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ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

愛するココロ-32-

2007年10月26日 | 投稿連載
    愛するココロ 作者 大隈 充 
          32
 陽はとっぷりと暮れた。
丹波は、日本海から来る季節の風を山間の稜線沿いに都へ
運んでくる。春とはいえまだ日を落とすと冷たい空気が
木立の間に忍び寄る。
 由香とトオルの乗ったワゴン車は、山道をどんどん
降りていった。もう一時間も景色が変わらず杉木立ばかり。
いや、むしろアスファルト舗装されていた山道が土と草の
デコボコの細い道になり、ついには、行き止まりになった。
山を降りていた筈がいつの間にか上っている。
どこで道を間違えたか、トオルは、エンジンを停めて
ゆっくり考えた。
 確かに赤い夕日の残り火が梢の先に見えていた30分前
に出会った上りと下りの二又の道を降りたところから
間違ったかもしれない。
今思い出せる過ちは、そこしか思い浮かばなかった。
「とにかく戻るしかないよ。」
「確かに降りていた筈なのに。」
と由香は、窓から身を乗り出してバックライトに照らされた
後ろの山道を見守った。
「迷ったときは、迷う前まで戻る。」
「トオルくん。カッコいい。ね。」
「だってこんな暗い森で一晩なんて・・いくら由香っぺと
一緒だって嫌だよ。」
「わたしも。暗い森でなくっても・・・」
「何、何?僕とじゃ嫌ってか?」
「冗談よ・・・・」
その「冗談よ」の「よ」の音が二人の叫び声で掻き消えた。
一瞬車が宙に浮いた。
ガタン!
つづいて右斜面に後輪が落ちた。
すぐに車を前進させてみるが前へ進まない。
後輪がくるくる空回りしている。そして車は勢いよく真後ろ
に土と草の粒を巻き上げて脱穀機みたいに放物線を
描いて飛ばしていた。
トオルは、素早い動きで車から飛び出て後ろに回った。 
「ああ。ヌカルミだ。」
「押してみる。」
由香が出てきて後ろに回ってサイドからワゴン車を押し出した。
トオルは、運転席でエンジンをかけながら一緒に押した。
車は、ぶるんぶるんと唸り声をあげるが後輪が泥濘にはまって
空回りするだけだった。
やがてそのうちに後ろで押していた由香の顔が撥ね上った泥
で黒い天然痘のようにぷつぷつ玉ができて汚れていった。
しばらくそんなことを繰り返したが車は、根を張ったみたい
に動かなかった。
やがて疲れてふたりは、夜露の草の上に頭をくっつける
形で倒れこんだ。
「三日月が出てる。」
なんだか大発見でもしたようにトオルが梢を見上げて呟いた。
三日月は杉木立ちの枝と枝の間から覗いた夜空に浮かんでいた。
「ほ・ん・と・う!」
いままでに三日月を見たことがない人のような驚きと歓喜の
目できわめてゆっくりと由香が同意した。
「由香ちゃん、顔汚れる。」
トオルが渡したタオルも充分汚れていたが由香は、受け取ると
裏返して顔を拭いた。
「男の匂いー」
「悪かったよ。汗臭くて・・・」
「ううん。トオルくんも男だって思ったの。」
「当たり前じゃん。」
「ごぉめんっ。」
深く深呼吸をした由香は、月明かりに白く細い顎と長く
透き通るように艶やかな咽喉を反らして空を見つめた
ままじっと息をこらした。
トオルは、そんな由香の濡れた迷宮に迷い込んだら
出られなくなる気分に沈んでいった。
森は、きわめて静かだった。
ふたりをつつみ込んだ沈黙は一瞬だったようでも時計
の長い針一目盛り分でもあったように感じた。
由香は唇に冷たいものを感じた。
トオルが自然に唇を重ねてきたのだった。
それはまるでスズメが水溜りの水を啄ばむように極めて
自然な行為だった。
「どうして東京のITの会社半年で辞めたの?オレ
みたいハケンじゃなく大手の社員だったのに。」
トオルが顔を離すと、両手を後ろに腕枕をして
ぽつりと言った。
「・・・・・」
「ときどき東京でめし奢って貰えると思ってたのに。」
「・・・違ったの。」
「何が。」
「逃げられると思ったけど、遠くに行っても逃げら
れなかったの。」
「死んだ末永のこと?」
「・・・・うん。」
「だって一方的なストーカーだろ。あいつ。」
「・・・うん。」
「別に好きじゃなかったんだろ。」
「うん。」
「だったら自分が悪い訳じゃないじゃん。」
「でも・・・」
「でも何?」
「私、人を好きになったことなかったから。」
「奥手ってこと、で、しょ。」
「自分から逃げられると思ったの。そんな。」
そう小さな声で言うと由香は、うつ伏せに向き直った。
「本当に彼のこと嫌いだったけど、知らない東京で毎日
電車に乗って会社で働いているうちにあれだけ嫌いだっ
た彼のことを忘れるどころか、もしかしたら自分の方が
劣ってるんじゃないかって気持ちが沸いて来て頭から出
て行ってくれなかったのよ。」
「何、それ。」
「愛するココロー。」
「ええ?」
「愛するココロが彼より劣っている気がしたの。」
「だって好きでもなくて近づかないでくれって言って
いたんだろ。」
「はっきりと嫌いだった。でも自分がエノケンみたい
にしっかりとした愛するココロをもっていたら、もっと
はっきり嫌いだと言えたし、曖昧な態度をとらずに
自分も彼も傷つかなかったように思うの。」
「わかんないな・・・」
「私もまだわからないよ。はっきりとは。ただ会社
辞めてカトキチに電話したら、九州で研究のバイト
するかって言ってくれて・・すうっと軽くなったの。
自分が。」
腕枕を外して、くるりとトオルもうつ伏せに草の上で
体の向きを変えて由香と並んだ。
「なんか、なあ。」
「じゃ。逆にオレが二年前芸人になるって東京に行くとき、
歓送会でスキスキ光線出していたの、気づかなかった?」
「そんなことあった?」
「やっぱり・・・」
「だって東京でアイドルと結婚するって・・」
「冗談だろ。そんなの。」
「トオルくんいつもいい加減だもの。」
「だったら、今は?」
「わからん。」
「だってチューしたぞ。」
「アイサツでしょ。こっちは愛するココロを手に入れる
ことの方が先なの。」
「さっぱりわからん・・よ。」
と、由香のケイタイが鳴った。
「はい。もしもし・・・」
遠い砂漠の国から聞こえてくるようなカトキチの声
が静かな森に響いた。
「真鍋くん。エノケン一号が見つかったよ。
それも変なとこで。」
「エノケン一号、どこですか。」
「京都だよ。それもエライ元気なんだ。」
『ゲンキ?』
とトオルと由香の声が揃って反応した。


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