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ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

さすらいー地球岬 24

2010年01月15日 | 投稿連載
地球岬 作者大隅 充
    24 最終回
 サロベツ原野は、晴れていた。
雲ひとつない真っ青な空が大きく広がっているとき
は、一番寒い。警護官がワゴン車の中で今日はこの
冬最も寒い気温になったとラジオニュースの受け売
りを言っていた。
マイナス30℃。吐く息が煙のように上がった。二
度トイレと雪かきで車の外に出たら息が睫毛にかか
ってパリパリのツララになって張り付いた。やはり
道北のオホーツクから吹く風は、地球岬を流れる海
峡風とはその冷たさの度合いがまったく違う。
 旭川警察の護送ワゴン車が南豊富町の温泉旅館に
着くまでにかなりの時間がかかった。途中猛吹雪で
道が完全に積雪で行く手が阻まれて、地元の酪農家
らの応援を得て小一時間ラッセルしてやっと昼過ぎ
に豊富町へ到着した。
 オレは、室蘭署に連行されてすぐに旭川警察へ送
られた。取調べと供述調書づくりをやらされて二週
間後旭川を出発してオヤジを刺した角海老旅館へ現
場検証のため輸送された。久しぶりの育った土地だ。
国道の標識もロッジやレストランの看板も雪に埋も
れていたけどみんな見覚えのあるものばかりで
なぜもっと早く事件を起こす前にこの町を去らなか
ったのか少し後悔した。
そして子供の時に抜けた乳歯を天井裏に隠して高校
生になって偶然その黒ずんだ歯を見つけたあの懐か
しいけれど自分でないものに対する途方にくれる虚
しさをどうしようもなく今オレは感じている。
 旅館の元は物置だったオヤジの三畳の部屋に刑事
さんと入った時、手錠ではなく腰紐がオレを爆発し
そうな得体の知れない感情から動く度に刑事に短く
手繰られて押し留めてくれた。
 その三畳の部屋では、畳に血のりを擦り取った跡
がまだ生々しく残っていてたたまれた布団もミニコ
タツの上の缶チューハイも埃を被ったまま置き去り
にされていた。
オレは、ここに入るまで全く自分でも意外なほど平
静だったのにこの飲み残しの缶チューハイを見て、
止め処ない爆発しそうな感情が体の奥から吹き出て
どうしようもなくなってしまうのに気づいた。
こんな狭い、汚い部屋で寝泊りしてオヤジは、旅館
の清掃や客の送り向かいをしていた。オレも寄り付
かなかったこの物置部屋で一人で夜酒を飲んでいた。
オレも最低の男だったがオヤジも最低の男だった。
何も取柄がなく夢もなく人から頼まれた仕事をして
ただ生きていた。虫のような生活。牛や馬はまだ肉
になるために食べて排泄して生きている。ところが
オヤジは、ただ単に生きているだけだった。そして
挙句の果てが息子に刺し殺された。
オレは、それを思うと無性に爆発したい気持ちにぐ
るぐる巻きにされてしまう。
せめてあの、呑みかけの缶チューハイを飲ましてや
ればよかった。後悔や悲嘆ではなく憐れみでも怒り
でもなく何か訳のわからない走り出したいような、
居ても経ってもいられないあふれる気持ちでいっぱ
いなのだ。この爆発したい心の渦巻きがオレを襲っ
て離さない。現場検証でどのように包丁で刺したか、
どこにいてどこを何回刺したか一通り刑事さんを
オヤジに見立てて再現し終わって、その部屋を出て
車に戻るまでずっと爆発の渦巻きが続いていた。
 それから番屋とサロベツのオレの住んでいたアパ
ートを回って又国道の雪道を係官から借りたダウン
ジャケットのフードを被せられて後ろの席に刑事さ
んと一緒に乗っかって旭川へ向かった。
 オレは氷の縞ができた車の窓から見える青い空を
ぼんやり見つめながら三日前に拘置所に来た母さん
からの手紙を思い出していた。

 純平くん。本当にごめんなさいね。謝ると又あな
たは怒るかもしれないけれど、あなたへ母親として
何もしてやれなかったことを母さんなりに話してお
きたいと思うの。
 お母さんは、母親としては失格だった。あなたが
生まれる前から自分の気持ちが不安で子供が生まれ
ることがどうしても信じられなくて暗い淵に羽を折
られた海鳥のように追いやられる夢ばかりを見て泣
いていたの。そしてあなたが生まれてから益々その
気持ちが激しくなってお父さんになった良夫さんが
慰めてくれるのも効き目がなくて、おまけにおっぱ
いも出ないし、皺くちゃの赤ちゃんがどうしても可
愛いと思えなかった。母としては絶望的な人間だと
毎日自分を責め続けたの。
 なんで自分はこんなカタワの女になってしまった
のか。夜となく昼となく考えても正解はなく苦しみ
だけが増した。ただ私のことを振り返ると夕張で炭
鉱夫の長女として生まれた時に美容師だった母が出
産と同時に妊娠中毒症で死んでしまって私だけが助
かったの。
 父と祖母祖父の家庭で兄も含めて大切に育てられ
たので愛情に飢えたり、生活に困ったことはなかっ
たけど、家に残っていた母の動く八ミリビデオを二
十歳の成人式の日に父から見せられて、そんな馬鹿
なこととわかっていても自分が生まれたから母が死
んだんだと思うようになったのは確かだった。でも
室蘭で鹿内と知り合って結婚するときも子供を生む
ことに別にそんな不安定な感情もなかったし、むし
ろ兄や友人に子供が生まれることを祝福してもらえ
ることを幸せに思っていたの。
 それが赤ちゃんが生まれてから天然痘のブツブツ
が段々顔中に広がっていくみたいに不安で居たたま
れない気持ちになっていった。そして一ヶ月もしな
いでノイローゼということで別の病室へ私だけ移さ
れた。しかも舌を噛んだり、看護婦さんに暴れかか
るは病室の窓ガラスを素手で割ったりもして自分が
悪魔にとり憑かれたみたいになってしまったの。
 今もうあの気持ちはすっかりなくなってどうして
あんな昂ぶった状態になったか理解できないし、蘇
えることもないのだけれどあの時はあんな狂気にと
り憑かれてどうすることもできなかった。
 それも赤ちゃんに噛みついたりしたので良夫さん
は、私のことを憎むようになった。あなたを乳幼児
室から自宅へつれて帰ったの。私の兄とそのことで
激しい喧嘩もしたようだったわ。
 別病棟に隔離されて三ヶ月も経った頃、気がつけ
ば夜中にベッドを抜け出して線路に寝ていたの。冷
たいレールを枕にして仰ぎ見た、あの夏の星座がは
っきりと目に焼きついてるわ。乳も飲ませられない
私があなたに申し訳ないとはじめて思った瞬間だっ
た。
貨物列車が灯りを点けて走ってきた。
昼のように明るい光に包まれた。
自分の両脚がその光の輪から夜の闇へバラバラにな
って舞い上がった。
そして私は辛うじて肉の塊となって生き残ってしま
ったの。
 これが私があなたを手放したすべてです。
今私は、あなたの幸せを心の底から望むことができ
ます。もしそのためなら残る両手も両目もなくなっ
て構わないと真剣に思っています。どうか刑期が終
わったら、あなたの新しい幸せのために生きてくだ
さい。
私はあなたが許してくれれば今度はできる限りあな
たの面倒をみたいと思います。
                  母。
 
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