月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「プリンセスとウォリアー」

2008年05月16日 | ◆ハ行&バ・パ・ヴ行

2000年製作 ドイツ映画
監督:トム・ティクヴァ
撮影:フランク・グリーベ 

「ラン!ローラ!ラン!」の監督で、いいなあと思ったら、撮影もそのときと同じスタッフのフランク・グリーベです。


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主演のフランカ・ポテンテ(1974年生まれ)は、「ボーン」のマット・ディモンの恋人役で一躍脚光を浴びた若手女優だけれども、個人的には、「ラン!ローラ!ラン!」のローラの役が印象的で、他もドイツ的なホラーサスペンス映画というか、ステファン・ルツォヴィツキー監督の「アナトミー」などの映画に出ていたあのコ、というイメージが大きい。

顔が、何といってもまったり系のラヴロマンス向きじゃないせいかもしれない。彼女を見るたびに「似てるなあ」と思うのは、日本の女優の藤真理子という女優。



★藤真利子⇒http://movie.goo.ne.jp/cast/90157/

70年代後半に日本映画に出てきた女優ですが、いまや50代も半ば、事情に疎いので分かりませんが、どうしているのでしょう。
昔の彼女にフランカ・ポテンテが演じているような役を配したら、さぞかし面白い映画が出来ただろうなァと思うと、彼女にそういう役を与えられなかった日本映画界が残念でならないですね。

本題に戻すと、この映画「プリンセスとウォリアー」について書かれたサイトがほとんどないので、ここではストーリーの紹介をしておこうと思います。



精神病院で看護婦として働くシモーヌことシシーという若い女性とガソリンスタンドの爆発で恋人を亡くして以来心に大きな傷を負った青年の「運命的な出会い」と二人の「かなり非常事態の恋」の模様と彼らの「自立」の物語を通して、人の心の壊れやすさと意志を持ったときの人間の強さ・・・・そういうことを感じさせてくれる映画ですね。

精神病院の入院患者の男たちにとって、シシーはプリンセスのような存在。心を病み社会から隔離されて病院で生きている男たちがシシーろ心を通わせている。彼ら皆から気遣われ見守られ求めらる監視されるシシーにとって、彼らは共に暮らす家族のような存在。けれど、性の処理まで要請し、やってもらえないと威圧する知恵を持つ自己中な男たちだ。

そんなある日、施設の入院患者の盲目の男の子と外出したシシーは、めぐりめぐってハンドル操作を誤ったトラックに轢かれてしまう。呼吸ができないままトラックの下に横たわる瀕死の彼女のモノローグが素敵だけれど、そのとき、「呼吸ができないのか」と彼女に問いかけ彼女の喉を切ってストローを差し込んだ青年にシシーは一命を取り留める。

命を助けられたシシー・・・

けれど、退院して病院の戻ったシシーの心は晴れない。
「以前のようにやれるかどうか不安なの」と語るシシーに、盲目の入院患者の男の子は語る。「それが不安なんじゃない。以前のようになることが不安なんだ」というやり取りは印象的。シシーの世界に変化が起こったことを彼は悟ったのですね。

これからどうすればいいのだろう。退院後、自分を助けてくれた青年の夢を毎夜見るようになり、意を決して彼を探すことにしたシシー・・・・

やっと訪ね歩いて青年を見つけたものの、ここがまったく予定調和的な展開とは無縁で、相手は事故の事もシシーのこともほとんど念頭になく、廃屋のような貧しい住まいで兄と暮らしながら武道の稽古中だった。銀行の警備員をしている兄の立案で、二人は銀行強盗を計画していてそれどころではないのだけれど、どこかおかしい。あの命を救ってくれたときの青年の面影などどこにもない。そんな青年の対応にシシーは傷心となります。
「なぜ会いに来た」と問われ、説明しようとするが上手くいかず、心が触れ合う隙間もないまま、探し尋ねた相手に無碍に「帰れ」と言われ涙。雨の中転んで泥だらけになるシーンも印象的でしたね。

けれど、シシーにとってどうしても気になり夢にまで見る相手。何かそこには意味があると考えるシシー・・・・

この青年、実はガソリンスタンドでの爆発で恋人を亡くしているとわかる。給油を恋人に任せ自分がトイレに入っている間にガソリンに引火し車もスタンドも大爆発を起こし恋人は亡くなったのだ。以来ずっと、彼の心はガソリンスタンドのトイレの中だと青年の兄から聞かされるシシー。

