「相撲に負けて勝負に勝った」とでもいえばよいのでしょうか。もちろん酒場についてのことです。
まず、目当ての「桔梗屋」にはものの見事に振られました。早い時間では混み合う、しかしあまりに遅ければ早仕舞いもあり得ると見て、あえて時間稼ぎをしてから八時過ぎに乗り込むと、あいにく満席との返答です。もちろん、この店で呑むことが米子に泊まった唯一にして最大の目的である以上、そう簡単には引き下がれません。そのうち空くようなら一報入れてもらえないかと交渉しました。しかるに、もう品がないとのつれない返答があり、あえなく敗退という顛末です。
もっとも、自分でも意外なほど敗北感はありませんでした。秋田の「酒盃」にしてもそうなのですが、どれほど評判の高い店でも、予約をしない限り入れない店というのは性に合いません。せめて「籠太」のように、遅い時間に電話一本入れれば入れる店であってほしいというのが自分の勝手な希望です。そのような事情もあり、この店には縁がなかったと潔く割り切ることができました。
それはそれとして、問題となるのは代わりをどうするかです。万一「独酌三四郎」に振られても次善の店の候補がある旭川と違い、米子で呑むのは初めてで、代わりを探そうにも全く見当がつきません。しかも連休中日に重なり、呑み屋街で明かりのついた店は三分の一から四分の一ほどといったところでしょうか。「酒場放浪記」で紹介された店も休んでおり、少なくとも周辺をこれ以上探しても仕方なかろうという結論に至りました。
こうなるとますます見当がつかなくなります。これはという店があれば入ってもよいというつもりで、当てもなく駅へ向かって歩いたものの、散見される飲食店はどれも決め手に欠けました。このまま代わりの店が見つからなければ、スーパーで惣菜を買い宿で呑むこともあり得ると、一時は覚悟を固めました。しかし、駅前に戻ったところで大衆的な呑み屋が二軒ほど現れ、ここなら行けるかもしれないという見通しが出てきました。二つに一つという状況の中、片や大店、片や個人経営の店と見て、直感だけを頼りに後者を選ぶという展開です。この直感は結果として的中しました。
上記の通り直感であり、確信というまでには至りませんでした。確信に至らなかった理由として、「留味庵」と書いてルビアンと読ませる風変わりな屋号があります。山陰で炉端の看板を掲げるところにも懐疑的でした。しかし店先の黒板にある境港直送の文字と、年季の入った店構えは看過しがたいものがあります。ここが駄目ならもう一軒に行けばよいという安心感もあり、意を決して暖簾をくぐったのが第一歩です。すると目の前に現れたのは、Jの字の形をした「萬屋おかげさん」を彷彿させるようなカウンターが、先客でほぼ埋まっている光景でした。しかしわずかながらも空席があり、中程に通されてまずは一安心。結果としてはここが特等席でした。
目の前が店主の定位置で、その背後には本日の魚介を記したホワイトボードがあります。端境期だった隠岐の品書きと違い、こちらはまだまだ百花繚乱の様相です。しかし席に着く前に、店主からは品が相当切れているとの断りがありました。おまかせが得との指南に従い、五品の盛り合わせを所望するも、五品は無理だが三品ならとの返答があり、最初の注文はこれで決定。ようやく店内の様子を観察する余裕が出てきます。
炉端とはいいながら、カウンターのどこにも囲炉裏は見当たらず、市井の古い大衆酒場と形容した方が語弊はなさそうです。駅前では最も古い創業35年だそうで、店内はそれ相応に古びています。壁にはお客の置いていった名刺が所狭しと貼り付けられ、しかもそれが油や煙を吸って黄ばんでおり、お世辞にも美しい店内とはいえません。それにもかかわらず、これも味わいのうちと思えるのは、長年地元客に愛されてきた大衆的な店らしき雰囲気があるからでしょう。
