき、世界の政治学者はそろってフィリピンの群衆に冷ややかな批評を送ったものである。民主的に選ばれたエストラダ政権には民主的正当性があり、第一エドサが打倒したマルコス独裁政権とは異なっていたからだ。
同じことが陳水扁についてもいえる。いや、陳水扁については、いろいろ取りざたされている不正行為が、いずれも噂の域を出ず、もっぱら国民党系メディアによる宣伝、中傷ともいえなくもないから、エストラダよりも問題とすべきものが見当たらない。
たしかに陳水扁は「無能」だといえるだろう。だが、世界で無能な指導者はたくさんいる。民主主義は往々にして無能な大統領を選ぶものだ。韓国のノムヒョンや米国のブッシュも明らかに無能でアホだ。
だからといって、それが民主的に選ばれた以上、一部の人がいかに不満をもって、非制度的な群衆運動で倒そうとする発想は間違いだ。いかに無能であっても大統領は大統領であり、それに不服なら、次回はその人ないしその人が属する政党に投票しなければいいだけの話だ。
まして、陳水扁の任期は残すところ2年も満たない。たかだか2年弱も「待てない」というのは、発想としてはおかしい。だったら、どうしてこれまで6年間「待った」のか?
つまり、施明徳や国民党がやろうとしていることこそ、民主主義に対する敵対行為であり、第二のエドサと同様、世界中の笑いものとなるものである。
↓座り込みの光景(赤いTシャツ着て「共産党の集会」みたいw)
↓中華民国国旗も登場、実態は青陣営の集会であることを暴露
まあそれはそうと、私も9日夕方現場を見に行った。そこでいくつか気づいたこと(この記事末尾に写真2枚):
◆台湾の自由が世界一である証明 平和的なところは評価できる
最初に述べたように、今回の行動は11日現在のところ、おおむね平和的に展開されている。この点は、欧米などにおけるデモが暴力示威と結び付きやすいのと比べて、評価できることである。
また、総統府に近い場所で、総統退陣を求めるデモが公然と何日も行われることは、台湾の自由が世界でもトップレベルにあることを物語っている。
私自身はこの運動には反対ではあるが、公然と元首を批判し退陣を要求する運動が行える自由な状況は支持する。その点ではデモが行われることそのものは反対しない。
考えてみれば、これだけの自由は、おそらくは日本や米国にもないだろう。日本や米国でも首相官邸やホワイトハウスの本当の近辺で、連日退陣要求デモが許可されることは、特に911事件以降あまりないだろう。台湾と似た状況にある韓国だって無理だろう。
台湾でも、もし国民党政権が続いていたら(あるいは次回国民党政権になったら)、ここまでの自由はなかったことを考えれば、リベラルな民進党政権ならではのことであるといえる。
◆参加者は外省人主体で、人数も水増し
まず参加者の数だが、当初主催者は「35万人」とぶちあげていたが、主催者の当日発表では20万人以上、青陣営に甘い警察発表では8万5千人だが、どう見ても3-4万人というところだった。
というのも、私がこれまで緑陣営の運動に参加してきた経験からいえば、ケタガラン通りを立って埋め尽くした場合でも7万人くらいしか入れないことがわかっている。今回の場合はケタガラン通りから人が溢れていたが、ケタガラン通りにいる人は座り込みだから座っていたのであり、立っていたわけではない。座った場合は立って密集した場合の2人分以上の空間を占拠する。だから、せいぜいが3-4万だと算定されるわけである。
それを警察が8・5万だの主催者が20万だのなんて、水増しもいいところであり、水増しの仕方から見て、明らかに国民党チックであることがわかる。
さらに、会場で見かけた顔は、年寄りはどうみても「老芋仔」といわれる外省人の老兵・公務員、40-50代もどうみても公務員っぽい人が主体。しかも、あまりやる気がないのか、クライマックスの午後4時半にはほとんどの人が帰宅しようとしたために、現場近くのMRT駅は満杯となった。これもいかにも国民党チックである。緑側の集会ではありえない。
