日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

活動回顧録 - 北信越最終章

2016-03-08 23:21:14 | 旅日記
昨年の活動を回顧する総集編、今夜は二月を振り返ります。四週のうち三週を北信越に注ぎ込み、北陸新幹線の開業を控えた切迫ぶりを象徴するかのような日々でした。

・春まだ浅い北陸へ 2015(2/7-8 2日間)
前月に続く北陸の第二弾です。福井を主題にした前回に対し、新幹線の影響が直撃する石川、富山の両県が目的地となり、この頃から次第に悲愴感が増してきました。
この旅において幸運だったのは、往路の「北越2号」に国鉄特急色のK1編成が充当されたことです。この時点で、金沢に着いた列車が折り返しの「北越5号」で新潟へ下り、「北越10号」で再び金沢に戻って滞泊した後、翌日の「北越3号」に入るという運用が確定的となりました。ならば乗れるものには全て乗るのが当然であり、折り返しの5号と翌日の3号に北陸フリー乗車券の有効区間まで乗り、車窓から三度にわたり立山連峰を眺めました。復路の9号は必然的に3000番台とはなったものの、それを補って余りある戦果です。
乗車については上記の通りほぼ完勝。初日に訪ねた富山の「やつはし」と金沢「赤玉」の支店、翌日訪ねた高岡の「たかまさ」など新たな名酒場との出会いがあり、久々に乗車した万葉線と渡船も楽しく、風雪のため急遽ほくほく線への乗り換えを余儀なくされるといった予想外の展開もあって、盛り沢山の二日間でした。
終わりのつもりが次もあったという展開は、結果として「北斗星」と全く同様になりました。北陸本線の乗車はこれにて打ち止めとし、次回信越本線に乗車して最後の汽車旅を締めくくるつもりが、予想外の展開により再び北陸へ向かうことになります。

・酷寒の大地を行く(2/11-15 5日間)
以前から年中行事となっていた弘前の雪燈籠まつりと、北海道の汽車旅とを掛け持ちする奇策を思いついたのは前年のことです。その成功に味をしめ、二匹目の泥鰌を狙った活動でしたが、肝心の汽車旅としては格落ちに終わりました。
誤算の一つは天候です。酷寒などと題しながら大して寒くもなく、しかも冬晴れを期待していた道東では大雪に降られ、それでいながら道央と道北では雪が少なく拍子抜けしました。この年一番寒かったのは北海道でも東北でもなく、元日の東海・近畿だったという予想外の結果です。
乗車についても誤算続きでした。釧路から乗り継いだ根室行の列車が、デッキにまで立ち客が出るほど混み合っており、途中で空くかと思いきや全くそのようなこともなく、たまらず途中で引き返したのが悪夢の始まりです。翌日は釧網本線に乗車するつもりが、前日からの大雪で運休となり、やむなく来た道を引き返しました。さらに帯広では、乗った普通列車が分岐器の不転換により30分も足止めされるなど、まさに踏んだり蹴ったりでした。
以上の通り、乗車については負けに等しい結果でした。しかし酒場めぐりに関しては、初日の「しまや」に始まり最終日の「ふらの」に至るまで、教祖が「百名居酒屋」として紹介した名店を連日訪ね、さらに一軒二軒はしごするなど、近年でも出色の充実ぶりだったのがせめてもの救いです。
この旅を終えた時点では、多少の不確定要素はありながらも、酷寒期の北海道の汽車旅を今後も年中行事として続けたいという考えがありました。しかしその後一年が経過し、北海道新幹線の全貌が明らかになるにつれて、利便性の著しい低下と料金の大幅値上げが不可避な情勢となり、そのような希望は無情にも潰えようとしています。それ以前の問題として、北海道の鉄道網がいつまで今の形のまま維持されるかも不透明になってきました。以前から苦境が伝えられていた北海道ですが、現地を旅した限りでは、この一年の落ち込みがとりわけ顕著というのが実感です。

