8月4日~6日の3日間、広島市で行われた原水爆禁止世界大会
足立原水協は29名の代表団をつくり、私もその一員として参加してきました。東京全体では720人の代表団です。
そのレポートをお伝えします。
8月4日の1日目、東京駅、午前8時13分発の団体貸切の新幹線で広島駅に向います 車内でお弁当を食べ、お昼に到着します。
新婦人足立支部から代表参加したYさん。ブーケ班が作成したきれいな折りバラの帽子をかぶって目立ちます。
私も、折りバラをかけさせてもらいました
そして、開会会場の広島県立総合体育館・グリーンアリーナに向います。早めに到着したので、足立代表団は舞台最前列にみんなで座ります。
オープニングプログラムは「うたごえ」の皆さんと「みんなで歌おう!」
「青い空は」(作詞/小森香子 作曲/大西進)、「折り鶴」(作詞・作曲/梅原司平)、「心つなごう」(作詞・作曲/山上茂典)を合唱。
開会宣言は全労連議長の大黒作治さん。その後、来賓あいさつです。
広島市長の松井一實さんが駆けつけ、挨拶します。
日本被団協代表委員の坪井直さんは被爆体験を語ります。
「20歳で被爆し、それから今年で67年たった。あの時、原爆で吹き飛ばされ、全身火だらけ。仮治療室で終戦を迎えた。畳の上を這うことができるまで1年かかった。」
「仮治療所での軍隊による救助活動は、『トラックに乗れるのは若い男性だけ』。戦争に役立つ人のみ助けるのだった。幼い女の子が助けを求め、トラックに乗ろうとすると、軍隊は怒鳴って追い返した。幼い女の子は火の海の広島を歩いていった…。女の子を助けることができなかった。これが戦争なんだ」
「私は87歳。心臓病も、慢性不良貧血病もあり、ガンも2つやっている。だが、核兵器廃絶、恒久平和のために、毎日事務所に出て現役で頑張っています」
とのお話しに胸を打たれました。
その後、政府代表・国際機関代表の方から発言が続きます。
駐日キューバ大使のホセ・アグスティン・フェルナンデス・デ・コシオ・ロドリゲスさん。
他に、マズラン・ムハンマドさん(駐ジュネーブ国連マレーシア代表部常駐代表、軍縮大使)、ビョーン・ミットゥンさん(駐日ノルウェー行使参事官)が自国の情勢と核兵器廃絶への連帯のメッセージを会場に伝えました。
そして国内外の草の根の活動交流です。次々登壇し、取り組みの経験を発言します。
北海道七飯町では、町長も協力し、「核兵器全面禁止のアピール署名」(http://www.antiatom.org/)を人口の過半数集めていることが報告されました。
山口県からは、岩国基地へのオスプレイ配備反対の取り組み、
大阪の新婦人豊中支部の若い女性は、
「福島原発事故に直面して、今までなぜ行動してこなかったのか悩んだ。
繰り返さないために、いま出来ることは声を上げ、団結すること」と力強く訴えました。
海外から参加したNGO・個人代表も、イギリス核軍縮キャンペーン(CND)、ドイツ反核法律家協会、フランス平和運動、非核フィリピン連合など発言。
韓国・済州島カンジョン村で基地建設反対運動をしている女性(左)の涙の訴えが心に響きました。
米軍の海軍基地建設反対のため、髪の毛をそって役所前で1千回のお辞儀をする抗議行動をしたそうです。
「無知な農民であっても、村民のためでなく、アメリカのための基地だということはわかる」との叫びに会場から大きな拍手が沸き起こりました。
核兵器の恐ろしさ、そして世界各地で広がる核兵器全面禁止・平和を求める大きな流れを感じる開会総会には6800人が参加しました
その後、足立代表団は、夜の交流会で感想を出し合い交流。自己紹介も含め、楽しく交流できました。
本場、広島風お好み焼も、おいしく食べることができました
ちなみに、「核兵器全面禁止アピール署名」は東京全体で20万1千人分の署名を突破。
足立区は8月4日時点で1万2356人です。その皆さんの思いを広島に、世界に届けてきました