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ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

愛するココロ-27-

2007年09月22日 | 投稿連載
愛するココロ  作者 大隅 充
       27
 高瀬川に人だかりがしている。
柳の木によじ登る子供もいて,ゲートルを巻いた軍人や芸者衆が何やら
掛け声をかけている。茶店の軒や柳並木に架けられたボンボリに浅い川面が
宵闇を切り開くように照らし出していた。
「ドンパン、ドンパン、世の中お気楽でござる。ドドドんパ、ドンパン、
ドンパン、活動写真な、幻でござる。幻食べても腹の足しににならぬ。
ドンパン、ドンパン、活動シャシン死んじまう。飢え死に、死んじまう・・・」
川の中で素っ裸でエノケンと天心が両手に扇子を持って、酔っ払って踊っている。
「ドンパン、ドンパン、世の中勇ましきことばかり、鞍馬天狗も紫頭巾も、
生きて何ぼの話。ドンパンドンパン、生きてる花のつゆ。
恋も成金も死人に無用の花ちょうちん・・」
ぐるりと取り囲んだ見物人から手拍子がだんだん同調していって、舞台と客席
が一体化するように京の宵町に響わたっていく。
芸者や若い衆がケラケラ笑い、旦那衆、手代らがやれやれ!もっと踊れ!と
掛け声をかけて、エノケンと木村天心の狂気のドンパン節は、激流怒涛の
ジャムセッションとなっていく。
エノケンは水面を走り、土手を昇り、柳と柳の間を軽々と飛び移った。
その超人的な早業は、うおっと歓声とともに繰り返された。路上ライブの
芸人エノケンの誕生の瞬間だった。
俳優をかなぐり捨てた過激な芸人は、走るより飛ぶ時間の方が多く息も
きれず歌い踊りまくった。
その目は、攻撃の一色に光輝くオオカミの冷たい彩りに似ていた。
「そこの二人、逮捕!」
「とまれ!動くな!」
警官が四人、橋の欄干から川へ飛び降りて行った。
「捕まえられるものなら、捕まえてみろ」
エノケンと天心は、柳の木から茶屋の屋根に攀じ登って逃げた。
観客は、笑いと拍手喝采で見送った。
「待て。待たんか!」
警官は、柳からすべり落ちて、川の中へ次々に沈んだ。
夜は、星もなくエノケンたちを瓦の闇の奥へと飲み込んで静寂に戻った。
 次の日。エノケンは、上京することにした。
発車のベルが鳴り、東京行きの列車が京都駅をゆっくりと動きはじめた。
列車の窓ガラスを開けたエノケンに大男の木村天心は無精ひげを掻き毟り
ながらおにぎりを二つ慌ててホームから手渡した。
「いつでも戻って来いよ。」
「ああ。わかった。」
「カツドウやめて、東京で何するん?」
「わからん。」
「トーキー出たから、親父さん、活弁士渡月さんが死んだわけじゃないだろ。」
「・・・・・」
「カツドウは、すぐに映画になる。未来は止められない。」
「ああ。その通りだ。弱い親父なんか元々いない方がいい。清々してる。」
ホイッスルが鳴り、列車はホームを離れ加速し出した。
「あばよ。エノケン。」
「さらば、京都、天心!」
ホームを駆けていた天心が人ごみに埋もれて見えなくなった。
天心は太秦で流れた弁士渡月の悲しい噂を知っていた。エノケンは、視線を
逸らせてはみたがかえって天心の心配りの目が確証の重い石となって
頭上に落ちてきた。
そしてエノケンは、一年前に楽団マネージャーと一緒に東京の浅草に行った母
から父親榎本渡月の様子がおかしいとは、聞いていた。
特に弁士や楽団のトーキー映画反対のデモに参加したあたりから奇行が目立つ
とダイショウカンの旦那からも京都の嵐寛寿郎の寛プロを訪ねて来たときに
双ヶ丘の撮影所の事務棟でその噂は聞いた。親父がおかしい。
弁士がもう出来なくなる。
しかし世界は音と音楽で満ち溢れている。
カツドウの仕事でずっと会えなかった親父に会える、近づけると思っていたのに。
なんで?なんで死んじゃうの。それも自分で首くくるなんて・・・・
列車が近江八幡、彦根と琵琶湖を過ぎた頃エノケンはハンチングで顔を
隠して涙が止まらないのを繕うとしたがどうにもならなかった。
あれだけ朝陽に輝いていた琵琶湖の湖面が遥か大昔の出来事のように
思えてとても不思議だった。

 賀茂川の河原で泥だらけのエノケン一号が転がっていた。のっぽとチビの
小学生の男の子が二人、ランドセルを背負って降りてくる。
「何だ?これ。ロボットやないか。」
のっぽが目を輝かせて言った。
「バカ。冷蔵庫やん。」
チビの方は、足で一号のお尻を蹴った。
「手も足もあるで。」
「うーん。変な奴。」
「いいこと考えた。」
チビは、遊歩道に戻って、乗っていたスケボーを持ってきた。
「これに乗せて研究室へもってこ!」
「研究室ってどこ?」
「バカ。おまえン家やて。」
「お、お、俺ン家!」
「おまえン家、蔵があるやん。あそこ持ってこう!早よう押せ。」
チビは、エノケン一号をスケボー二つの上に載せて、のっぽと一緒に
遊歩道へ押し上げた。
エノケン一号は、電池切れでまったく動かず
鉄の塊のままだった。
「あれ、虹がでてる。」
道の上に来たチビが鞍馬山の方を見上げた。
膝まづいて押していたのっぽが大きなため息をついてエノケン一号の上
に座ってぽかんと虹を見た。
虹は、珍しく大きな立派なものだった。
「ああ。虹だ。」
トオルは、ワゴン車から降りて言った。
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