◆反民進党の集会はよく雨が降る
そういえば、今回の座り込みは、初日9日の当日が午前中は豪雨、午後から日もさしてクライマックスこそ晴れたが今度は暑かった。ところが夕方からまたも豪雨。さらに10日は一日中豪雨だった。
その逆に8日午後は「908台湾国運動」という独立派の集会が開かれたが、そのときは割りと晴れていた。
毎回、民進党や独立派系の集会は晴れることが多いが(唯一の例外は04年の総統就任式の日に雨だったこと、それ以外は03年の正名も、04年の228も、05年の326も、好天に恵まれている)、国民党とか反民進党系の集会はどういうわけか雨の日が多い。今回もご多聞にもれず雨となった。
あまり迷信めいたことはいいたくないが、やはり天は善悪の区別をして、悪いほうには雨を降らせているのかもしれない。
◆表向きは緑系が主導でも実態は国民党反動派の集会
今回の運動は、表向きに主導しているチームは、施明徳、張富忠、王麗萍、簡錫[土皆]など、いずれも元・現民進党党員や独立派の色彩が濃い人たちであり、そのため日本のメディアなどは「民進党支持層の間でも陳水扁辞任を求めて街頭に出た」などと誤解しているようで、この運動の意味や効果を過大評価しているところがある。ところが、現場を見れば、それが明らかに間違いであることに気づくはずである。
確かに主導チームは「緑や青など党派を超え、統一か独立かも超え、族群も超えた全民運動」と銘打っていて、そのために「青」陣営色が目立たないように、国旗やその他党派の旗の携行を禁止し、また青系暴力団など暴力の混入を排除するために「非暴力」運動を謳っていた。
ところが、会場近くでは例によって新党系極右勢力が「中華民国国旗」を持ってきていて(末尾の写真参照)、主催者側から「青系だと思われるからやめてほしい」と注意を受けていた。しかしそれでも国旗を撤収する動きは見られず、主催者側も当初の約束に反して、それを野放しにしていた。
また、「青も緑も、統一か独立を超え」と謳っていたくせに、元民進党立法委員で独立派に近い王麗萍が「台湾国の人民」と呼びかけたところ、会場から「この場で台湾国というのはふさわしくない。謝れ」などといっせいにブーイングが起こり、主催者側が「先ほどいわゆる台湾国などという間違った言葉が出ましたが、間違いでしたのでお詫びします。われわれは中華民国国民です」などとアナウンスする始末。
だが、本当に主催者側が想定していたように、「緑や独立派も交えた幅広い勢力による陳水扁辞任運動」という立場(たとえ偽装であれ)を守るつもりで、参加者も本当に「幅広い勢力の結集」という目的を理解しているのであれば、「台湾国」にブーイングするのはおかしいのではないのか?
まして参加者から「この場にふさわしくない」という言葉が出たということは、まさに今回の運動が、国民党反動・守旧派=外省人タカ派勢力による政争であり、「民主的に選ばれた台湾人の大統領」に対する不当なクーデターであり、国民党系による国民党系のための運動であるという実態を暴露したということだ。つまり、2004年3月の総統選挙直後の国民党系のデモ・座り込み・暴動の延長でしかないということである。
主催者側の「偽装」も、参加者のおつむのお粗末さによってあえなくボロが出てしまったということだ。
だから、表向き、旧緑系が陣頭に立っているからといって、一部だけを見て全体を判断するのは間違いだ。もし、旧緑系が陣頭に立っているから緑系にも陳水扁辞任を求める声が多いと判断するなら、ちょうど逆に、青陣営でも参加していない人のほうが多いし、実際青陣営でも一切興味を持っていない人は多いのだから、青陣営の分裂、馬英九の統率力のなさのほうがもっと深刻だといえる。そっちはどうして気がつかないのだろうか?
