ロレンツォ・パシネッリ
*
その人の欠点や過ちばかりを、ことさらに見るよりも、その心そのものを見るようにしましょう。
過ちをした人間の苦しみに、光をあてて、あたためてあげましょう。
そこから芽生えてくるものがある。
優しい太子殿下、私は処女ジュハンヌと申します。天の君主は、私を通じ、殿下がランスの町で大典を挙げられ、王冠を戴かれて、フランス王たる天の君主の代理人となられるよう、お望みになっておられるのでございます。
ジャンヌ・ダルク
☆
北辰制をこの世界に具現するためには、人間が愛を深く学ばねばならない。
権謀術数だけでやっていると、政治は腐敗する。人間を甘く見るからだ。
技術だけでやれるほど、政治は甘いものではない。
高い愛を招き、それで政治を統率し、神の流れを国に呼び込んでくるというのが、北辰制の目的だ。
王権神授説というものは、民主主義の理想からは、愚かな嘘と考えられているが、それは法則的には真実ではない。
真の王権とは、真実、神の代理でなければならないのだ。
だが王制は廃れ切った。馬鹿が権力が欲しいだけのために、無理に王になって、嫌なことをしすぎてしまったのだ。
それでわれわれは今、北辰という言葉によって、新たな命を政治に吹き込もうとしている。
この世界に新たなものを生み出すために、神の流れを感じられる魂を、政治に呼び込まなくてはならない。
そのためにはどうすればいいか。
それをこれから考えていこう。
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
*
わたしアルヤは、小さなとるにたらないもののなかに、光るものを見つけるのが好きだというものです。
いろいろな絵を紹介していきますが、それはわたしのそんな心で選んだものです。
かわいらしい子供たちだ。愛に包まれている。
人間にはいつも、見えない愛がついていて、このように人間を愛しやすい姿に見せてくれるのです。
その愛を、この画家は知らず知らずのうちに描いているのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
*
これはレオナルドの憂いそのものです。彼の本当の顔は、これに似ていますよ。
彼は人間に半ば絶望している。だが、愛することをやめることはできない。
絶望の荒野で、はてしない道を目指す者は、学究の人となるのです。
サンドロ・ボッティチェリ
*
これもかのじょにとてもよく似ている。ボッティチェリは良い仕事をしています。
憂いを帯びた瞳でしょう。どんなに愛しても、決して理解してはもらえないからです。
それでも愛しているという自分の中に溶けていくとき、天使は女神になるのです。
ヘラルト・ダーフィット
*
昨日のシャドーの絵もそうですが、ダーフィットのこの聖母も、かのじょの実の姿によく似ています。このようにかわいらしい女性の顔をした天使は、ほとんど彼だけです。あなたがたはよく、こういうイメージの女性像を描きますが、その本源は、かのじょという天使なのですよ。あのやさしい天使が、あなたがたはだれより好きだったのです。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー
*
新しい企画が始まりました。
これからしばらく、かわいらしい女性たちを描いた絵を紹介していきます。
お楽しみください。
解説はあまりしませんが、ときに原題とは違うタイトルをつけるときがあります。
そこに意味があるかもしれません。
なお、わたしはゾスマの友です。アルヤとお呼びください。
これは、北辰制の一つの目標とするべき成果をなした天使である。
日本史には、大化の改新をはじめ、様々なことをなした強い人物像が伝えられているが、それらはすべて真実ではない。彼はお人よしを進化させたような天使だった。だから人の頼みを断ることができず、来るものは拒まずですべて受けいれてしまったら、あらゆる責任を押し付けられて、他人がしでかしたことを全部自分のしたことにされてしまったのだ。
このころの歴史は、何もかもを天智のせいにするために、当時の人間が作りまくっているんだよ。
本当の彼は、それほど大きなことをしたわけではなかった。際立って美しいわけでも、きつい個性があったわけでもなかった。
ただ真実の愛のみによって、誠実に皆の幸福のために働く、そういうことを素直にやってくれたという天使なのだ。
高い愛とは、実にこういう姿をしているものなのだ。
ごく普通の、当たり前の人間の姿をしている。だが、その人がいると皆が幸福を感じる。
その人は、人が嫌がることはしない。自然に、みんながよいことになる方向に、すべてを運んでくれる。その人がいる。ただそれだけで、皆はほっとして、何にも不安がる必要はないような気がする。それが、本当の愛の姿というものなのだ。
北辰制は、この天皇の実像を、一つの道標として、考えていこう。