彼女は青年が病んでいることを理解する。彼女には精神を病んでいる人間に偏見がない。シシーの職場はまさにそうした人間たちが住み暮らす精神病院だから。

実は、彼女自身、精神病院生まれの孤児で、生まれたときから精神病院を住処として暮らしてきた女の子。母親と入院患者の男性の誰かとの間に出来た子供で、生まれてから今日までずっとそこがホーム。看護婦として働くようになってからも、そこがシシーのホーム。シシーはそんな女の子なのです。

 

青年に何か運命的なものを感じていくシシーだけれど、縁が切り結べないままいつもの通りの暮らしに戻るものの、心が何かを求めてうつろなまま。
母親を亡くした親友からの頼みごと、母親の遺品を銀行の貸し金庫に受け取りに行く用事を思い出すシシー。事故後いろいろあったけれど、まずはその用事を果たそうと重い腰を上げ銀行に出かけたシシーは、そこで警備員として働いている青年の兄を見かけ何かを感じる。

ここからの展開はかなりスピーディ。

地下の金庫では、計画通りお金を盗んで逃げるばかりになった青年と兄がいたが、何か起こりそうなドキドキ感・・・
極度の緊張からか態度が硬直した瞬間、兄が銃で撃たれパニックになる青年。警報機が鳴ってしまう・・・・
そこに駆けつけて二人を助けるシシー。

盗んだお金には目もくれず傷ついた兄を病院に運ぶ二人。彼らはいつしか銀行強盗三人組にされ、重症の兄を病院に運んだ後、追われる二人は逃亡。けれど、街中に警官が配備され潜伏するところはここしかないと、シシーはホームである精神病院に青年を連れてくる・・・・・このまま患者になればいい。そうすればずっといっしょにいられると。実に奇妙なシーンが展開されますが・・・。

シシーの一挙手一投足を見ている入院患者の男たち。実社会から隔離されて生きる病院の中も、人間が共に暮らす共同体。入院患者たちにとってシシーはフツーに会話しコミュニケーションが取れる我らのプリンセス。それほどシシーは大きな存在。
精神を病み世界をフツーに認識できなくとも、世界がぐらりと歪むとき、拘束帯を着けてくれと頼むほどの間柄。シシーはずっとその病院で彼らの世話をし彼らを理解し彼らをある意味守ってきた、それが当たり前の世界だったが、彼女もまた彼らによって守られてきた。そういう意味で、入院患者の男たちとシシーの世界は平衡していたのだ。娘を監視するうるさい父親と困った父親の世話をする従順な娘のように。

そのバランスがいま、壊れようとしている・・・・院内の空気が緊張感に満ちてくるときの、男たちの表情の微妙な変化が興味深い。男たちはシシーを自分の側の世界にいるシシーとして守護したい。境界線のこちら側の自分の住む世界の住人でいてもらいたい。シシーはその世界のプリンセスなのだ。

けれど、世界の平衡は破られそうになっている。そのシシーの目線が注がれる先は、もはや境界線のこちら側の自分たちではなくあちら側にいる新しい別の男。

男たちの表情に不安と恐れと疑惑と嫉妬が浮かび、院内の緊張感が増してきたとき、一人は蛍光灯のガラスを細切れにしてそれを口にし、一人は銀行強盗の逃亡犯が病院にいると警察に通報する。パトカーに囲まれる病院!普段静寂に包まれているホームが喧騒に包まれ、逃げ場を求めて駆け回るシシーと青年。

シシーを共依存の世界に奪い返したい患者の男。映画はクライマックスに向かってそれぞれの思いや感情が交錯し混乱する中やがてスパークしたとき、シシーは決断し未来に向かって一歩を踏み出していた。

自分を不安にさせる世界を打ち破るとき、その一歩を踏み出す勇気は、他ならぬ自分の意思だ。「よりよく生きたい」と願うこころ。「嫌だと思うことを拒否する自由」を世界に求めるこころ・・・・

その勇気を私たちに与えてくれるのは、いしょにいたいと願う相手、こころが信頼する相手、自分をありのままに受け入れてくれる人間との出会い、そして共に飛ぶことのできる相手だけかもしれないですね。

ということで、
シシーの相手役の青年を演じていたのは、



ベンノ・フユルマンというドイツの若手俳優です。
今後どんな映画に出演するか、
ちょっと変り種なので楽しみです。

 


 

 

★画像がどのフォルダに紛れ込んだのか探せないため、映画の写真なしでアップしました。

 



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