◆「反腐敗」といいながら、馬英九や宋楚瑜が参加する滑稽さ
主催者である施明徳、張富忠、王麗萍、簡錫[土皆]らはあるいは善意なのかも知れない。
しかし、結果的にみて、「陳水扁辞任要求、反腐敗の座り込み行動」は、もともと陳水扁を侮辱し、台湾人の政権に承服するつもりのなかった国民党守旧・反動派系を結集しただけであり、さらにそうした反動派の動きに反発する民進党・独立派との間での対立・緊張を高めているだけでしかない。
要するに「陳水扁」というシンボルが、反対であれ支持であれ、従来から対立する両陣営にとって譲れない問題として強化されたというだけのことだ。
さらに、おかしなことに、座り込みには馬英九だの宋楚瑜だのも登場して、一緒になって「反腐敗、打倒陳水扁」のシュプレヒコールを叫んだ。
国民党や親民党が「反腐敗」をいう資格があるのか?要するに、この運動は「反腐敗」を掲げて、民進党や陳水扁に対する根拠のないネガティブキャンペーンを展開してきた反動政治勢力+メディアによる政権奪取の陽謀だということである。
かつて国民党によって弾圧されてきた施明徳、張富忠、王麗萍、簡錫[土皆]らが、馬英九らの参加に疑問を持たないところも頭がおかしいとしか言いようが無い。
◆国民党系メディアの異常な煽動報道
また、テレビを中心としたメディアのスタンスは異常である。TVBS、中天、東森などの新聞台(ニュースチャンネル)は9日になる前の「準備」段階から、ほぼ24時間生中継し、運動の盛り上げに必死だった。TVBSと中天はもともと中国資本が入っているから驚くに当たらないが、今回は国民党穏健派といえる東森までが大騒ぎしたのは意外だった。
三立は民進党系が経営者であることもあり、すべての時間をこの運動に充てることもなく、討論番組では批判的に取り上げたりしていたが、それでも運動が始まるとほぼ生中継状態。比較的冷静で、批判的な視点やほかの国内や海外の重要ニュースも忘れずに伝えていたのは、民進党系の資本が多い民視だけという状態だった。
新聞は中国時報が一番盛り上げに必死で、聯合報はややおとなしいが同じようなもの。自由時報が批判的に伝えつつ、ほかのニュースも報道するというスタンスだった。
どのメディアが積極的に報道し、煽っているかを見れば、この運動の色彩と背景はいっそう明らかである。国民党や中国が望み、実質的に仕掛けている主体だということである。
しかも、9月9日という日は奇しくも毛沢東死去記念日であり、朝鮮民主主義人民共和国の建国記念日でもある。民主主義を否定する人たちにとっては、きわめて願ったりかなったりの記念日なのだろう。
◆ほかにニュースはないのか?
台湾メディアのスタンスが異常なのは今に始まったことではない。しかし、今回異常だと思ったのは日本や世界のメディアもこれをそれほど大きくないとはいえ、取り上げたことである。
台湾に限らず、どこの世界でも、この程度の規模の街頭運動は頻繁に起こっている。しかも民主体制に反対するデモなど、それが百万人を超えれば別だが、取り上げないのが普通である。価値がないからだ。
まして、現在の世界にはほかにも報道すべき事柄はいくらでもある。特にイスラエルのレバノンに対する空路・海上封鎖解除などは大きなニュースだろう。911事件5周年も迎えている。
台湾の馬鹿なメディアはそうした世界的な一大事をほとんど伝えないで、四六時中数万人しか集まらなかったデモの過程ばかり報道した。ほかに伝えることは何もないといった具合である。
まして、表向きにせよ「反腐敗」を訴えているのであれば、世界にはもっと大変な不義や不正義が横行している。それを報道することこそ本当の「反腐敗」ではないのか?
◆日本の報道にみられる台湾人蔑視
また、日本など先進国のメディアが報道したことも、ニュース価値の判断が狂っているとしか言いようが無い。特に日本のメディアは第六次中東戦争をほとんど報道してこなかっただけに、異様である。頭がおかしいのではないのか?
そもそも、これまで日本のメディアが、民主的に選ばれた政権に対するあらゆる反対・抗議デモをくまなくフォローしてきたというのであれば、今回報道する意味は理解できる。
実際にはそうではない。数と意味あいからすれば、今回よりも大きかった2001年のブッシュ就任時の抗議デモや、日本でもしょっちゅう起こっている小泉首相辞任要求デモの類は、日本のメディアは一切報道していない。
まして、台湾については、日ごろたいして報道もしていないというのに、今回のようなマイナーなデモをわざわざ報道することの意味は何か?
台湾のメディアに引きずられたという言い訳も成り立つだろうが、その実、台湾を見下し、台湾の民主リベラル政権をなきものにしたいと思っているのではないのか?
国民党の言い分そのままに、陳水扁の辞任がまるで当然であるかのようなスタンスの報道が日本のメディアの一部でみられた(K通信やS新聞)。それこそ台湾人が日本および国民党という外来政権の桎梏からやっと脱却して、やっと自分たちの指導者を選べるようになったことへの尊敬のかけらもない。あいかわらず日本のメディアは、台湾人を植民地時代よろしく馬鹿にしたいだけではないのか?
