月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「Pathfinder」---(2)

2008年07月12日 | ◆ハ行&バ・パ・ヴ行

映画「Pathfinder」(1)では観終えたばかりの感想を最初に書いて(7/7)画像の掲載が後に(7/11)になってしまいました。その間起こし下さった方へのお詫びを兼ねて、(2)で映画のストーリーをご紹介したいと思います。 まだご覧になっていらっしゃらない方のお役にたてたなら幸いです。

映画冒頭、「パイレーツ・オブ・カリビアン」の海賊の先祖のような男たちが殺戮を行った光景が出てきます。「フリート街の悪魔の理髪師」並みの殺戮を前に、目を見開いたまま体を恐怖で硬直させている少年に、獣の兜をかぶった大男は剣を持たせ「殺れ」と命じる。恐怖で剣を投げ捨てた少年を獣の兜をかぶった大男は許さず、少年の背中を死ぬかと思うほど打ち据えてから、同じ血が流れているからといってこんなこと(捕らわれた相手の首を刎ねること)も出来ないようなら用はないと言って置き去りにします。

廃船の暗闇に置き去りにされた少年を、やがてインディアンの女性が救い出し村に連れて帰ります。先導者を中心に話し合いが行われ、少年は「傷を負った子供だ」という女性の訴えで、その村で暮らすことを受け入れられます。なかなかディテールが丁寧に描かれていて、この段階でも今後どういう展開になるのか予測がつかないところが、冒頭との絡みから言えばホラー系アクション映画というよりはサスペンス!



心の優しい働き者のその女性を母とし、少年を我が子として責任を持って育てることを了解した寡黙な父の元で慈しんで育てられていきます。そうして十数年、少年は幽霊船で拾われた「自分が何者なのか分からない者」という意味でゴーストと名付けられながらも、小さな子供たちに慕われる心の正しい若者に成長します。こういったところは、まるでズィッヒビルディングスロマンたいな展開ですが、

村では次の先導者を選ぶ時節が巡ってきて、青年たちには成人になった儀式が執り行われますが、ゴーストにはその資格が与えられない。悔しい思いを秘めつつ、深夜に剣の稽古を続けるゴースト。その剣は、かつて投げ捨てたことで置き去りにされ、救われたときに胸に抱いていたもの。まさに自分が何者なのかを知る道標となる絆の剣。

そんなゴーストを理解する育ての父は、一人前の若者として彼を一人狩猟に行かせます。少年を大人の男にするには、どうしても大人の男の存在が重要だということを感じさせられる場面です。ゴーストを慕う妹のような女の子に見送られ、別れ際に、狩猟から帰ってきたら(=男として一人前として認めらる)わたしを守ってねと約束を交わすシーン、その女の子が持っていたお人形がその後、ゴーストの心の方向性を示す隠喩としてたびたび出てきます。

対岸の狩猟場に着いてから、異変を感じて振り返るゴースト。



村から火炎が上がり、見慣れぬ船が接岸しているのを見て、逸る思いで木船を漕ぎ村に戻りますが、



家は焼け落ち、子供たちの笑い声、食事の支度をする女たちの穏やかな笑顔、慎ましいながらも平和で穏やかな暮らしが営まれていた村は消え、そこには変わり果てた村の人たちの遺体が積み重ねられていた。



必死で探した母の姿をそこに見つけたゴーストは、



声なき声で叫び号泣します。あまりの不条理に直面させられたとき、私たちはこうして号泣する・・・・・生きていくとき、こうした不条理に私たちは一度は遭遇する。いつの時代も現代でも、愛する人を傷つけられ奪われるという苦悩はなくならない。そうした苦悩とどう向き合うか・・・・この映画は、そういう問いを投げかけてきます。



ゴーストが号泣し思考停止状態になっていたまさにそのとき、広場から声が・・・・敵だ!こうした構えは、まさに彼の中に流れる血が教えるものかもしれません。村人の最後の一人がまさに処刑される場面で、交易している隣村への道案内を拒否したその男こそ、ゴーストの育ての父親でした。

あまりの情景に目を大きく見開いたまま動けないゴースト・・・女子供を一人残らず殺戮し母も父も惨殺した敵を前にして、彼は捉えられてしまいますが、ゴーストがインディアンじゃなかったので、リーダーは(彼こそ、冒頭の兜の大男!運命が巡ってきた再会の場面ですが、今回もその大男は)剣を渡します。剣が使えそうだから戦ってみろと。 少年のときと違う局面です。そのチャンスを逃さずゴーストはその場から脱出するのですが、



ここから、映画は「逃亡者」以上、まさにジャガーと呼ばれた青年がわき腹に刺し傷を追いながら逃亡する「アポカプリト」を思い起こす展開となり、目が離せない。追撃する敵の次から次と繰り出される襲撃を交わしながら逃亡するシーンは前半のクライマックス。敵から奪った矛をソリ代わりに使って雪山を降下するシーンは、まさに映画「007」を思い起こしてしまうアクションです。

が、逃亡者が追い込まれたときに現れるのは、決まって滝。矢を受けた体を引きずるゴースト!



