チャップリンの映画「独裁者」。
中学生の時の英語の教科書に、ラスト6分間の平和を訴える演説の一部が掲載されていたのを記憶しています。
当時、その英語の授業の一環で視聴した映画の「独裁者」。その衝撃の強さは、いまでも新鮮に覚えています。
昨年、12月12日付の「しんぶん赤旗」に、日本チャップリン協会会長の大野裕之さんのエッセー「チャップリンのいま-没後35年、初来日80年」とうい連載で「独裁者とのたたかい」が掲載されていました。
いままで考えたことがありませんでしたが、この「独裁者」という映画。チャップリンが作製を開始したのは1938年だったそうです。
当時のアメリカでは、ヒトラーは「何かを変えてくれる英雄」として人気があった。
チャップリンはいち早くその危険性を見抜き、製作に着手。これを受けて、ドイツのみならず、英国外務省やアメリカ当局までも上映禁止をちらつかせながら製作中止を求めたが、チャップリンは信念を貫いたといいます。
第二次世界大戦開戦とともに撮影を開始。ヒトラーがパリに入城した翌日に演説シーンを撮影したそうです。
世界をまわり、軍国主義の恐怖を肌身で感じたチャップリンの先見性に改めて驚きました。
そして、少し話題が変わって、
「前衛」2月号から始まった不破哲三さんの連載「スターリン秘史-巨悪の成立と展開」。
社会主義とも共産主義とも無縁な体制に変質した旧ソ連。
スターリンによる覇権主義の形成過程を、不破さんが新たに公開・出版されていることをつかんだ「ディミトロフ日記」をもとに解明する、2年間(予想)におよぶ長期連載です。
とても興味深く学ばされたこの連載。出だしがヒトラー・ドイツとつながってきます。
第一次世界大戦の敗戦と、世界経済恐慌の打撃の中で深刻な経済的困窮に陥っていた当時のドイツ。
時代の「閉そく感」の中で、1933年1月30日にヒトラー内閣が誕生します。
ヒトラーが専制体制の確立のため、ナチス勢力自身によって計画され、実行されたのが2月27日の国会放火事件でした。
国会議事堂放火事件の共犯者として逮捕されたのが、当時ブルガリア共産党の幹部で、後のコミンテルン書記長になるディミトロフでした。
ナチスの用意した証言者や裁判長、そしてへルドルフ突撃隊長、ゲッペルス宣伝相、ゲーリング首相といった相手に、
この事件の矛盾を次々と明らかにするディミトロフの法廷闘争。
1933年12月23日、最終判決で被告席に立たされた4人の共産主義者は無罪を勝ち取ります。
ドイツ・ファシズムに対して、反ファシズムの勢力が勝ち取った一大勝利でした。
世界中に名が知れ渡った英雄的闘士のディミトロフが、スターリンによって「スターリンの指示に無条件で従う官僚的な活動家」に変貌していきます。今月の論文では、ディミトロフがスターリンと最初の対面を行ったところで、来月に続きますが、今後がとても楽しみです。
不破さんは「共産主義運動のなかでスターリン時代がもっていた意味を根本から明らかにすることに役立つだろうし、日本の私たちにとってだけでなく、世界の共産主義運動の、科学性、道義性、発展性を持った前進にも必ず資するだろうことを強く希望するものです」と述べています。
巨悪の成立と展開を、しっかり学んでいきたいと思います。