4月から毎月1回のペースで開催される「理論活動教室」(8日)に参加してきました。
日本共産党の理論的な到達点を継承するために始まった教室です。
党本部や首都圏の党機関で活動する専従者など約450人が集まり、不破哲三社会科学研究所所長の講義を受けました。
4月の講義は、はじめに、「『理論教室』のはじめにあたって」、と「第1講 日本共産党の理論活動史」の前半部分(60年代の理論活動)が行われました。
講師の不破さんが体験してきた論争や時代の特徴を交えてお話しし、党の理論がソ連や中国の党からの攻撃や内外情勢の問題に直面する中で、路線を確立し、発展してきたその歴史をつかむことができます。
「なるほど」と、うならせられながら、必死にノートにペンを走らせました
会場の党本部大会議室のロビーには、講義で紹介された文献などが資料で展示されています。
不破さんが今回の教室を計画した動機の一つに、ソ連共産党との公開論争を始めてちょうど50年目にあたることをあげていました。
講義でも紹介されたソ連とのアメリカ帝国主義論争は圧巻です。
●1964年の4月18日、ソ連共産党が日本共産党を攻撃する書簡を送りました。
背景には、1961年のキューバ危機後、ソ連が米ソ協調路線に踏み出します。
そして核兵器廃絶に背を向けて地下核実験を認める「部分的核実験停止条約」が米・ソ・英の間で1963年7月に調印されます。この条約の本質は、条約で認められた地下核実験を自由に行うものでしたが、この条約をめぐり、日本の原水爆禁止運動やソ連との間に論争がうまれました。
わが党は1963年の10月に「7中総」を行い、アメリカの戦略を解明します。それが「各個撃破政策」です。
アメリカはソ連などの大国との対決を避けて協調政策をとる一方、小さな社会主義国や民族解放運動に狙い撃ちをして攻撃する基本戦略をもっていることを明らかにします。「『各個撃破政策』の矛先が、どこに向くか。ベトナムか、朝鮮半島か、キューバか、それはわからないが、これがアメリカの基本戦略である」との分析力には驚きます。
歴史はその後、1964年の8月4日にアメリカがトンキン湾事件をでっち上げ、ベトナム侵略戦争を開始し、情勢は党が論駁したとおりに進んでいきます。
ソ連を名指しでは批判はしていませんが、その政策を批判する論文が1964年3月10日の「ケネディとアメリカ帝国主義」。
それに対してソ連が日本共産党を攻撃する書簡を送ったのが1964年の4月18日だったのです。
それから、50年が経ちました。
不破社研所長は、
「世界の資本主義は矛盾と危機が深刻なのに、ほとんどの国で科学的社会主義の党の姿が見えていないのは、多くの党の理論がソ連からの借り物だった。…日本共産党は、ソ連や中国・毛沢東派の干渉主義と実際にたたかっただけでなく、スターリン以来の「マルクス・レーニン主義」とはまったく違う科学的社会主義の本来の姿を取り戻した」と、
マルクス・エンゲルスの本流に立つ日本共産党の理論活動が世界的な意義を持っていることを述べています。
世界の資本主義国の中でも、戦前、戦後と反共主義の強いこの日本で、党が攻撃をはね返して「第三の躍進」を切り開こうとしている、そこには「理論の力」がある
50年以上にわたる苦闘の探求の積み重ね、その中身をしっかり学び、今後も予想される内外の様々な問題に、しっかりと国民の立場に立って判断し、方針を打ち出すことができる力を身につけるために、がんばりたいと思います。