天皇および小泉賛美のお先棒を担いできたメディアが、曲がりなりにも国民の直接選挙で選ばれた大統領に対して、制度を無視したデモを肯定的に報道する神経が理解できない。
◆忘れられたサイレント・マジョリティ
そういえば日本の新聞は60年代に、たいした民意の支持がなかった「反安保闘争」の学生運動や知識人の声だけを過大に取り上げ、サイレント・マジョリティを無視するという誤りを犯したが、今回の運動に「血が騒ぐ」のもそうした遺伝子を保持しているせいなのか。
いまだに天皇制のような反民主的な制度を保持している日本、さらに小泉政権下で新自由主義の横暴が跋扈してきた日本、そうした日本の現状に対して一貫して頬かむりしている日本のマスコミが、台湾において民主的に選ばれ、さらにリベラルで進歩的な路線を追求している政権に対して、それを尊敬したり、積極的に評価したりしようとせずに、逆にマイナス面ばかりに書きたて、反動勢力によるデモをわざわざ肯定的に取り上げる。日本のマスコミの体質が戦争中や60年代と変わっていないことではないだろうか。
私自身、今回のデモを報道する台湾のテレビなどを見ていて感じていることは、果たして「陳水扁反対・擁護」をめぐって大騒ぎしている人が、台湾では本当はどれだけを占めるのかという率直かつ素朴な疑問である。
台湾全人口2300万人のうちデモはたかだか4万人だった。大雨が降ったということもあるが、2日目にはさらに減った。その代わり、101や歌手のコンサートは人で溢れていた。これは何を意味するのか?
そうした疑問を持つべきであって、反動勢力と結託して煽り立てているだけのおかしなメディアに踊らされて、全体を見失うのは、あまりにも滑稽である。
◆民主的な手続きを重視すべし
陳水扁はともかく直接選挙で650万票も得て選出された大統領である。もちろん、彼の一貫しない言動に対して私も不満を持っているし、はっきりいってアホだと思う。しかし、それでも民主的に選ばれたという事実を尊敬し、尊重しなければならない(まして台湾は日本帝国主義に植民地支配されたところだ。そこの民意の多数が選んだという厳粛たる現実を日本人であればなおさら尊重しなければならない)。
一般的にいって、民主的な制度で選ばれた政治指導者に対して、もし不服があるのであれば、それは民主的な制度を通じて不服を申し立て、辞任要求を突きつければよい。たとえば、台湾にはレファレンダム法があって、署名を8万人程度集めるなどしかるべき手続きを踏めば、さまざまな議題についてレファレンダムを発動できる仕組みが整っている。国民党側は総統罷免案が不成立になったからといって、体制外のさまざまな手段を弄して政権奪取の目的を達成しようとしているが、それは明らかに誤っている。国民党がいまだに民主的でまともな政党になっていない証拠だ。
街頭群衆行動で打倒する正当性があるのは、独裁者に対してであって、民主的に選ばれ集会の自由も保障している民主的政府に対して、非制度的・不正常な街頭行動という手段でもって、無理やり目的を達成しようとするのは、軍事クーデターと同じ不当行為である。
フィリピンでエストラダ大統領の不正が明らかになったとき、第二エドサと呼ばれる街頭運動でエストラダ政権が倒されたことがあるが、あのとき、世界の政治学者はそろってフィリピンの群衆に冷ややかな批評を送ったものである。民主的に選ばれたエストラダ政権には民主的正当性があり、第一エドサが打倒したマルコス独裁政権とは異なっていたからだ。
同じことが陳水扁についてもいえる。いや、陳水扁については、いろいろ取りざたされている不正行為が、いずれも噂の域を出ず、もっぱら国民党系メディアによる宣伝、中傷ともいえなくもないから、エストラダよりも問題とすべきものが見当たらない。
たしかに陳水扁は「無能」だといえるだろう。だが、世界で無能な指導者はたくさんいる。民主主義は往々にして無能な大統領を選ぶものだ。韓国のノムヒョンや米国のブッシュも明らかに無能でアホだ。
だからといって、それが民主的に選ばれた以上、一部の人がいかに不満をもって、非制度的な群衆運動で倒そうとする発想は間違いだ。いかに無能であっても大統領は大統領であり、それに不服なら、次回はその人ないしその人が属する政党に投票しなければいいだけの話だ。
まして、陳水扁の任期は残すところ2年も満たない。たかだか2年弱も「待てない」というのは、発想としてはおかしい。だったら、どうしてこれまで6年間「待った」のか?
つまり、施明徳や国民党がやろうとしていることこそ、民主主義に対する敵対行為であり、第二のエドサと同様、世界中の笑いものとなるものである。
↓座り込みの光景(赤いTシャツ着て「共産党の集会」みたいw)
↓中華民国国旗も登場、実態は青陣営の集会であることを暴露