moving(連想記)

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消費文化としてのモラル考

2005-04-15 | エッセー(雑文)
消費文化にモラルを組み込む試み

経済市場に商品が流通することで成立する日常性
その日常性を支える精神的側面の一つ
それがモラルであったり、倫理、道徳観であったりする。
市場経済が大量消費のため機械化する以前であれば、
倫理、道徳観、モラルなど個々の交流により、
個人の精神的側面を昇華することも可能だったろう。
「出会い」の偶然性に左右される対話は地域的であり、
村社会的な範囲のみで有効であり、それを拡大するためには
メディアという「システム」(機械化)が必要だった。
出会いは「運命的出会い」とかいう文学性に還元され、
日々「システム」のもとで「物語」として創造されて、
各メディアのもとで、配信され続けている。
しかし、一方向性による「物語」の消費は、没個性化
理性的判断力を失わせ、個人そのものが消費される危険性を
孕んできた。
その「物語」に描かれる人物は人格主義的模範生、あるいは
それを目指す途中の未熟な人物であり、いわば神格化に
近い素描の人間論を土台としてる。
そして「物語」を消費し、共感し、精神的充足感を得る
という行動形式が定着した結果、本来の隣人である他者との対話は
避けられるようになるという皮肉な現象が蔓延化した。
一方で大量に流し続けられる「性的」イメージに密着した商品
の消費に慣らされた個人は、短絡的性行動(金銭で交換される性というイメージ)に
疑問すら持たないようになってきた。
経済交換される性の特性は役割性を帯び、ゲーム的遊び(プレイ)の
様相を強める。・・・結果性的犯罪を引き起こす分かれ目は、金銭のある、
なしに左右される。

消費生活が主な行動形式として標準化され、
新しい商品イメージを提示、それを消費する社会では
イメージを共有化することが最大関心事であり、なにより優先される。
そのイメージにあらたなモラル、倫理、道徳観をすべりこませる
ことが必要と思われる。
イメージを共有化する文化装置として機能してる商品イメージに
直接モラル、倫理、道徳観を混入させる。
例えば「美」に関連する商品にすべりこませる。
現実に美しく装うことは美徳という価値観が、
その行動形式として定着してる。
逆にいえば、こういう商品イメージシステムの検討が必要ということ。
元々精神文化は、大量に精神エネルギーを消費することで
成立するのだから、妙な精神エネルギーの出し惜しみはいけない。
なによりも精神的な活動が大切なので、他人任せにするのではなく
自分でよく考える、その「問い」は正しいのか?あるいは成立するのか
というアプローチ面も含め検討をしなくてはならない。
既存の「物語」の内容にモラルを間接的に付加するのではなく、
直接的な商品イメージに、商品文化(システム)に
モラルを積極的に組み込む作業が必要な時代なのかもしれない。
規律でもなく、管理でもないシステムとして・・・ 

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