日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

活動回顧録 - 東奔西走

2016-03-07 23:15:22 | 旅日記
冬は去り、さりとて春本番にはまだ早い中途半端な今日この頃、直近三度の週末で泊まりがけの活動が一回のみと停滞しています。さらには晩酌の酒も尽きてきました。しかしネタ切れかというとさにあらず。このようなときのために温存しておいた題材があります。昨年の活動の総集編です。
一年を振り返るなら、年末にするのが本来の姿というものでしょう。しかし昨年末は一旦構想しながら着手できず、年初からは北海道を中心に遠征が続いて、時機を逸したままここまで来たのでした。三月にもなって振り返るなど六日の菖蒲、十日の菊ではありますが、その場で感じたことと後日思うことは当然ながら違ってきます。花見キャンプなど、特定の活動を振り返ったことはこれまでにもあったのに対し、一年単位で回顧したことはなかったため、この機会にまとめてみるのも一興と思い立ちました。

繁忙期については一回につき一ヶ月分、閑散期については二、三ヶ月分をまとめ、桜の開花までに完結させるというのが現時点での構想です。高校野球ネタなどと同様、当初の構想を越えて長期化する可能性はなきにしもあらずですが、ともかく気の向くままに綴っていきます。
下記の日数は何泊したかを基準に数えており、宿泊だけでなくテント泊、車中泊、船中泊も含めています。帰着が日付を越えた場合は、原則として前日中に帰着したものとみなしますが、何泊したかを基準にする関係上、車中泊、船中泊を経て帰着したときは一日延びることになります。たとえば土日に活動したときは、帰宅が日付を越えても原則二日と数えますが、夜行列車に乗って翌朝帰ったときは三日になるということです。
また、道中の記録と同様に副題をつけてみました。初回は題して「東奔西走」です。これは、年初からの一月で四国、東北、北陸、東海、北海道と全く異なる地域を行き来したことによります。

・新春の四国を行く 2015(1/2-6 5日間)
正月の四国遠征も三年連続となり、年中行事の一つとして定着した感があります。これは取りも直さず道中の経路と行動が固定化されてくるということでもあり、全体の経路と日数は過去二回と大差がありませんでした。
そのような中、最大の目玉となったのが小豆島です。神戸から夜行のフェリーに乗って上陸し、その日の日中いっぱいの滞在ではありましたが、そこにしかない風土と文化を感じるという離島の旅の醍醐味は、比較的渡航が容易な瀬戸内の島にも確かに存在していました。往路に走った東海・近畿の酷寒とは対照的な、瀬戸内らしい穏やかな好天も印象に残っています。
この旅ならではの収穫をもう一つ挙げるとすれば、船中、高松、松山と三泊した後、道中最後の夜を過ごした徳島でしょう。教祖の推奨店がことごとく閉店し、有力な手がかりが存在しない状況の中、活動仲間の情報を頼りに訪ねた「瀬戸際」がよい店で、話し好きな店主夫妻とも意気投合し、今年の正月も再び世話になりました。

・汽車旅in東北 2015(1/10-12 3日間)
blog開設前から十数年来続く、自分にとって最も古い年中行事の一つが、一月の三連休を使った東北への汽車旅です。しかしながら、三陸地方の路線は震災で壊滅し、寝台列車のヒルネという恰好の題材も「あけぼの」の廃止によって終焉を迎えるなど、採りうる選択肢は年々狭まりつつあります。本活動でも、前年の経路をなぞることに終始せざるを得なかったのが現状です。
しかし、どのような活動でも新しい発見が一つや二つは出てくるものであり、それが単なる焼き直しと承知の上で旅に出る理由でもあります。本活動における収穫といえば、まず青森の「ふく郎」を挙げなければなりません。弘前ばかり贔屓にして、青森で呑むといえば駅前の寿司屋がせいぜいだったところ、教祖が「西のさきと、東のふく郎」と絶賛するこの店をようやく訪ねる機会が巡ってきました。果たして評判通りのよい店で、その後も二度にわたり再訪するに至っています。
その後渡った函館でも、「ふく郎」に勝るとも劣らない目新しい経験がありました。まずは市内でも屈指の格式を誇る「函館国際ホテル」に格安の料金で泊まれたことです。ロビーと客室の造りが全くの別格なのは当然としても、ロビーから客室と結婚式場へ続く絨毯敷きの長い廊下、扇形をした建物に合わせた少し変わった形の客室、扉に連動して電灯がつくウォークインのクローゼットなどは、日頃安宿ばかり泊まっている庶民にとっては想像もつかないものでした。朝食バイキングにしても、ただ品数が多いだけでなく、少量ずつ作って頻繁に補充したり、コック自ら取り分けたりすることで、常に出来立てをいただけるという仕組みには感心させられました。まさに目から鱗の体験です。この宿の影に隠れがちではあるものの、その後登った真冬の函館山の寒さと、そこから眺めた雪化粧の函館市街も印象的でした。