留まれば間違いなく殺される。飛び降りれば捕まって殺されることは避けられる。滝に飛び込むというのは、華厳の滝さえ自殺の名所なのだから、助かる保証などない。助かる保証はないが、可能性はある。たとえ1%でも助かる可能性があるなら、1%に賭けて飛ぶか・・・となると、普通はできません。
尋常ならざる勇気が要ります。プールの飛び込み台からだってなかなか飛び込めるものではないのですから。こうした瞬間に可能性に賭けて飛ぶことができるのは、合理的思考に従える徹底的合理主義人間か、はたまた勇者しかいない。「逃亡者」のドクターは頭脳明晰な医者。「アポカリプト」でも飛んだのは勇者たちだけだった。

ゴーストは身を投げ出します。

傷を負った体で隣村に向かうゴースト。アイツラが襲ってくる前に知らせなければ・・・・それに、もはやそこしか行く当てもない。

いきなりの来訪は敵襲と同じで、交易している村同士であってもルール違反。 ゴーストの来訪に村は大騒ぎになる。ヴァイキングの徒党の襲撃で村が全滅したことを伝え逃げるように語った後、ゴーストはダウン。無益な殺生はせず命を大事にするインディアンは矢で射抜かれたゴーストの介抱をします。

敵が攻めてくるなら戦おうと語る青年は、いつの時代にもいるものですが、敵を知らずに戦うというのは無謀というもの。己を知り敵を知れば百戦危うからず、です。



弓矢は通じない。敵は毛皮で身を包んでいる!
槍も通じない。敵は兜と鎧で身を包んでいる!
そんな敵とどうやって戦うのだとゴーストは言います。ではどうしろと言うのだと息も荒い相手に、「いますぐ逃げろ」と言い放つ。

さすがに村の「先導者」の決断は早い。女子供と年寄りを抱え、ヴァイキングの徒党と戦えば、皆殺しにされる。いますぐ村を捨て旅立とうと命じます。どこへ?東へ。西の山は、春が近く雪崩が起こって狩に出た若者たちが死んだばかりだから。村人はあっという間に東に向けて旅立ちます。先導者の判断に従う大勢になる見事さが、ここで人々を救いますが・・・・

復讐に炎を燃やすゴーストは、村人が逃げられるよう 時間を稼ぐため、辻の岩場で敵を待ち受けるべく戦いに赴きます。
そのとき、ゴーストを慕ってついてくるインディアンの若者がいるのですが、付いてくるなと命じても殴っても追い払っても、黙ってついてくる彼はとても無垢な存在。どこかで観た顔だなあと。チベットの僧の役だったか・・・何と言う俳優なのか分からないのが残念。

そして、もう一人、二人の後を追ってきたのが「先導者」の娘である女性でした。季節が巡ってくるたび物々交換する村同士、そこで出会いゴーストに淡い恋心を持っていたのです。ゴーストを追うときのこのシーン、とても美しかったですね・・・
秘めた情熱の確かさが、降りかかる雪から顔を背けない凛とした表情と相俟って美しいと感じました。ムーン・ブラッドグッドという韓国系アメリカ人の女優です。韓国系の美人顔ですね。フランク・マーシャル監督のハリウッド版「南極物語」に出ていましたが、ハリウッドではいまだにアジア系の役者は、インディアンやエスキモーやアジア系マフィア映画での女性役でしか配役って回ってこないようですが、黒人が大統領選で戦う候補者になっている時代なのだから、もうじきそうした垣根もなくなるのではないかと期待したいですね。話がちょっと脇にそれてしまいましたが、話を戻します。

彼女の出現に言葉を失い、なぜ来たと問うゴースト。
彼女は、「父は、あなたの心が復讐でいっぱいになっている」と語り、こう続けます。

「男が戦うときの心には二つある」
「一つは、復讐のため」
「もう一つは、愛のため」

ゴーストは、
「どっちが勝つんだ」と問い、
彼女は、「愛だ」と答え、彼女の愛をゴーストに与え、二人はそこで結ばれます。

こうなっては、負けるわけには行かない。彼女を守らなければならない。斬り死にするわけにはいかなくなったゴースト。しかし、どうやって戦うのか。どう戦えば彼女を守れるのか。

 

こちらには一本の剣と一人の剣士のみ。他は女と無垢な若者のみ。彼らに使える武器は弓矢と槍のみ。鹿を射るような細い矢ながら、一本の矢がダメなら3本合わせたらどうなるか。一人では出来ないことも3人いればやれる戦い方もある。毛利の話みたいですが、ゴーストは矢を3本合わせて改良した矢を作り、敵を待ち受ける戦場に仕掛けを用意していく。

この映画では、確かに殺戮シーンは目を覆いたくなるほどですが、(1)でもお話したように、映し出される山々や氷に閉ざされた川や雪に覆われた森といった具合に監督の目で切り取られた自然界の写実描写が画面に現れるたび、見ている側は一息つけそうになるのですが、それが間延びしない。
なぜなら、まさに登場人物の置かれた状況、彼らの中で流れる時間の経過がどういうものであるかを象徴した映像だからで、見ている側はすっかり引き込まれていく仕掛けになっているからでしょう。

キター!(O△0;)

この瞬間、怖いですよォ~
  ↓

さて、ゴーストたち3人はどんな戦いをするのか。ここから映画は後半のクライマックスに向けて怒涛の展開になりますが、「ランボー」のようなわけにはいきません。この映画はかなりディテールが丁寧に描かれていて、設定は中世前期の12世紀頃、悪名高いヴァイキングという海賊の殺戮収奪シーンがメインというホラー系ですが、象徴的手法とリアリズムの手法が相俟った演出と映像には、唸らされます。時代設定もインディアンを襲う北欧のヴァイキングという設定も象徴的なもの。

まさに剣は自衛のために持つものであるということ。そして集団の統治における内なる「先導者」と人々を無法者の外的から守る者は異なるという思想が生まれる瞬間に私たちは立ち会うことになる。映画を観終えたときにそのことが了解されるのではないかと思います。興味を抱かれた方は、是非ご覧になってみてください。

いずれ、この続きはこのブログでご紹介するつもりですが、(2)では、後半のクライマックスに向けた戦いの始まりまで、ということにしたいと思います。

 


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