日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

活動回顧録 - 西の旅

2016-03-16 22:48:09 | 旅日記
10月から年末にかけては、例年西日本への旅が集中する時期です。祝日が散らばり遠征の日程を組みやすいのに加え、冬は雪国、春は花見を主体とし、その後夏場の活動休止を経て9月に北海道へ遠征ということになると、西への旅はそれ以降に回らざるを得ないという事情もあります。昨年もそのような流れを踏襲し、10月後半からは西日本が活動の主戦場となりました。

・居酒屋聖地巡礼 2015(10/17-19 3日間)
表題の通り、本活動の主題は名古屋の聖地「大甚本店」を平日に訪ねることにありました。教祖をして「ここを知らずして居酒屋を語るなかれ」と言わしめた名酒場の真髄を、自身いまだ理解できていないという認識があったからです。というのは、過去三回訪ねたときがいずれも土曜だったこともあるのか、客層も混雑も古きよき大衆酒場の域を逸脱していたのです。そこで、本来の姿を知るには平日に訪ねるしかないと仮説を立て、居酒屋を訪ねるために一日休みをとるという道楽に走ったのでした。その仮説は見事に的中し、今年も北陸からの帰り道に一日休みをとって再訪しています。
今回に関する限り前座という位置付けではありますが、名古屋に先立って訪ねた京都と山陰でも清々しい秋晴れに恵まれました。中でも京都については、前年ほぼ素通りの形で終わっており、8月に再訪したときも酷暑で辟易させられただけに、久々に好天下で滞在できたのは収穫でした。しかし紅葉にはまだ早い中途半端な時期だったこともあり、年末にはさらに重ねて再訪することになります。

・晩秋の木曽路を行く(10/24-25 2日間)
10月から11月にかけては、どこへ行っても宿泊事情が逼迫する時期です。この週については特にひどく、一泊二日で行き来できる範囲では、観光とはおよそ無縁の中小都市でさえ、手頃な料金で泊まれる宿が皆無に近い状況でした。ならばキャンプを張るしかないと考え、木曽路を目指したのがそもそもの始まりです。
しかし悠長に進むうちに伊那谷で日が暮れたため、木曽には向かわず手近なキャンプ場に飛び込みました。翌日も峠を越えて木曽に下りるつもりが、結局伊那に終日滞在してしまい、木曽路などと題しながら木曽にはかすりもしないという、少々痛い結末を迎えた活動です。とはいえ天候は二日とも最高であり、花見で毎年訪ねている高遠の秋の姿を知るという貴重な経験もありました。
そして何より秀逸だったのが、キャンプを張った陣馬形山です。麓から30分かけて登った山頂のキャンプ場には、熟練したキャンパーが集い雰囲気上々。翌日眺めた中央アルプスと伊那谷も絶景でした。標高が1400mに及び、明け方には氷点下まで冷え込んだという点でも特筆されるキャンプです。

・九州沖縄縦断ツアー(10/30-11/3 5日間)
空路の苦痛を少しでも緩和すべく、苦肉の策で考えついた九州から沖縄に飛ぶという奇策も、これで三年連続となりました。初日に一日かけて長崎に移動し、翌日那覇に飛んで二泊した後、福岡で一泊してから帰るという四泊五日の行程は、過去二回の完全なる焼き直しです。しかし、飛行機嫌いは年を追うに従いますます強まり、混み合った往路の移動などは苦痛でしかありませんでした。この方法での渡航にも限界が見えつつあり、今年は片道だけでもフェリーを使う方向で検討中です。
もう一つ特筆すべきは、前年に続き天候に恵まれたことです。沖縄へ行くなら11月が一番という経験則が確立しつつあります。