その雰囲気を作り出しているのは、カウンターを仕切る店主の人柄によるところが大のような気がします。Tシャツ姿の店主は終始饒舌で、養殖と冷凍は一切使わない、日曜に鮮魚をこれだけ集められるのはうちだけだといった、自慢を交えつつも矜持に満ちた台詞が次々に飛び出してきます。しかるに今日は市内で何かの公演があったらしく、終演後に観客が大挙して押し寄せたため、潤沢にあった品もほとんど切れてしまったとの説明です。とはいえ、残った限りある品の中でもどれがおすすめかを懇切丁寧に教えてくれ、一見客には助かります。
特筆すべきは、盛り合わせ、おまかせの類を除き、単品ならば何もかも500円以下ということです。しかも値段なりの割り切りが必要なものではなく、市場で仕入れた鮮魚を惜しげもなく使っているところに価値があります。おかげで全く儲からないというのが店主の弁ですが、この値段ではいくら売ってもそうなのかもしれません。おそらく金儲けよりお客を楽しませるのが生き甲斐の御仁なのでしょう。噺家にも通ずる軽妙洒脱な語り口の中に、地道で実直な商売の一端がうかがわれるようでした。
目当ての店に振られた結果、たまたま流れ着いた店ではありました。それが珠玉の名酒場ということもあるわけで、これこそが酒場めぐりの醍醐味といっても過言ではありません。
「桔梗屋」が予約満席だったのは、他の選択肢が少ない連休中日という条件に加え、件の公演の影響があったのかもしれません。しかし、仮にそのような制約のない状況で再び米子を訪ねたとしても、一軒目には「桔梗屋」ではなくこの店を再訪することになりそうな気がしています。
問題となるのは、もう少し足を延ばせば松江に着くにもかかわらず、それを差し置いてまで米子で呑む機会が今後巡ってくるかどうかということです。そう考えると、この店とはこれが一期一会になる可能性も否定できません。しかし、離島の去り際と同様、端から今生の別れというつもりで去るのは忍びないものです。いつの日かここに戻ってきたいと願いつつ席を立ちました。
★留味庵
米子市茶町52
0859-32-0021
1800PM-2130PM(LO)
日曜定休
千代むすび
真壽鏡二合
突き出し(げそ煮付け)
お造り三品
塩鯖
隠岐もずく
自家製手造りコロッケ
あら汁
まず、目当ての「桔梗屋」にはものの見事に振られました。早い時間では混み合う、しかしあまりに遅ければ早仕舞いもあり得ると見て、あえて時間稼ぎをしてから八時過ぎに乗り込むと、あいにく満席との返答です。もちろん、この店で呑むことが米子に泊まった唯一にして最大の目的である以上、そう簡単には引き下がれません。そのうち空くようなら一報入れてもらえないかと交渉しました。しかるに、もう品がないとのつれない返答があり、あえなく敗退という顛末です。
もっとも、自分でも意外なほど敗北感はありませんでした。秋田の「酒盃」にしてもそうなのですが、どれほど評判の高い店でも、予約をしない限り入れない店というのは性に合いません。せめて「籠太」のように、遅い時間に電話一本入れれば入れる店であってほしいというのが自分の勝手な希望です。そのような事情もあり、この店には縁がなかったと潔く割り切ることができました。
それはそれとして、問題となるのは代わりをどうするかです。万一「独酌三四郎」に振られても次善の店の候補がある旭川と違い、米子で呑むのは初めてで、代わりを探そうにも全く見当がつきません。しかも連休中日に重なり、呑み屋街で明かりのついた店は三分の一から四分の一ほどといったところでしょうか。「酒場放浪記」で紹介された店も休んでおり、少なくとも周辺をこれ以上探しても仕方なかろうという結論に至りました。
こうなるとますます見当がつかなくなります。これはという店があれば入ってもよいというつもりで、当てもなく駅へ向かって歩いたものの、散見される飲食店はどれも決め手に欠けました。このまま代わりの店が見つからなければ、スーパーで惣菜を買い宿で呑むこともあり得ると、一時は覚悟を固めました。しかし、駅前に戻ったところで大衆的な呑み屋が二軒ほど現れ、ここなら行けるかもしれないという見通しが出てきました。二つに一つという状況の中、片や大店、片や個人経営の店と見て、直感だけを頼りに後者を選ぶという展開です。この直感は結果として的中しました。
