MT-DRACO

My Last Summer Wine
-『少年』の心を持つクルマ趣味人へ-

スポーツマフラーコンセプト

2014-10-10 23:24:48 | 汎用パーツ

走る・曲がる・止まる、の3つの要素をそれなりにチューニングアップしてくると更に官能的なサウンドを

求めるのがクルマ趣味人の清く正しい道筋と思いますが・・・

今回は、少々徒然草的なMT-DRACOコンセプトのご紹介・・

横道にそれての退屈話になると思いますのでご興味なければ読み飛ばしてください^^;

 

kechibishi銀行員だった父の仕事の関係で生まれたのは埼玉県川口ですが生後5ヶ月目に

広島に転勤、昭和の20年代後半の広島市(自宅が縮景園の真向かいで毎日の遊び場でした)

のんびりとした地方都市でのガキ大将は蒸気機関車に憧れたんですね^^

 

2年後に再び転勤で渋谷の笹塚、そして三軒茶屋に引越し・・・

物心が付き始めた幼稚園時代の家族旅行先(確か・・修善寺かな)にて日頃見る国産車と

明らかに異なる2人乗りのクルマに興味を持ったのが今思えば事の初まりのような気がします。

 
そう! 多分MGのTC!!
 
母方の父親(お爺さんですね)は当時としてはかなりハイカラな方だったようで
 
戦争が始まる以前から仕立て服関係のお仕事だったそうで、日本と米国をビジネスで
 
行ったり来たりしてたそうです。
 
そして、母親の姉はホノルル生まれの米国籍で第二次世界大戦勃発・・・ 日本に戻れず ・・・
 
(多分、お爺さんは意図的に米国籍を取得させたのだと思います)
 
そんな環境の為か、幼い頃から身の回りの衣類やらお菓子更に漫画類はMADE in USA
 
が当たり前のように有りました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして・・・ 時は流れて ・・・  1973年 ・・・
 
ホノルルから本土に移り住んだ叔母に保証人となってもらって憧れのカリフォルニアに私費留学という
 
名目の自由な時間を獲得!  (為替レートが対ドル300円でした)
 
なので、初めて運転免許証はカリフォルニアドライビングライセンスを2ドル50セントにて取得。
 
(1回目は You drive too first! で落ちましたが・・)
 
時給2ドルの皿洗いで必死に貯めた700ドルにて中古の65年型マスタング(初期型ですね~)
 
が生まれて初めて手に入れたクルマでした。
 
 
 
このマスタング、ありとあらゆる所が壊れまして・・・ ヘインズの整備書が手放せなかった ・・・
 
そして、初めての旧車レストレーションのお手伝いをしたのがランチャフルビア
 
(米国人はランスィアと発音)
 
そう、狭角V4エンジン!!
 
Engine Head
 
クルマ以外も本当に遊びほうけた1年・・・ スケートボード・サーフィン・JAZZ ・・・
 
一応?! U.C.L.A.のドミトリー住まいでしたが・・
 
叔母さんはフルサイズのキャデラック、叔父さんは350psのエルカミーノ。
 
CHEVELLESTUFF
 
おこずかい稼ぎの洗車&WAX掛けが日曜日の日課でした。
 
全てのスケールが大きくてアメリカが光り輝いていた時代と思います。
 
 
米国に渡る前、吉祥寺の成蹊高校からエスカレートにて大学に所属したのですが
 
休学は2年以上すると退学となる為に 泣く泣く帰国。
 
当時の成蹊学園の並木道は学生のクルマの駐車場状態でなかなか楽しい雰囲気。
 
ブルーバードSSS・ベレットGT・Z(しかもZ432だったり)・S600&800更に当時最新のGTR
 
そして憧れたMINI COOPERとBMW2002tii等々^^
 
そんな時期にカーグラの表紙を飾ったLOTUS7 S2(小林編集長が乗ってました!)
 
余談ですが・・・ セブンの存在を知ったのが20才でその後ケーターハム7ですが、
 
手に入れるのに約10年掛かりました)
 
学生時代は悪徳中古屋さんでバイトしながら大変貴重な経験を積み重ねたり・・
 
クルマ関係のアフターパーツマーケット等さしたるモノがなかった時代。
 
神田のトリウミさんで情報仕入れたり、中古車ジャンクヤード漁りでパーツ入手したり、
 
友人がGTO(三菱ですね)を売却すると聞きつけると自分のギャランGSの足回りとそっくり交換作業
 
を休日のバルコム(当時のBMWディーラー)整備工場で行ったり・・・
 
4G32の整備書とワークスエンジン資料を裏ワザ?!で入手したり
 
最終的にはこの4G32は箱根ターンパイクでプラグ熱価を間違えて(出たばかりのマーシャルの
 
プラグ熱価表示が国産と真反対・・・)エンジンブローして2機め中古エンジンは1.7Lに^^
 
初期型のギャラン1.5L、タコ足からマフラーテールエンドまでWパイピングで良い音してました
 
 
(バル~~~~ン!)
 
 
 
親しい友人はコレ、ギャランGTO 2.0L (MRは憧れのツィンカムでしたね)
 
この時期はギャランGSの前にマツダのファミリアやら初期型シビックCVCCやら
 
チョイノリを入れると両手では数え切れない車歴かも・・
 
そして、休学1年を入れて6年掛りで大学卒業、入社したのは当初希望していたホンダでも
 
スバル(富士重工)でもヤマハ発動機でもなく・・・・  原宿に本社があった?! レナウンでした^^
 
(なぜか?  唯一受付の女性がメチャ可愛かったのですよ^^)
 
社会人1年生、給料額面225万、目黒の東邦モータースに10万キロ走行ギャランGSで乗り付け
 
     『下取り価格10万でしたら、今この場でハンコ押します!!』 
 
ディーラーマン曰く
 
     『スミマセン、一晩考えさてくださいww』
 
 
人生最初のバリバリ新車購入は
 
 
FIAT X1/9 1.5L リトモエンジンでした。
 
クロモドラ&カンパニョーロ・・・ 鋳造マグネシウム  ・・・ アバルト・アンサ-マフラー ・・・
 
70年代後半は海外モノパーツが明らかに国産モノより優れていた時代ですね。
 
(もっとも、この時代の品質・精度で止まってるようですが・・・)
 
 
 
 
 
つづく・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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