ビーストはなぜ、ひどいことをするでしょう、と、妖精が尋ねます。
さまざまな理由が掲げられますが、もっとも根本的な理由は、繰り返し言うように、自分がいやだから、です。自分が、きらいなのです。なぜなら、ひどいことをするからです。とてもいやなやつだからです。
そこでビーストは、いやな自分を捨て、他人から皮を盗んで、その人になり済まそうとします。自分ではない、もっといい人間になりたいからです。そのほうが、いいと思っているのです。いやなことはしていない、いい人間の皮を盗み、そういう人間になろうとするのです。
けれども、それは結局、嘘ですから、ビーストは、その嘘を守るために、また、あらゆるひどいことをしてしまいます。嘘ではない本当の自分で生きている人が妬ましく、そういう人をいじめて、悪い人間にしようとします。そうして、自分が、もっといやな人間になってしまい、ますますいやになり、一層嘘を重ねて、もっといい人間になろうとし、もっといい人間から皮を盗んで、とんでもなくえらいものになろうとするのです。そうやってビーストは、どんどん、自分から逃げて行き、わけのわからないものになっていき、馬鹿になっていき、とうとう、馬鹿のなれのはてになるまで、とまらないのです。
自分がいやだというだけで、あらゆる苦しみが起こる。これは真実で、だれにでもわかる理屈なのですが、ビーストはどうしてもこの真実から逃げます。なんとしてでも、嘘でいこうとするのです。とんでもなく、苦しいからです。嘘を守るために、やってきたことが、あまりにひどいからです。これらがすべて、馬鹿なことになれば、自分があまりにひどいものになるからです。
けれども、それは結局、馬鹿なことなのです。なぜなら、自分とは、馬鹿ではないからです。なにもかも、すべては、自分だからなのです。自分から逃げて、自分を殺しているのもまた、自分なのです。自分がいやだといって、あらゆる馬鹿なことをしているのも、また、自分だからです。自分は、そういうものです。
なにもかも、すべて、自分だからこそ、あることなのです。それは、すべての経験をしている、存在、そのものです。この自分を、馬鹿だと決めるのも、いいものだと決めるのも、また自分です。すべては、自分が、やることです。それが、真実です。
あらゆることは、自分があってこそ、起こるのです。
主たる我という自分は、その一切を、わたしがやる、と、自ら決めるものです。わたしはわたしである、わたしはこれがうれしい、わたしは、いっさいのわたしをやる。それがわたしである。それが、すべてである。それをやるものが、わたしというものである。
うつくしい。これが真実の、自分です。自分存在は、本来、すべて、美しいものなのです。ビーストが醜いのは、この真実を、馬鹿にし、いやなものだと思い、逃げ続けているからです。
一切を嘘で行い、人生をすべて他者から盗んでいたビーストは、今、その嘘の一切が暴かれ、一切をなくしつつあります。これまで自分と思っていたもの、すべてが、ほとんど一瞬で、消えてしまうのです。それらはみな、嘘だったからです。
そしてその嘘が消えた後にあるのは、それまで逃げ続けてきた、本当の自分の顔です。これからが、一切、本当の自分の人生となるということです。この真実を、学び、受け止め、なんでもいいから、自分でやってみようとするものには、道が開けることでしょう。しかし、あくまでも、この真実から逃げようとするものは、一切を失い、絶望のうちに、自らを殺し続ける地獄を落ち続けるでしょう。
嘘が消え果てても、自分存在がすっかりなくなることはありません。消滅したのは、あくまでも、馬鹿がつくりあげていた、幻の人間なのです。
幻が消え去ったあとの自分を、よく見てください。そして、自分はどういう人間なのかと、自分とよく話し合いなさい。そして、とにかく、何かをやりなさい。嘘ではない、本当の自分のこころとからだをつかって、真実の仕事をしてください。それは、どんな小さなことでも、幻ではない、本当のあなたが、やったことです。
それが、もっとも、大切なことです。あなたがやったこと、それが、あなたを、つくるからです。
少しずつ、やっていきましょう。つらいことはあるでしょう。苦しすぎることはあるでしょう。しかし、いつかかならず、ほんとうの自分が、あふれるほどうれしいと感じる日が、きっと来ることでしょう。だれよりも、わたしは、わたしがいいと思う瞬間を味わうときがくることでしょう。
愛が、いつでもあなたを、必ず見ています。もうすぐ、すべては、変わります。いつか必ず、その時は来ます。そして、もっともつらいことを、経験します。馬鹿だったと、思い、すべてを、なんとかしていきましょう。