・汽車旅in北陸 2015(1/17-18 2日間)
本年序盤における最大の出来事といえば、何といっても北陸新幹線の開業に尽きます。北陸はもちろんのこと、信越本線をも含む日本海縦貫線から国鉄型車両を一掃し、北信越を汽車旅不毛地帯に塗り替える一大変革を前に、ただならぬ危機感を持って前年、前々年から足繁く通い続けてきました。新年の第一弾を飾ったのがこの旅です。
もっとも、本活動に関する限り、新幹線開業とは直接関係のない福井へ行くのが主題でした。唯一目玉となり得た「北越」は往復とも3000番台で、事実上の終焉迫る日本海縦貫線の旅という観点からは、めぼしい収穫はなかったのが実情です。とはいえ、昼夜にわたり三国に滞在し、教祖が絶賛する「魚志楼」でも呑めたのは収穫でした。冬の日本海側にしては珍しい、翌日の穏やかな晴天も印象に残っています。

・冬晴れの駿河を行く(1/24-25 2日間)
四国への遠征とともに、冬の年中行事として確立された感があるのが静岡への小旅行です。乾いた青空を背に屹立する富士山と、渺茫たる相模湾、駿河湾との取り合わせは、雪景色と好対照をなす冬の風物詩といえるでしょう。距離にすれば200kmそこそこの静岡まで、一般道を主体にのんびり下って、夜は清水と静岡で一献傾け、翌日夕日に染まる富士山を眺めて帰路につくという行程には、とかく時間に追われがちな多くの活動にはない緩やかさがあります。
昨年もそのような展開を期待していたところが、初日は予報に反して夕方まで曇りがち、翌日も昼前から次第に空が霞みがちとなって、今まで眺めてきた見事な冬晴れには及ばない結果となりました。再び晴れれば再挑戦するにもやぶさかではなかったものの、期待通りの好天が再び出現することはなく、昨年はこの一回限りの滞在で終わってしまったのが惜しまれます。清水の「新生丸」は今回も最高、初めて泊まった和室の宿の居心地もよく、この旅ならではの収穫もあるにはあったのですが。
ならば今年こそはと意気込みながらも、やはり冬晴れには恵まれずここまで来てしまいました。この先冬場の気候が戻ってくるとも考えにくく、再挑戦は来年までお預けとなってしまいそうですorz

・北斗星惜別乗車(1/30-2/1 3日間)
昨年最大の出来事は北陸新幹線の開業だと申しましたが、世間的にそれと同等以上の注目を集めたのが、最後のブルートレインといわれた「北斗星」の終焉です。前年末に廃止が発表されるや、寝台券は発売の瞬間に完売という争奪戦の様相を呈し、沿線の至る所でカメラを構えた同業者が待ち受けるなど、狂想曲の様相を呈していたのがこの頃でした。
もちろん、そうなることはとうの昔に織り込み済みだったため、前年の花見にかこつけ乗車を済ませ、廃止間際の狂想曲は静観するつもりでいたわけです。ところが世の中には祭り好きがいるもので、活動仲間が10時打ち、キャンセル待ちなどあらゆる手段を尽くして寝台券をかき集めた結果、棚からぼた餅でまんまと乗車の機会を得たのでした。
わざわざ乗るなら、空路で直行して引き返すなどという旅にしたくはありません。金曜に急遽一日休みをとり、一日かけて札幌に移動し前泊、翌日仲間と合流して前座の宴会に加わった後、夕方に出る「北斗星」に乗り込むという行程にしました。かつての花形だったブルートレインが、もはや完全なる見世物と化してしまった様は正視に耐えず、ロビーカーを占拠して酒盛りし、一般客に迷惑をかけてしまったのも遺憾ではありましたが、幾多の困難を乗り越えて、寝台特急の終焉を飾るにふさわしい盛大な活動ができたのは幸いでした。
そう思っていただけに、その後さらに乗車の機会が巡ってくるとはこの時点で予想もしないことでした。次なる乗車の機会では、このとき以上に劇的な展開を経験することになります。
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