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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

薔薇の庭

2016-07-22 04:12:43 | 霧の風景


マリア・オーキー・デューイング、20世紀アメリカ、女流。

美しいね。厳しいことばかり言うので、少しは心を安らげよう。
棘は薔薇の唯一の欠点などというものもいるが、それはちがう。薔薇の棘は、傷つくことなしでは真実をつかむことはできないという暗喩なのだ。美しい薔薇を手に入れたいのなら、棘を恐れずに庭に入っていきなさい。そしてそれが容易に摘むことはできないものだとわかるまで、挑戦してみなさい。真実の美がどういうものなのかということがあなたがたにわかるまで、薔薇はその庭に咲き続けてくれるだろう。






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本を読むマグダラのマリア

2016-07-21 04:13:32 | 霧の風景


ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、15世紀フランドル、北方ルネサンス。

兵器を作るよりも、女性が本を読める家を作りなさい。それが男の責務である。教養ある女性は立派な男を育てる。馬鹿な女は男に馬鹿なことをやらせる。女性を正しく育てることは、男を救うことでもあるのだ。






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広島の子供

2016-07-20 04:19:23 | 霧の風景


カレル・アペル、20世紀オランダ、抽象表現主義。

人間は小さなナイフや壺を作ったが、大きな兵器も作った。それでたくさんの人を殺した。これはその殺戮の中でも最もむごい記憶である。人間はこれを忘れてはならない。正面から立ち向かうべく、様々な問題に対処していきなさい。






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ボウルと果物の静物

2016-07-19 04:17:46 | 霧の風景


クロード・エミール・シェフネッケル、19世紀フランス、後期印象派。

またここで休憩しよう。
果物を入れたボウルと小さなナイフが描かれている。透き通った瓶も美しい。ボウルとナイフというものは、この世界で人間が作り出したものを象徴している。ナイフはものを切るものであり、ボウルはものを入れるものだ。太古はそれが石器であり、土器であった。象徴的には、石器はペニスの変形であり、土器は子宮の変形だ。果物は自然の神からの恵みだ。何気ない絵だが、すべてを生み出していくもののシンボルが秘められている。それが清潔で明るい場所に置かれているのがいい。






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アトランティスの滅亡

2016-07-18 04:15:19 | 霧の風景


ニコライ・コンスタンティノヴィチ・リョーリフ、20世紀ロシア、象徴主義。

アトランティスの伝説は本当にあったことである。文明高い大陸が一夜にして沈み、ほとんどすべてのアトランティス人が死に絶えたのだ。どんなに高い文明を編んでいようとも、神のご意向には逆らえないのである。アトランティスの人間は文明の中で人間らしいことを忘れ、あまりにも低い欲望のために馬鹿をやりすぎたのだ。暖かな愛を育てるものが何もなくなってしまった。それで神はアトランティスを滅ぼそうとご決意なさったのである。これは二度と繰り返してはならない悲劇だ。あなたがたは愛を見つめ直し、愛をこの世界で育ててゆくべく、努力しなくてはならない。それでなければ、あなたがたは、みごとにアトランティスの轍を踏むだろう。






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峡谷の帝王

2016-07-17 04:52:32 | 霧の風景


エドウィン・ヘンリー・ランドシーア、19世紀イギリス、ロマン主義。

地球は人間だけのものではない。この世界に生きるすべての存在のためのものである。この鹿もまたすばらしい存在なのである。人間はこういう存在の生をむやみに奪ってはならない。あなたがたに彼らの存在理由を妨害する権利はないのだ。






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燃え上がるソドム

2016-07-16 04:18:32 | 霧の風景


ジャン・バティスト・カミーユ・コロー、19世紀フランス、写実主義。

火の上がる街を遠景に、ロトとその家族が逃げようとしている。旧約聖書の中にある神話である。ソドムという町は実際にはなかったが、ソドムと似たような目にあった町はあった。ポンペイの悲劇はポンペイが最初ではなかったのだ。人間の堕落をこらしめる神の一撃を食らった町は、今までに一つや二つではない。ソドムとゴモラの伝説は、そういう人間たちの記憶の中にあるものが書き残されたものであろう。現代の人間世界も、ソドムにそっくりな堕落にあふれている。ソドムを焼いた火が人間世界にもう一度現れても不思議ではない。だがなぜその火はまだ来ないのか。いいや。もう来ているのだ。ただそれは、火ではない火であるだけなのだ。見えない火は確実に人間世界を焼き、人間が気づいた時には、世界は焼け野原と同然のものになっているのである。






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リオネッロ・デステがあがめる聖母子

2016-07-15 04:24:14 | 霧の風景


ヤーコポ・ベッリーニ、15世紀イタリア、ゴシック。

20世紀のきつい絵が続いたので、時代を戻ろう。これはジョヴァンニ・ベッリーニの父親が描いた絵である。ヨセフのように天使を育てた人間である。こういう男の仕事が残っている例はほとんどこれだけだ。ジョヴァンニは庶子であったので、嫡子である兄ジェンティーレに比べれば愛情は少なかったかもしれないが、それでも天使を一人前の画家に育てた功績は大きい。ジョヴァンニが天使として大きな仕事を残せたのは、この父のおかげなのである。この絵を見れば、ジョヴァンニがいかにこの父を愛していたかがわかる。ジョヴァンニの絵は強くこの父を慕っている。われわれはいつも、親子のように互いを愛し合う。その愛がこの絵に現れている。






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スペインの女

2016-07-14 04:17:29 | 霧の風景


フランシス・ピカビア、20世紀フランス、ダダ、シュルレアリスム。

これは崩壊した人間の姿の一例である。罪を犯しすぎた人間の霊魂が、それゆえに活動不能に陥り、それを他の霊魂が無理に動かそうとすると、こういうことになる。死んでいるのに生きねばならない馬鹿になるのだ。これに比べれば、ルース・ダポント夫人はまだ嘘をつこうとする意志があるだけましだ。もうここまでくると、人間は何もできなくなる。自分の霊魂は動けないのに、勝手に誰かが自分を動かしている。それを本人の霊魂は感じている。自分がとうとう、自分ではないものになりきってしまった。それが自己存在のこの世界における究極の崩壊なのである。






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人間の息子

2016-07-13 04:12:55 | 霧の風景


ルネ・マグリット、20世紀ベルギー、シュルレアリスム。

マグリットはシュルレアリストの中ではまだ見られる画家である。エルンストなどは狂気に落ちているが、まだこれは理性の中に残っている。
若い男の顔を青い林檎が隠している。林檎は原罪の暗喩でもある。その林檎と男を組み合わせるとき、妙に安堵感を覚えるのは、それは本来男のものであるからだ。イヴの誘惑も、イエスの殺害も、男がやったことだからである。逃げてはならない罪から逃げていたことが自分の中に作る呵責を、この絵は幾分癒してくれるのだ。これが正しいのだと。






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