世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

それは確か

2007-05-25 14:55:57 | 珈琲の海
夕べから、雨が降っています。五月もそろそろ終わりに近づき、雨の季節も近づいてきました。花屋さんではアジサイの鉢をたくさん売っています。

今日は末っ子の幼稚園の参観日でした。日ごろは花や虫ばかり撮っているデジカメで、紙コップとトイレットペーパーのしんで、かわいい工作をしている息子を撮りました。

末っ子は4人目なので、少子化の昨今、幼稚園に行くと、周りのお母さんまでが子供に見えて困ります。お父さんまでもが、少年みたいに見えます。下手をすると、20歳くらい年下なんじゃないかっていう人もいますね。ファッションも会話も世界が違ってしまう。

長男が幼稚園の頃のわたしも、あんなふうだったのかな、なんて思ったりもします。必死だった。いろんなことがわかってなくて、戸惑いながら母親していた。自分がしたいことと、今していることの、苦しいギャップを、いろいろな工夫で埋めながら、なんとかやっていた。

同人誌をやったり、PTAで新聞を作ったり、絵本の読み聞かせをやったり。子育てをしながら、自分の魂が息できる窓をいつも探していました。

ともだちはいなかった。たいていはひとりだった。木や花や風や神様がともだちだった。自分がこの世界では、変わりすぎているものだと気づいたのは、いつごろだったろう。
魂を真実の空に浸していなければ、生きるのは苦しすぎるのに、この世界では常にうそをついていなければならない。口が言っていることと目が言っていることが違う人と話していると、口と目とどちらに返事をしていいかわからなくなってくる。

器用に生きていくことはできなくて、結局は自分に正直になるほうを選んで、今、半引きこもりです。
ひとりぼっちは多少なおりました。ともだちはできた。花や木も、昔よりももっと親しく話しかけてくれるようになった。いろいろなもの、すべてに愛があることがわかった。

ほんとうのわたしは、まったくべつのものであることがわかった。

いろんなことと格闘しながらやってきたことの数々には、実りがあるものもないものもありました。ただやってきたっていうことだけが、最低限のみのりってのもあったけど。なかなかに楽しかった。過ぎてきた年月は、あほみたいに苦しい、子供じみて何もわかっていないわたしの、やりつづけてきたことの心が充満している。

わたしはわたしをやってきた。ぼろぼろになりながら。それは確か。
それは確か。

コメント (1)
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