・春まだ浅い信濃路へ 2015(2/21-22 2日間)
北海道を旅する間に、北陸新幹線の開業まで一月を切りました。あとは日毎に狂想曲の様相を呈してくることを考えると、そろそろ潮時を見計らうべき頃合いです。福井、石川、富山の順で日本海縦貫線を転戦してきたこともあって、あとは「週末パス」で信越地区に乗車して締めくくるというのが出発時点の構想であり、表題に信濃路と掲げたのもそのためでした。しかし、新幹線開業前最後の汽車旅となった本活動は、思わぬ形で有終の美を迎えました。
行きがけの駄賃のつもりで中央東線を経由し、松本から列車を乗り継ぎ長野へ下るところまでは筋書き通りです。急展開したのはその先でした。現地の目撃情報から、金沢行の「北越6号」に国鉄特急色のK1編成が入るとの予測が浮上したのです。もし的中すれば富山か金沢まで乗り、現地で一献傾けてから折り返しの9号にも乗れるという願ってもない状況でした。これなら運賃と料金を別に払ってでも乗らない手はなく、直江津から急遽飛び乗るという展開です。
話はそれだけでは終わりませんでした。もう一本の国鉄特急色であるT18編成が後続の8号に入り、翌朝1号となって金沢から新潟へ下ることが分かったからです。その結果、当日の9号をあえて見送り富山に泊まって、全区間明るいうちに乗車できる翌日の1号に乗るという決断をしました。この判断は見事に功を奏し、朝日に染まる立山連峰から雪晴れの越後平野まで、新幹線と引き換えに見納めとなるめくるめく車窓を眺めつつ新潟に到着。さらに、着いた列車と入れ違いに出た4号にK1編成が入ったため、折り返しとなる7号を直江津で待ち構え、終点まで乗り通すという結果です。
2本しかない国鉄特急色の編成が、本来の性能を発揮する「北越」の運用で揃い踏みするのを見届け、さらにそのいずれにも乗車を果たすというこの上ない花道を得て、新幹線開業前最後の汽車旅は有終の美で幕を閉じました。昨年経験してきた幾多の旅の中で、最も印象的なものを一つ挙げろといわれれば、候補の筆頭に挙げたい旅の一つです。

・春まだ浅い信越へ 2015(2/28-3/1 2日間)
新幹線開業前最後の汽車旅を最高の形で終え、残る週末は自家用車を駆って撮影を中心に活動することになりました。まず主戦場としたのは、これまで撮影した経験がほとんどない信越山線です。
もっとも、最初からそうするつもりだったわけではなく、手痛い失策の産物でした。というのは、「北越1号」にK1編成が入るとの情報を得て、関越道経由で米山のお立ち台へ直行するつもりだったにもかかわらず、出発に手間取るうちに事故渋滞が起き、やむなく一般道を経由する間にスキー渋滞も始まって、上信越道に流れざるを得なかったという事情があるからです。このような誤算もあり、昼過ぎからの撮影開始ではありましたが、現地での撮影経験がほぼなかったにもかかわらず、わずかな事前情報だけを手がかりに、納得の行く画をいくつかものにできたのは幸いでした。
夜は長野の酒場で一献傾けたいのはやまやまながら、何分切羽詰まった状況だけにそうもいってはいられません。むしろこれがよい機会と考え、かねてから注目していた黒姫駅前の古い旅館に飛び込みました。もちろん素泊まりで、食料は別途調達しなければなりません。関山まで車を走らせ買い出しを済ませた後、折しもやってきた下りの「妙高」に直江津まで乗車し、「くびき野」と普通列車を乗り継いで戻り、宿に戻って晩酌を始めたのが11時過ぎという長い一日でした。
翌日からはお別れ列車の運転が始まり、同業者の数が目に見えて増えました。しかも昼過ぎから雨まで降ってくるというあいにくの空模様です。それでも比較的定員に余裕のあるお立ち台が多く、前日と同様納得の行くものをいくつか押さえられたのは幸いでした。終始時間に追われる展開の中、わずかな待ち時間でコンビニのおにぎりを頬張ったのも、今となってはよき思い出です。
撮影を終えた頃から雨が雪に変わり、腹ごしらえを済ませて出ると車が雪だるまになっていたのは驚きました。路面まで積雪する中どうにか車を走らせ、温泉で一風呂浴びて帰るという顛末です。
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