日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

活動回顧録 - 秋の大遠征

2016-03-15 22:41:04 | 旅日記
夏場にも細々と活動を展開してきたとはいえ、やはり本格的な活動再開は9月まで待たなければなりません。花見の旅を縮小した昨年、最大規模の活動となったのが、二度の一時帰京をはさんで一月近くに及んだ北海道への遠征です。

・晩秋の大地を行く(9/19-29 11日間)
花見における誤算として、西日本と関東で同時に開花したこと、4月前半が悪天候だったこと、北東北の開花が早かったことの三点を挙げました。それに次ぐ誤算といえるのが、9月と11月にも天候不順に見舞われ、活動が一時停滞を余儀なくされたことです。特に9月の天候不順については、越後平野の稲穂と115系を記録できる機会をことごとく逃したという点で、非常に痛いものがありました。
来年再びあるかどうかも分からない機会を逃し続けたまま、北海道への遠征が迫りました。戻ったときには越後平野の稲刈りもほぼ終わっているだろうと見て、往路は新潟を経由しました。運よく晴れてくれれば、道内滞在を一日削ってでも新潟にとどまる価値はあると考えたからです。しかし結果としては、実に微妙な判断の末、新潟には残らず北海道へ旅立ちました。空が晴れだしたのがフェリーに乗る間際だったのに加え、稲刈りが既に八割方終わっているのを目の当たりにしていたこともあり、咄嗟に後戻りする決断ができなかった次第です。8月に実質一日とはいえ撮影していたことも、判断を鈍らせる結果となりました。あれが最善の選択だったかどうかは、今になっても分かりません。しかし、道内滞在は一日延び、その一日があったおかげで函館、東北へと転戦できたことを考えると、あのとき見切りをつけたのは大きかったともいえます。少なくとも後悔はしていないというのが本音です。

旭川まで北上し、そこからオホーツク方面へ行って引き返すという経路は、結果として三年連続となりました。しかし過去二年と趣向を大きく異にした点が二つあります。一つは日本海沿岸を北上したことであり、もう一つは函館まで南下したことです。
日本海沿岸を北上したのは、廃止の意向が表明された留萌本線沿線を訪ねるという目的があってのことで、自身ほぼ未踏だった場所が連続したという点では新鮮な経験でした。ただ、車窓自体は内地にもありそうに見え、それが北海道らしいかというと、そうとは思えなかったというのが率直なところではあります。留萌から内陸へ針路をとり、色づいた稲穂と秋の虫の声が聞こえてくるにつれて、やはりこれこそ北海道だと実感したのを記憶しています。
日本海沿岸だけではなく、今回経由した場所は、多かれ少なかれ廃止の二文字と関係しています。留萌本線に続いて訪ねた石北本線沿線では、利用客の減少を理由として駅の廃止が決まっていました。道央に戻って訪ねた札沼線の沿線も、遅かれ早かれと予想される線区です。その後函館まで延々南下したのは、北海道新幹線開業前最後の秋を迎えた函館地区の様子を記録しておきたいという考えがあってのことでした。北海道の鉄道網は、多くのローカル線を廃止に追い込んだ国鉄改革以来の危機に瀕しています。消え行く北の鉄路を記録することが、今後の渡道における主題となって行きそうです。

9月にして晩秋などという表題をつけたのは、以前9月の下旬から10月にわたって滞在したとき、早くも晩秋の季節感が色濃く漂っていたからです。そして今回の渡道では、日本海側を北上した序盤こそ汗ばむ陽気が続いたものの、旭川を過ぎると急に肌寒くなり、木々も次第に色づいて、やはり晩秋の様相を呈してきました。日毎に深まる秋を体感した今回の滞在です。

・晩秋の大地を行く 続編(10/3-6 4日間)
道央から函館まで南下した後、車を置いて一時帰京し、中三日で復帰しました。新幹線開業前最後の秋を迎えた函館地区の記録と、前年訪ねた秋の津軽の再訪を目的にしてのことです。道内を一泊限りで切り上げ、翌日には海峡を渡るつもりが、結局去りがたくなりもう一日延長して、道内に二泊、津軽に一泊という構成でした。道内では日が陰る場面が多かったものの、北海道新幹線開業時には見納めとなる、藤城線の高架橋を行く特急列車を最後の秋に記録できたのは収穫であり、函館市街の夜景を遠望するきじひき高原でのキャンプも秀逸でした。つるべ落としの日が暮れ行く中、めくるめく光景が展開する津軽海峡の航海も印象に残っています。
道内での出来事でもう一つ特筆すべきは、この活動中に相棒の走行距離が通算16万kmに達したことです。暮れなずむ函館の港で達成できれば願ってもない展開だったにもかかわらず、昼間ラッキーピエロに寄ろうとしたばかりに走行距離が延び、またしても国道のバイパス上という中途半端な場所での達成となってしまいました。そのラッキーピエロにはあまりの混雑により二度にわたり退けられ、全くの無駄足で終わっただけに、あれさえなければと惜しまれてなりませんorz
津軽に舞台を移しての最終日は、待望の秋晴れが広がる中で弘南電車を撮りました。前年よりも二週遅い再訪となり、稲刈りも大分進んでいたものの、岩木山と高架橋が重なる絶好の位置に稲穂が残っており、はさ掛けとの取り合わせも絵になっていて、終日休む間もなく電車を追いかけるという顛末です。日没後は八甲田を経由し、七戸十和田から二度目の一時帰京の途につきました。

・晩秋の大地を行く 完結編(10/11-12 2日間)
再び中三日で復帰し、三連休を利用して南下したいのはやまやまながら、野暮用により初日が使えず、残る二日で帰京することになりました。初日は盛岡まで駒を進め、翌日は夕方近くまで近辺にとどまった後、東北道を一気に飛ばして帰るという行程です。
天候が万全ならば、途中に車を置いてさらに一週延長するという選択肢もあり得るところでした。しかし既に稲穂も見納めに近付いており、これ以上引き延ばすより、次なる旅に移るのが得策と思われました。北国の旅はこれにて完結し、次週以降は心機一転西日本を渡り歩くことになります。
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