上記の通り直感であり、確信というまでには至りませんでした。確信に至らなかった理由として、「留味庵」と書いてルビアンと読ませる風変わりな屋号があります。山陰で炉端の看板を掲げるところにも懐疑的でした。しかし店先の黒板にある境港直送の文字と、年季の入った店構えは看過しがたいものがあります。ここが駄目ならもう一軒に行けばよいという安心感もあり、意を決して暖簾をくぐったのが第一歩です。すると目の前に現れたのは、Jの字の形をした「萬屋おかげさん」を彷彿させるようなカウンターが、先客でほぼ埋まっている光景でした。しかしわずかながらも空席があり、中程に通されてまずは一安心。結果としてはここが特等席でした。
目の前が店主の定位置で、その背後には本日の魚介を記したホワイトボードがあります。端境期だった隠岐の品書きと違い、こちらはまだまだ百花繚乱の様相です。しかし席に着く前に、店主からは品が相当切れているとの断りがありました。おまかせが得との指南に従い、五品の盛り合わせを所望するも、五品は無理だが三品ならとの返答があり、最初の注文はこれで決定。ようやく店内の様子を観察する余裕が出てきます。
炉端とはいいながら、カウンターのどこにも囲炉裏は見当たらず、市井の古い大衆酒場と形容した方が語弊はなさそうです。駅前では最も古い創業35年だそうで、店内はそれ相応に古びています。壁にはお客の置いていった名刺が所狭しと貼り付けられ、しかもそれが油や煙を吸って黄ばんでおり、お世辞にも美しい店内とはいえません。それにもかかわらず、これも味わいのうちと思えるのは、長年地元客に愛されてきた大衆的な店らしき雰囲気があるからでしょう。
その雰囲気を作り出しているのは、カウンターを仕切る店主の人柄によるところが大のような気がします。Tシャツ姿の店主は終始饒舌で、養殖と冷凍は一切使わない、日曜に鮮魚をこれだけ集められるのはうちだけだといった、自慢を交えつつも矜持に満ちた台詞が次々に飛び出してきます。しかるに今日は市内で何かの公演があったらしく、終演後に観客が大挙して押し寄せたため、潤沢にあった品もほとんど切れてしまったとの説明です。とはいえ、残った限りある品の中でもどれがおすすめかを懇切丁寧に教えてくれ、一見客には助かります。
特筆すべきは、盛り合わせ、おまかせの類を除き、単品ならば何もかも500円以下ということです。しかも値段なりの割り切りが必要なものではなく、市場で仕入れた鮮魚を惜しげもなく使っているところに価値があります。おかげで全く儲からないというのが店主の弁ですが、この値段ではいくら売ってもそうなのかもしれません。おそらく金儲けよりお客を楽しませるのが生き甲斐の御仁なのでしょう。噺家にも通ずる軽妙洒脱な語り口の中に、地道で実直な商売の一端がうかがわれるようでした。
目当ての店に振られた結果、たまたま流れ着いた店ではありました。それが珠玉の名酒場ということもあるわけで、これこそが酒場めぐりの醍醐味といっても過言ではありません。
「桔梗屋」が予約満席だったのは、他の選択肢が少ない連休中日という条件に加え、件の公演の影響があったのかもしれません。しかし、仮にそのような制約のない状況で再び米子を訪ねたとしても、一軒目には「桔梗屋」ではなくこの店を再訪することになりそうな気がしています。
問題となるのは、もう少し足を延ばせば松江に着くにもかかわらず、それを差し置いてまで米子で呑む機会が今後巡ってくるかどうかということです。そう考えると、この店とはこれが一期一会になる可能性も否定できません。しかし、離島の去り際と同様、端から今生の別れというつもりで去るのは忍びないものです。いつの日かここに戻ってきたいと願いつつ席を立ちました。
★留味庵
米子市茶町52
0859-32-0021
1800PM-2130PM(LO)
日曜定休
千代むすび
真壽鏡二合
突き出し(げそ煮付け)
お造り三品
塩鯖
隠岐もずく
自家製手造りコロッケ
あら汁