moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

ヒッキーについて

2004-09-03 | エッセー(雑文)
自我意識が抑圧される現代にあって
神経症と精神病のボーダライン上の症状が増えて久しいが、
ようは不適応状態を改善する治療であるから、
医療的立場では抗精神薬投与に頼らざる得ない。
(特に三分診療という現状ではなおさら)
成績重視という社会にあって、幾つもの役割を担わなければならない
現代人は二重拘束、自己同一性喪失の危機にさらされる場合が多く、
個人の自我という中心軸がブレはじめてきている。
自分らしさが感じられるところまで引きこもり、そこで再生という
ヒッキーと呼ばれる引きこもり現象が学生を中心に広まりつつある。
しかし成績重視システムの中で形成された自我意識は脆く、
一度負け組に転落したイメージを持つと、容易に抜け出せなく、
個人の自我は回復不能なまでに、相反する価値観に引き裂かれたまま
価値の統合性、調和点を見出すことが出来ない状態が続くようだ。

意識、特に自我を考えると
知覚の構造になぞらえ「図と地」構造をモデルにしたような
意識と無意識の構造を基点としたお馴染みのフロイトの理論が有名だが、
しかし「自我」の育成を重視するシュタイナー教育論における
自我意識は問題解決するための「手」そのものの機能ということらしい。
(何かを把握する、つかみとるという行動の土台)
そのため見たり、聞いたり、感じたりする主観性を重視し、
自我はいわゆる指揮者のように統合的能力を発揮するもの、
バランスの調整をする能力を担い、それを養成しなければならない。
シュタイナー自体の思想は作用心理学、志向性心理学のブレンターノに
影響されてるようだがフッサール同様理解しにくい、
が意識内部に引きこもり、新たなる手だてを得るという方法論を展開していて、
いみじくも今の若者たちと共通してるようだ。
精神、心理、意識という概念が形成された時代を再読し、
自我の充足感を満たす現代的な解釈(システム)が必要なのかもしれない。









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