むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

ハプスブルク帝国は偉大だ!それに比べて民度低い台湾、日本統治が遅すぎた?

2010-07-04 20:57:49 | 世界の民族・言語問題
今回の旅行では、ドゥブロヴニクからサライェヴォのバスで、日本人のリタイア組老夫婦に遭遇した。老夫婦とはブダペシュトの日本人宿でも再会した。私がサライェヴォから北上したのに対して、彼らはセルビアとルーマニアに行ったようだが、ブダペシュトで再会した彼らいわく「ハンガリーに入って、やっとまた文明世界に戻ったようで、ほっとした」といっていた。ルーマニアはかなり悲惨で、セルビアも雰囲気は良くないようだ。
ボスニアは内戦を経ているが、雰囲気は悪くなかったので、おそらくボスニアとセルビアの間が境界で、ハプスブルク帝国の領域か否かと重なる。ウクライナに行った人間も、リヴォフ周辺だけは良いというので、これはやはりハプスブルク帝国の領域だったか否かに尽きると思う。ボスニアも1878年からハプスブルク帝国直轄支配地域になっている。
ハプスブルクは、戦争に弱く、婚姻だけで拡張して、専制的で見栄っ張りだというイメージだけが一人歩きしているが、今回回ったところはほとんどハプスブルク治下だったところだが、それらの文化遺産を見ると、ハプスブルク帝国はやはり文明文化国家だったんだと思う。

ハプスブルク帝国領だったという意味で、やはりボスニアまでが中欧だったといえるだろう。
ハプスブルクは何だかんだいって偉大だ。

しかも、台湾に戻ってきて思ったのは、先進的なチェコはおろか、台湾よりは生活水準は劣るはずのボスニアでも、台湾よりもよっぽど街は清潔で、民度が高いということだ。ボスニアもエスニック対立はあるが、少なくとも主権や国益の根本を損ねるような選択を選挙ではしていないし、民主主義の基盤も台湾よりはしっかりしているという印象があった。
ボスニアがハプスブルク支配下になったのは1878年で、台湾が日本の支配下になったのは1895年。この17年の違いが、この差を生んだのかもしれない。だいたい、台湾と沖縄は本来似たようなものなはずだが、沖縄のほうがはるかに清潔だもんね。
しかも、台湾人は、てめえら個人個人が衛生的にみて清潔ではないくせに、陳水扁がダーティだとか、特に国民党系が騒ぎすぎる。だったら、街を掃除して、ゴミを始末してからにしろといいたい。台湾程度の衛生水準で、陳水扁にだけ西欧並みの「清廉潔白さ」を求めるなんて、やっぱり台湾人は民度が低いとしかいえない。こんなご都合主義、チェコ人やハンガリー人だったら言わないよ。

台湾の文明化が遅れたといえば、アジアにおける近代化そのものも、1868年に明治維新を起こした日本だけが成功して、1880年代に始めようとした朝鮮と清帝国は軒並み失敗して半植民地化してしまった。
一般的には、米国南北戦争と欧州クリミア戦争・普仏戦争で忙しかった欧米が、戦争終結でアジア侵略を本格化させたという外在要因が指摘されているが、ボスニアを見ていると、1880年前後に、本質的かつ内在的な分岐点があったのかもしれない。

もっとも、ボスニア、それからクロアチアは、マスコミが煽情的なものが多い点では、台湾と同じく駄目駄目だ。
また、エスニック対立とそれを利用しようとする外国勢力の介入を招きやすいという意味でも、ボスニアは台湾やレバノンと似ている。いずれも異文化や、異なる文明発展段階地域の結節点だからだ。ハプスブルク帝国だったボスニアとそうでなかったセルビア、日本だった台湾とそうでなかった中国、中東志向と西欧志向の人間が混在するレバノン。
旧ユーゴ各国の独立過程における違いは、スロベニア独立についてはセルビア勢力もすぐにあきらめたのに、クロアチア独立にはセルビア勢力はしぶとく介入して空爆という事態に発展しているし、ボスニアの内戦は長引いた。
「文明の衝突」論は、そういう意味では正しいといえる。

それはそうとして、ボスニアの先進ぶりを見ると、台湾の日本統治があと15年は早かったらと思った次第。台湾は街が汚すぎる。アジア全体が日本を例外に汚いが、経済水準の比例で見ると、台湾の汚さは異常。台湾人は事あるごとに「日本は街にゴミがなくてきれいだね」と日本を賞賛するが、他人を賞賛してばかりいるんじゃなくて、自分たちもきれいにしろ!

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