・錦繍の飛騨を行く(11/21-23 3日間)
長引く天候不順により活動が停滞するという現象を、昨年は複数回にわたって経験しました。4月の前半、9月の前半、そして沖縄から戻った後の11月です。どうにも冴えない天候により、紅葉狩りも残念ながら期待できず、週末を二度棒に振った後の三連休に、久々の旅で飛騨を訪ねました。
例年ならば、11月の連休は西日本の遠隔地への旅に費やされる時期です。しかるになじみの薄い飛騨を選んだのは、年初から順調に日程を消化したことにより、前回の九州沖縄をもって遠隔地での活動を一通り終えられたことによります。その結果巡ってきた貴重な機会は上々の結果に終わりました。
実は、天候は相変わらず芳しくはなく、最終日に一時晴れるにとどまりました。それでも満足感が高いのは、飛騨だけでなく往路に通った木曽路も久々で、その分新鮮に感じられたからなのでしょう。二夜にわたって訪ね歩いた高山の酒場も秀逸でした。走行距離も会津までの往復とさほど変わらず、これなら一泊の小旅行にも向いています。長きにわたって食わず嫌いをしてきたことを後悔した次第です。

・房総半島縦断ツアー(11/28-29 2日間)
11月最後の週末は、晩秋から初冬にかけての恒例行事として定着しつつある、キャンプ納めを兼ねた房総半島の旅に出ました。しかし時期があまりに遅すぎたか、例年キャンプを張っている海岸が閉鎖されているという予想外の事態に直面し、やむなく車中泊するという結果に。とはいえ、月明かりに照らされた静かな波打ち際での晩酌は今回も最高でした。翌日は内房を北上し、千葉のMOSに寄って帰るという例年通りの流れです。

・汽車旅in信越 2015初冬(12/5-6 2日間)
12月最初の週末、日帰りの活動と仲間との忘年会を掛け持ちし、翌日再び日帰りの活動に出ました。初回に述べた定義に従えば、泊まって初めて1日と数えるわけであり、日帰りは1日分として扱わないわけです。このような方針に従い、他の日帰り活動については割愛しています。それにもかかわらず、この活動に限り2日分として扱うのは、週末パスを使い、なおかつ目的地も隣接しているという点で、全体の行程が連続性を持っているからです。
初日に訪ねたのは、115系の終焉迫る新潟でした。同じく115系の残る高崎地区から上越国境を越えて折り返し、忘年会の時間に合わせて戻るという単純な行程ではありましたが、上りのループ線を明るいうちに乗車したのは、自身にとっては初の経験でした。翌日は始発の新幹線で軽井沢に向かい、そこからしなの鉄道と長電に乗車して、長野で一献傾けてから帰りました。

・冬枯れの京都を行く(12/12-14 3日間)
8月と10月の二度にわたって訪ねた京都でしたが、8月は暑すぎ、10月も紅葉には早い半端な時期でした。それだけに、観光客が去った年末に再訪したいという考えをその時点から持っていました。過去二年は天候不順で見送りになってきた年の瀬の京都に、念願の再訪を果たしたのがこのときの活動です。
12月の中旬ともなれば、紅葉もほぼ散っているだろうと予想はしていました。しかし、桜と違って一斉に散るものでもない以上、探せばどこかに残っているのではないかという期待もありました。しかして現地に乗り込むと、暖冬が幸いして紅葉も銀杏もまだ見頃、しかも観光客は皆無に近く、最終日は快晴という願ってもない結果でした。京都と奈良の名酒場を訪ね歩くのも楽しく、京都に行くならこの時期が一番と実感した次第です。

以上が昨年の活動の顛末です。その後クリスマスの飛び石連休を使って年内最後の遠征に出るはずが、それまでの道楽三昧がたたって職場事情が切迫し、さらには体調まで悪化させてしまったことにより、完全休養とせざるを得なかったのは残念でした。しかし、最後の機会こそ逃したものの、それ以前の活動の充実ぶりが例年以上だったことを考えると、全体を通じてみれば完勝に近い形ではあります。
数自慢は好みませんが、全活動の日数を合計すると108日になりました。日帰りの活動も含めると、さらに数日増えるわけです。土日祝日に加えて有給休暇を完全消化すれば、年間の休みが140日ほどになるでしょうか。そのうち八割方を旅の空で過ごしているという実態を、今更ながら自覚しました。一日当たりの平均的な出費を考えると、年間でどれだけの予算を注ぎ込んでいるのかもある程度見当がついてきます。ここまで来ると、余暇というより人生そのものといっても過言ではないでしょう。道楽三昧の境遇に感謝しつつ、体力と金の続く限り旅を続けるつもりです。
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